妹は複雑です!

 


 摩夜の誤解をどうやって解こうか。部屋のベッドに寝転がり、1人思考を巡らせる。


「……そもそも誤解っていうのも、違うのか」


 俺と姉さんが抱き合っているのを見て、摩夜が何を思ったのか、俺には分からない。けど、朝から2人で抱き合っていたからといって、俺と姉さんが、その……そういう関係だなんて、流石の摩夜も思わないだろう。


 だから、摩夜が怒っているとするなら……。


「……なんなんだろう? 分からん」


 そもそも最近の摩夜の考えが、俺には全然分からない。本当に怒っているのかどうかすら、判断がつかないくらいだ。でも摩夜は、学校の授業に支障をきたすほど、あのことを気にしている。それは確かだ。


「……単純に、嫌悪感なんだろうか」


 男女のそういうスキンシップに、過度な嫌悪を覚える時期は確かにある。兄と姉がそういう汚らわしいことをしていたから、気になってしまう。そういうことなのだろうか?


「違う気がするな……」


 姉さんと一緒に作った料理……姉さんが食材を買い過ぎたせいで冷蔵庫に入りきらなかったから、やたらと豪勢になった夕飯。姉さんの料理は……正直あれだったが、摩夜は文句も言わずに食べていた。


 ……まあ、俺とは目を合わせてくれなかったし、姉さんが喋りかけても上の空だったんだけど、こっちを軽蔑しているようには見えなかった。どちらかと言えば、やはり怒っているような感じだった。


「……そもそも俺が話しかけても、聞いちゃくれないだろうな」


 だったらやっぱり、姉さんに任せるしかないのか?



 そんなことを考えていると、不意にドアがガチャリと開いた。


「真昼ー。お風呂、一緒に入ろー」


 姉さんはノックもなく部屋に入り、ベッドの端に腰掛けて、そんな戯言を口にする。


「……姉さん。ノックくらいしろよ」


「いいじゃん別に、減るもんじゃ無いし。……あ、それとも、見られちゃ不味いことでもしてたのかな?」


「ちげーよ。……で? 何しに来たの?」


 さっきの言葉は聞こえていたが、確認の為にもう一度そう尋ねてみる。


「うん? だから、一緒にお風呂入ろうって」


「…………入るわけ無いだろ? 正気か、姉さん」


「なんで? 別にいいじゃん、お風呂くらい。昔はよく一緒に入ったし、うちのお風呂は大きいから、2人でも大丈夫だよ」


「いや、そういう問題じゃ無いだろ……」


 なんか姉さん、本当におかしくなってないか? ……あーでも、昔から突拍子も無いことを言う人だから、いつも通りと言えばそうなんだけど。


「……あ、もしかして、意識しちゃう? お姉ちゃん、胸大きくなったもんね」


 姉さんはそう言って、自分の胸を強調するように前に突き出す。大きい胸がぶるんと揺れる。


「…………意識とか、そういう話じゃねーの。……というか姉さん、俺をからかってるだけだろ? その手には乗らないから、早く風呂に入って来いよ。そうしたら、ゲームの相手してやるからさ」


「ホント? 真昼がゲームに付き合ってくれるなんて、珍しいじゃん。しかも深夜まで、私の部屋で」


「……いや、なに勝手に決めてるんだよ。深夜までは無理だぞ? 俺は明日、学校あるし、姉さんだって明日は大学だろ?」


「私は別に、サボってもいいんだけどね」


「俺はダメなの。つーか、姉さんもあんまりサボってばっかいると、留年するから気をつけろよ?」


「分かってるよー。……よしっ、じゃあさっさとお風呂入ってくるね。真昼は先に、私の部屋で待っててよ。すぐに上がるからさー」


 姉さんはそう言って、早足に部屋を出て行く。俺はそれを見送って、軽くため息をこぼす。


「姉さんは、やっぱり姉さんだな」


 姉さんの様子も少しおかしい気がするけど、こっちはあんまり心配いらない。適当で、掴み所がなくて、いつでも笑っている。姉さんは昔から強い人だから、俺が気にかける必要も無いだろう。


 だから一緒にお風呂に入ろうとか言うのも、俺をからかってるだけなんだろうな。


「んじゃやっぱり問題は、摩夜か……」


 ベッドから起き上がり、大きく伸びをする。背中の骨が、ポキリと音を立てた。


「さて、どうするか」


 姉さんの部屋に行って、姉さんが風呂から上がってくるのを待たなくちゃいけない。けどその前に、摩夜の方をどうにかしなければならない。


「あいつあんまり勉強できないから、いつまでも授業で呆けてるのも不味いもんな」


 でも、俺が部屋を訪ねても、きっと話を聞いてはくれないだろう。いや、そもそも、部屋に入れてさえくれないだろう。……だったら、どうするか。軽くストレッチをしながら、真剣に頭を悩ませてみる。


 ……そういえば、今まで喧嘩した時はどうやって仲直りしてきたんだっけ?


 そう考えて、ふと思い出した。


「……あんなんでいつまでも喜んではくれないんだろうけど、とりあえずやってみるか」


 そう決めて、ポケットに財布を入れて早足に家を出る。姉さんが風呂から上がってくるまでには、帰っておきたい。だから俺は、走って目的地に向かった。



 ◇



 朝、摩夜は兄と姉が抱き合っているのを見た。ズキリと、胸が痛んだ。そんなの別に、どうでもいい。自分には関係無いことだ。そう何度も自分に言い聞かせても、胸の痛みは消えてくれない。なぜ? どうして? 自分では何も分からないのに、胸だけが、ただ痛む。


 何もする気が起きない。何をしていても、あの光景が頭を過る。


「………………どうして……姉さんなんだろ?……私じゃ……」


 摩夜は自分で自分の思考を振り払うように、大きく息を吐く。わざわざ考えなくても、それは当たり前のことだ。そう自分に言い聞かせて、無理に納得しようとする。


「姉さん美人だし、優しいし……胸も大きい。でも私は……」


 兄に辛辣に当たって、嫌われて当然のような行いをして、それでもこんな風に……嫉妬している。いくら優しい兄でも、そんな自分を見限って当然だ。そうやって何度も納得しようとするのに、どうしても心は納得してくれない。


 胸が、痛い。


「……はぁ。どうして……私の心なのに、私の言うことを聞いてくれないんだろう……」


 自分の想いが、自分の中で暴れまわる。それが凄く辛い。何もする気が起きないほど、胸が痛い。


「…………」


 摩夜はどこか縋るような目で、扉に視線を向ける。もしかしたら、兄が自分の様子を見に来てくれるんじゃないか。そんな淡い期待を込めて、扉を見つめる。


 でも、扉は開かない。


「……はぁ。…………お兄ちゃん、私のこと……嫌いになっちゃったのかな……?」


 嫌われて、当然の振る舞いをしてきた。なのにどうしても、嫌われたく無い。摩夜はそんな矛盾した自分から目を背けるように、目を瞑る。


「…………喉、乾いたな」


 眠ろうかとも思ったけど、その前に一度、なにか飲もうか。そう考えて、摩夜は立ち上がり階段を下りる。兄には会いたく無いと思いながらも、どこかで兄の姿を探している自分を嫌に思いながら。


「……バカみたい」


 冷蔵庫の前で、楽しそうに料理をしていた2人の姿を思い出す。自分はここ最近、兄と笑い合った記憶なんて無い。全部自分のせいなのに、どうしてもため息が溢れる。


 摩夜はそんな自分を振り払うように、また大きく息を吐いて、冷蔵庫の扉を開ける。


 そして、気がついた。


「………………何よ、これ」


 冷蔵庫の中に、プリンがあった。昔から摩夜が好きなメーカーのプリンだ。そしてそのプリンの上に、1枚の付箋が貼られている。




 ──悪かった。これで機嫌を直してくれ。兄より。




「……バカみたい。もう子供じゃ無いんだから、プリンなんかで…………バカっ……」


 こんなの全然、嬉しく無い。そうどれだけ思おうとしても、心臓の高鳴りを抑えられない。お兄ちゃんが、自分の事を忘れないでいてくれた。それだけで、今日のことを全部忘れてしまうくらい、嬉しくなる。


 心臓が、ドキドキする。どうしても、止められない。


「…………」


 摩夜は大切そうにプリン抱えて、部屋に戻る。きっと今の自分は、どうしようもない顔をしている。そんな顔、兄にも姉にも見られたくなかった。


 プリンに貼ってあった付箋を大切そうに机の中にしまってから、摩夜はプリンをゆっくりと口に運ぶ。


「…………甘い……」


 1人、そう呟く。すると何故か、両目から涙が溢れた。


「……うそっ。……私、なんで泣いてるの……? …………ほんと、バカみたい……」


 それでもどうしても、涙は止められない。胸の中で色んな感情が暴れまわって、嬉しいのか悲しいのか自分でも分からない。


 胸が痛い。さっきまでとは全然違う、胸の芯が温かくなるような痛みだ。だからどうしても、涙が溢れる。きっと誰であっても、その涙は止められない。


 どうしようもない想いが、涙になって溢れる。それを止めるには、想いに別の形を与えてやるしかない。


 だから摩夜は、1人小さく呟いた。







「好きだよ。お兄ちゃん」



 その声は無論、兄には届かなかった。


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