弟は気づきません!

 


 朝。早めに起きて、朝食の準備をする。……といっても、目玉焼きとトーストとサラダという、お手軽料理だが。


「…………ねむ」


 昨日、姉さんに遅くまで付き合わされたせいで、かなり寝不足だ。噛み殺しても噛み殺しても、欠伸が口から溢れる。


「おっはよう! いい朝だね! 真昼!」


 何度目かの欠伸を噛み殺していると、背後からそう声をかけられる。


「……姉さんか、おはよう。昨日あれだけはしゃいでたのに、随分と元気だね」


「お姉ちゃんは、元気と可愛いさだけが取り柄だからね」


「ああ、そう。……というか、姉さん今日は大学休みだって言ってなかったけ?」


「そうだよ」


「それにしては、随分と朝早いんだな。……珍しい」


「そりゃね。真昼が頑張って朝ごはん用意してくれてるんだから、早起きくらいするよ」


「嘘つけ、休みの時は昼頃まで寝てる癖に」


「心を入れ替えたんだよ!」


 えへん、と姉さんは胸を張る。頭についた二本の寝癖が、ぴょこぴょこと揺れる。


「そうですか。……ま、早起きして悪いことはないんだし、いいんじゃないの?」


「えへへ、でしょ? ……でも悪いね、真昼にばかり料理させて」


「……あの人たちは仕事で出てるし、そうじゃなくても忙しいからな。料理くらい、俺がやらないと」


「お姉ちゃんが料理できれば、よかったんだけどねー。お姉ちゃんも摩夜ちゃんも、料理はへたっぴだからねー」


「いいよ。別にこれくらい」


 そう言って、目玉焼きを皿に載せる。


「できた弟をもって、お姉ちゃんは幸せだよ。勉強できて、運動もできて、料理もできて、おまけにイケメン! 真昼は完璧超人だよ!」


「……俺は、ただの器用貧乏だよ。勉強は俺より姉さんの方が得意だし、運動は摩夜の方が得意だ。俺はただ……何だろう? 頑張りたいだけなのかな」


 できる2人に、置いていかれたくない。子供の頃はそんな風に考えて、必死になって努力した。だから今の俺は、結構器用に色々できる。……でもそれは所詮、器用貧乏。できる奴には敵わない。


「…………でも最近さ、真昼はちょっと頑張り過ぎじゃない?」


「なんでだよ? いつも通りだろ?」


「うん。でもさ、真昼は最近……ちょっと落ち着いちゃったじゃん。昔みたいにはしゃいで、突拍子も無いバカな事とかしなくなったし……お姉ちゃんは、ちょっと寂しいよ……」


「…………」


 姉さんは本当に寂しそうな顔で、こっちを見る。そんな顔をするなんて、姉さんらしくない。


 ……いや、しかし、あれ? 俺そんなバカなこととかしてたっけ? ……摩夜の誕生日に、ロウソクのコスプレをしたことか? それとも、ハロウィンの時にマヨネーズのコスプレをしたことか?


 ……どっちも別段、変じゃ無いよな……?


「…………ねえ、真昼」


「なに?」


「ぎゅっと、してよ」


「……は? 突然なに言い出すんだよ、姉さん。……もしかして、寝ぼけてる?」


「違うよ。お姉ちゃん最近、夢見が悪くてさ。ちょっと寂しいんだよ。……だから、お願い……」


 らしくもなく、姉さんは本当に寂しそうだ。昨日はあんなにはしゃいでたのに……いや、はしゃいだ次の日に寂しくなるのって、そう珍しくも無いのか? 俺にはイマイチ分からない。


 いやでもだからって、抱きしめるのはな……。もう子供じゃ無いんだし、色々と問題が……。


「…………」


 なんとなく、姉さんの無駄にデカイ胸に視線がいく。別に意識してるとかそういうんじゃ無いけど、それを見てるとダメなことのように思えてしまう。


「……だめ?」


 しかし、姉さんにそんな悲しそうな顔をされると、俺は断れない。


「………………分かったよ。摩夜ももうすぐ下りて来るだろうから、ちょっとだけな?」


「わーい!」


 そう言って、姉さんは俺の胸に飛び込んでくる。柔らかい感触が、否応なしに身体に押し付けられる。


「……安心するか?」


「うん。充電されるよ」


「ならよかったよ」


「頭撫でて〜」


「……はいはい」


 姉さんは見た目がいいけど、性格がちょっと破綻してるから、昔から男っ気がない。……いや、それを言うと俺ら兄妹は全員そうなんだけど……。まあだから、姉さんは誰かに甘えたい時は、よく俺の所に来る。……と言っても、こういう風に抱きしめるのなんて、小学生のとき以来だろうか。


 最近、姉さんは少しおかしい。……いやそう言えば、摩夜も最近急に辛辣になったんだった。もしかして2人に、何かあったのだろうか?


「なあ、姉さん」


「なに?」


「……何か辛いことがあったら、言えよ」


「…………うん。でも大丈夫だよ。……あったのは辛いことじゃなくて、嬉しいことだから。……ずっとそう、願ってきたんだから」


「……どういう意味? それ」


「ないしょ」


「なんだよ、それ」


 姉さんは俺の腕の中で、楽しそうな笑顔をこぼす。この調子だと、そんなに心配する必要は無いな。そう思って視線を上げる。




 ……すると、こちらを侮蔑するような目をした妹の摩夜と、目が合ってしまった。


「…………」


「………………」


 俺は何も言えない。摩夜も何も言わない。


「ねえ、真昼。今度はお姉ちゃんが、甘えさせてあげるよ。お姉ちゃんの柔らかーい身体を存分に……って、あれ? どうかしたの?」


 呑気な姉さんも空気の変化にようやく気がついたのか、不思議そうに視線を後ろに向ける。


「あ、なんだ、摩夜ちゃんか。おはよう」


「……おはよう。姉さん」


「…………」


「………………」


 どうしよう? なんか摩夜は、言葉では言い表せないような複雑な表情で、こっちを見てくる。何故かいつもみたいに、怒鳴ったり蔑んだりしてこない。だからこっちも、何を言うべきか迷ってしまう。


「……私、もう学校行くから」


 摩夜はそう小声で言い捨てて、早足に家を出て行ってしまう。俺は最後まで姉さんを抱きしめたままで、何も言葉をかけられなかった。


「…………昨日あれだけ言ったんだから、流石の摩夜ちゃんも、怒れないか……」


 胸の中で、姉さんは何か小声で言葉をこぼす。


「……なんか言った?」


「ううん、何でも。……うん。もう大丈夫だよ。ありがとうね、真昼」


 姉さんはそう言って、俺から離れる。


「摩夜、朝ごはん食べずに行っちゃったよ。……大丈夫かな?」


「大丈夫だよ。あの子も子供じゃないんだし、コンビニでもなんでも寄っていくでしょ?」


「なら、いいけど」


  でもやっぱり、心配だ。……あーいや、こういう過保護は辞めようって決めたんだった。だって、姉さんの作戦は今のところ……ってあれ?


「……ふと思ったんだけどさ。姉さんの作戦、もしかして逆効果なんじゃないか?」


 摩夜と距離を置けば置くほど、摩夜の態度が辛辣になっているような気がする。


「なんで? 今だって、普段なら怒ってたところなのに、摩夜ちゃん怒らなかったじゃん」


「あれはもう、見捨てられたんじゃないか?」


 すげー冷たい目だったし。


「大丈夫だよ。摩夜ちゃんは、絶対に真昼を見捨てたりはしないから」


「本当かよ?」


「うん、そこは大丈夫。それより、ご飯食べよ? 私は大丈夫だけど、真昼は遅刻しちゃうでしょ?」


 姉さんはそう言って、俺に背を向ける。摩夜の態度ばかり気にしていたけど、何となく姉さんにも問題があるような気がしてきた。


  ……いや、姉さんはいつも通りなのか? 姉さんはいつも突拍子がないから、何考えてるか分からないことが多いんだよな。


「…………」


 だから俺は、意を決して姉さんの背中に抱きついてみた。


「ふやっ⁈ ちょ、え? ど、どうしたの? 真昼。きゅ、急に抱きついたりして……!」


「いや、言ったろ? 甘えさせてくれるって。……もしかして、嫌か?」


「う、ううん! そんな事ないけど……でも、急だし、それに……後ろからは、反則だよ……」


 俺からすれば前から抱きしめる方がずっと恥ずかしいんだけど、どうやら姉さんは後ろからの方が恥ずかしいらしい。すごく動揺してる。


「姉さん」


「な、なに?」


「もう少しだけ、このままでいいか?」


「ど、どうぞ……」


 そうしてしばらく、姉さんに抱きつく。と言っても、1分や2分くらいだろうけど。姉さんはよく、お姉ちゃんに甘えていいよ? とか言うけど、実は甘えられるのが苦手だ。こんな風に不意にこっちが甘えると、いつもすぐに黙ってしまう。


「……ありがとう、姉さん」


 そう言って、姉さんから手を離す。


「別に良いけど……。真昼は本当、甘えん坊なんだから。……ふふっ」


「かもな。じゃあさっさと、朝ごはん食べようか。もう時間ギリギリだ」


 皿にトーストを載せて、机の方に持って行く。こうやって甘えた後は、姉さんは少し素直になる。正直かなり恥ずかしかったけど、効果はある筈だ。


 だから学校から帰ったら、ちょっと真面目に話をしてみよう。そんなズレた事を考えていたから、俺の耳には届かなかった。本当に聞いておくべき、言葉が。







「…………やっぱり真昼は、私のことが好きなんだ……。……だったら、いいよね……?」



 少しずつ、歯車は狂っていく。俺はまだ、それに気がつかない。

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