この子もおかしいです!
放課後。気持ち早足で歩きながら、家を目指す。今日は早く帰って、姉さんと話がしたかった。だから、変態行為を強要して来るバスケ部のエースと、スパーリングを強制して来る生徒会長は無視した。
「……ま、彼女たちは頭おかしいし、別にいいか」
そう一人呟いて、家を目指す。姉さんは大学が休みの時は、基本的に家から出ない。あの人は根っからのゲーマーだから、放っておくとずっとゲームばかりしてる。もし出かけることがあったとしても、絶対に俺か摩夜を誘う。
「……摩夜、ご飯ちゃんと食べたかなー。それに、抱きしめ合ってるのを見られたのは、さすがに不味いよな……」
ただでさえ邪険に扱われているのに、あんなところを見られてしまったら、言い訳のしようがない。姉弟で抱き合ってるなんて、気持ち悪い。そう言われたら、俺に返せる言葉は無い。
「……はぁ」
そう軽く、ため息を吐く。するとそれに返事をするかのように、曲がり角から一人の少女が姿を現わす。
「あれ? お兄さんじゃないっスか。どうも、こんにちはっス」
そう言って、少女はこちらに頭を下げる。……一瞬、この少女が誰だか分からなかった。けど、ふらふらと揺れるポニーテールの黒髪を見て、少女のことを思い出す。
「……確か摩夜の友達の、天川さん、だっけ? こんにちは。いつも妹が世話になってるね」
「いえいえ、いつもこっちが世話になってるっス」
この子は、
「というか、天川さんって家こっちだっけ?」
昔、家はちょっと離れてるみたいなことを、言っていたような気がするんだけど……。
「いえ、今日は部活が休みだから摩夜に会いに来たんスよ」
「摩夜に? だったら学校一緒なんだから、一緒に帰ればよかったのに」
「……あー、それは、なんていうか……。摩夜、今日なんか様子がおかしかったんスよ。授業中もぼーっとして、当てられても気がつかないし……得意の体育も全然集中してなくて、ミスばっかりする。それで見兼ねて、何かあったんスか? って聞いても、何も答えてくれない。だから、思い切って家に突撃してやることにしたんスよ!」
「…………そう。それは、苦労をかけるね」
「いえいえ、友達っスから!」
天川さんは、屈託のない笑みを浮かべる。しかし申し訳ない事に、きっと摩夜の様子がおかしいのは今朝のアレのせいだろう。
……やっぱり、摩夜は気にしていたのか。まあ、そりゃそうだよな。朝起きて階段下りたら、兄と姉が抱き合ってるんだから、動揺もするだろうな。摩夜から距離をとるのは間違ってはいないんだろうけど、その件に関しては、ちゃんと話をしておくべきだろう。
「…………」
そんなことを考えながら、天川さんと一緒に歩く。彼女も家に来るんだから、別々に向かう必要も無い。
「ところで、失礼ながら1つ聞きたいんスけど、もしかしてお兄さんと摩夜、喧嘩とかしてるんスか?」
「いや……あー、まあ、そうかな。喧嘩とはちょっと違うんだけど、仲違いはしてるかな」
「やっぱりそうっスか。摩夜はいっつも、お兄さんの自慢話ばかりしてきてたんスけど、最近はとんと言わなくなったんス。だから、お兄さんと何かあったんだろうなーって思ってたんスけど、やっぱりそうなんスね」
うんうん、と天川さんは頷く。
「……鋭いね、天川さん。でも俺、心当たりが無いんだよね。何故か突然、摩夜の態度が辛辣になってさ。……天川さんは何か知らない? 学校で何か、問題があったとかさ」
「問題っスか……」
天川さんは、腕を組みながら首を傾げて考え込む。……でも何も思い当たらなかったのか、すぐに腕を解いて言葉を告げる。
「すいませんけど、何も思い浮かばないっス。摩夜は学校ではあんまり、自分を表に出さないっスから」
「……あいつあれで、人見知りだからな。……じゃあやっぱり、ただの反抗期なのかな?」
だとするなら、やっぱり姉さんの言う通り、距離を置くのが1番いいんだろう。無論、解いておくべき誤解は、ちゃんと解いておかなければならないが。
「あー、でもアレっスね。兄妹喧嘩されてるのなら、あたしの出る幕は無いっスね。今日はやっぱり、帰ることにするっス」
「なんで? 来なよ。摩夜もきっと、喜ぶ筈だよ」
「そうかもしれないっスけど……。でも、よくよく考えると連絡もなしに訪ねたら、摩夜も迷惑するだろうなーっと」
「そんなことは、無いと思うけど……」
「いやいや、そうに決まってるっス。……それに、あたしがお兄さんと2人で歩いてたなんてバレたら……殺されるっス。だからやっぱり、帰るっス」
天川さんは早口にそう言って、本当に帰ろうとしてしまう。
「あ、ちょっと、そんな急に……」
だから俺は思わず、彼女の手を握ってしまう。
「……あ」
天川さんは驚いた顔で、こっちを見る。
「いや、ごめん。急に触ったりして、失礼だったね」
俺は頭を下げて、天川さんから手を離す。
「…………」
けど天川さんは放心したような顔でこっちを見つめるだけで、何の言葉も発さない。
「あれ? 天川さん、どうかしたの? ……もしかして、怒ってる?」
「…………あ。いえいえ、そんなことはないっス! ただなんていうか……あれっスね。お兄さん、目とか摩夜に似てるな〜と、思っただけで……」
「そう? 俺は、摩夜にも姉さんにもあんまり似てないって、よく言われるけど」
「いやいや、そんなことないっス。綺麗で整ってて、凄くカッコいいっス!」
「……そう? まあ、ありがとう」
いきなり褒められてしまった。……いや、話がズレてないか?
「いえいえ。……って、あたしなに言っるんスか! いきなり顔を褒めたりして、変態っス! やばいっス。自分、かなりテンパってるっス。久々にお兄さんと話せて、テンション上がってるっス!」
天川さんはそう言って、顔を真っ赤にして慌てふためく。……この子、こんな子だったっけ? 昔はもう少し、落ち着いた感じの子だったと思うけど……。まあしばらく会ってなかったし、変わっていてもおかしくはないのか?
「まあとりあえず、落ち着いてよ」
そう声をかけるが、天川さんは一向に落ち着く気配がない。
「無理っス。やっぱ今日は帰るっス! すいません! 失礼するっス!」
天川さんはそう叫んで、一目散に走り去ってしまう。さすがは陸上部、足が速い。
「……よく分からないが、摩夜にあんな元気な友達がいるなら、よしとするか」
そう1人呟いて、歩き出す。
……が、すぐに背後から声が響いた。
「真昼。……今の、だれ?」
振り返る。姉さんだ。
「……なんだ、姉さんか。外、出てたの? 珍しいね」
「うん。で? 今のだれ? なんか私の目には、真昼が摩夜ちゃんをダシにして、無理やり家に連れ込もうとしているように見えたんだけど……」
姉さん。何故か、瞳孔が開いてる。もしかして、怒ってる?
「なに怒ってるんだよ。そんな訳ないだろ? あの子は摩夜の様子がおかしかったから、家まで様子を見に来てくれたんだよ」
「……本当に?」
「当たり前だよ。俺が女の子を口説いて家に連れ込むなんて、そんなことする訳ないだろ?」
別に女の子が苦手って訳じゃ無いけど、俺にそこまでの甲斐性はない。
「…………だよね! よかった〜。今朝私にあんなことしたのに、夕方には別の女の子を口説いてるなんて、流石のお姉ちゃんでも見過ごせないよ」
そこでようやく、姉さんにいつもの笑顔が戻る。なんかよく分からなかったけど、すげー怖かった。
「……で? 姉さんは何してんの? なんか両手に、すげーいっぱい荷物を持ってるみたいだけど」
「あ、これ? ……実は私ね、料理でも始めてみようと思って、いっぱい買ってきたんだ!」
「料理? なんで? 料理なら、俺が作るけど?」
「真昼にばっか、任せてると悪いじゃん。……それに2人で料理するのも、なんかいいかなーと思ってね!」
「……姉さんがそう言うなら、別にいいけどさ。……まあとりあえず、荷物は俺が持つよ。重いだろ?」
「…………ふふっ。ありがと」
姉さんから荷物を受け取って、歩き出す。
「あー、そういやさ、さっきの摩夜の友達に聞いたんだけど、摩夜、学校でもちょっと様子がおかしかったんだってさ。やっぱり、今朝のは不味かったんだよ。……だからさ、俺が言っても聞かないだろうから、姉さんからフォロー頼めるか?」
「別にいいけど……必要かな? 姉弟で抱き合うなんて、そんなに変じゃないと思うけど……」
「姉さんの価値観はともかく、摩夜は変に思ったってことだろ? 距離をとるのはさ、別にいいし、間違ってはいないと思うけど、それが埋まらない溝になるのは嫌だろ?」
「なるほどねー。……別にいいけど、条件があるよ。条件がね」
姉さんはそう言って、ニヤリと笑う。俺はそれに嫌な予感を覚えながらも、とりあえず中身を聞いてみることにする。
「条件って、なにさ?」
「また、ぎゅっとしてよ。今度は私の部屋で、思う存分。……あっ、また後ろからされるのも、いいな……」
「なんか姉さん、たがが外れてない? ……これは帰ってから聞こうと思ってたんだけど、真面目に姉さん……何かあったでしょ?」
俺の言葉を聞いて、姉さんは蕩けるような顔で笑う。……その笑顔は、まるで今までの姉さんとは別人みたいで、俺の背筋にぞくりとした悪寒が走る。
「言ったでしょ? それは、内緒」
「…………姉さん。俺は──」
「分かってる。心配してくれてるんでしょ? 真昼は私のこと、大好きだもんね。……でも、大丈夫だよ。真昼の側には、ずっと私が居てあげるから……」
姉さんが、俺の手を握る。
「…………」
……俺は軽くため息を吐いて、その手を握り返す。多分、今の姉さんに幾ら尋ねても、答えてはくれないだろう。今朝甘えたから、ちょっとは素直になっているだろという目論見は、どうやら外れてしまったようだ。
……これは、摩夜へのフォローも自分でした方がいいかもな。そんな風に頭を悩ませながら、姉さんと一緒に帰路につく。
「ふはっ! 触って貰った。触って貰った。触って貰った。触って貰った。触って貰った。触って貰った。触って貰った。触って貰った。……お兄さんが、あたしの手に、触ってくれたっス……!」
だから無論、久しぶりに会った少女の異常性なんかに、俺が気がつく訳も無かった。
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