お姉ちゃんはご機嫌です!

 


 姉さんとの買い物を終えて、日を跨ぐギリギリ前の時間に家に戻る。流石にこんな遅くまで付き合わされるとは思ってなかったから、かなり疲れた。……まあ、当の姉さんも相当疲れたのか


「ねむ〜」


 と言って、すぐに自分の部屋に引っ込んでしまった。今日は随分とはしゃいでいたし、それも仕方のないことだろう。


「……にしても姉さんも最近、ちょっとおかしいよな」


 今日の……というか、最近の姉さんはめちゃくちゃテンションが高い。両親が仕事でしばらく家を出ているからかもしれないけど、少し羽目を外し過ぎだ。


「まあでも、姉さんが騒ぐようになったのって、摩夜が俺に厳しく当たるようになってからだし、姉さんなりに気を遣ってくれてるのかもな……」


 だとするなら、俺はもう少し姉さんに感謝した方がいいのかもしれない。風呂が沸くのを待ちながら、1人そんな事を考える。


「…………帰ってたんだ」


 そんな時、不意に背中から声をかけられる。


「摩夜か。…………そうだよ」


 俺は努めて冷静に、そう返事をする。あまり馴れ馴れしくすると、摩夜は鬱陶しく思うだろうから。


「…………何よ、そうだよって。……私にあんなこと言った癖に、姉さんとは遅くまでイチャイチャして……気持ち悪い」


「別に、いいだろ?」


「……何がいいのよ? 姉弟でそんな事して……気持ち悪い……!」


「…………」


 そんな事って、こいつは一体なにを言ってるんだ? 姉弟で遅くまで買い物って、そりゃ日を跨ぐくらいの時間まで遊び歩いてるのは不健全かもしれないけど、そこまで言われるようなことか?


「なによ、黙り込んで。大体あんたは……」


 摩夜はそこまで言って、何かに気がついたように黙り込む。


「……俺は、なに?」


「なんでもない! 気持ち悪いから、こっち見ないでよ!」


「……分かってるよ」


「……! …………いつもの……なら、そんなこと言わないのに……」


 小声でボゾボソと喋るせいで、上手く摩夜の言葉を聞き取れない。


「……悪い。今なんて言った?」


「知らない! もう話しかけないで! あんたは……気持ち悪いんだから!」


 摩夜はそう言い捨てて、大きな足音をたてて二階へと続く階段を上っていく。……なんであんなに怒っているのか、そもそも何が言いたかったのか、俺にはてんで見当もつかない。


「……それにしても『あんた』か。別に構わないけど、もうお兄ちゃんとは呼んでくれないんだろうな……」


 俺は軽く息を吐いて、そろそろ沸いたであろう風呂に向かった。



 ◇



 笹谷ささたに 摩夜まやは、自分の感情を抑えつけるように手を強く握り込んで、姉の部屋の前に立つ。


「姉さん。入るよ」


 軽くノックをしてからそう告げて、妹は姉の部屋に踏み入る。


「…………あー、摩夜ちゃんか。……どうしたの? そんなに怒った顔して。真昼と喧嘩でもした?」


「別にお兄ちゃ……あいつと喧嘩なんて、してない。ただ、姉さん。あいつに何か吹き込んだでしょ?」


「……どうして、そう思うの?」


「朝からあいつの態度、ちょっと変なんだもん」


「変って? どこが?」


「それは……」


 そこで黙り込んでしまった妹を、笹谷ささたに 朝音あさねはベッドに腰掛けながら、楽しそうな目で見つめる。まるで妹の心中が、自分には手に取るように分かる。そんな笑みで、彼女はただ妹を見つめ続ける。


「まさか、ちょっと態度が冷たいとか、買い物に行くのに誘ってもらえなかったとか、自分が怒って部屋に戻ったのに様子を見に来てくれないとか、そんな事を言うんじゃないよね?」


「…………」


 摩夜は図星を言い当てられたかのように、気まずそうに視線をそらす。


「あれれ? 何その態度。もしかして図星?」


「そ、そんなわけないでしょ! 私はあいつの事なんて何とも思ってないし、というより嫌いだし! 別に距離をとられたからって、拗ねてる訳じゃない!」


 大声を上げる妹の姿を見て、朝音はまた楽しそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。


「うん。そりゃそうだよね。自分はあんなに辛辣な態度をとってるのに、ちょっと距離をおかれたからって、拗ねたり怒ったりする。摩夜ちゃんはそんな、子供みたいな事しないもんね」


「…………そうよ。うん。そうに決まってる」


「じゃあ、摩夜ちゃん。摩夜ちゃんは私の所に何を言いに来たのかな? 何か用があるから、私の部屋に来たんでしょう?」


「それは……」


 摩夜は必死に言い訳を考えるように、黙り込んでしまう。朝音は表情を消して、そんな妹の姿をただ眺める。カチカチカチと、秒針の音だけが静かに部屋を包む。


「………………私は、姉さんを心配して来たんだよ」


 身体にのしかかる沈黙を振り払うように、摩夜は告げる。


「うん? 私を心配? どうして?」


 朝音は妹の言葉が意外だったのか、何を言いたいのか分からない、といった風に首をかしげる。


「そうよ、私は姉さんを心配してたのよ。だってあいつは…………あれでしょ? だから姉さんもあんまり、その……気を許さない方がいいよ? 姉さんは、美人なんだから気をつけないと──」


「摩夜ちゃん」


 急に流暢に喋り出した妹の言葉を、姉は有無を言わせぬ声で両断する。


「な、なによ」


「真昼はね、私の可愛い弟なんだよ。それ以上はあっても、それ以下は無い。貴方がね、あの子をどう思うかは勝手だし、口出しするつもりもないけど、あの子を軽んじる言葉を言うなら……お姉ちゃん、ちょっと怒っちゃうよ?」


「…………でも……」


「でもは、無いんだよ」


「…………」


 先程よりも重い沈黙が2人を包む。朝音は色の抜けた瞳で、摩夜を見つめる。摩夜はそんな姉の瞳から逃げるように、足元を見つめ続ける。ただ時間だけが流れる。そんな沈黙が、場を支配する。


「なんてね、ごめんごめん。ちょっと怖い声を出しちゃったかな? 摩夜ちゃんを驚かす気は無かったんだよ。なんせ摩夜ちゃんも、私の可愛い妹だからね」


「……うん。分かってる」


「うんうん、なら良かったよ。……それじゃあ、今日はもうおやすみ。私は明日、大学休みだけど摩夜ちゃんは学校でしょ? もう遅いんだから、早く寝ちゃいなさい」


「うん。分かった」


「おやすみ。摩夜ちゃん」


「……おやすみ。姉さん」


 摩夜は引きずるような足取りで、姉に背を向ける。朝音はその後ろ姿を見て、余計だと思いながらも、老婆心で声をかける。


「摩夜ちゃん」


「……なに?」


「あんまりツンデレやってると、お姉ちゃんが真昼を貰っちゃうからね」


「………………知らない」


 摩夜はそう小さく返事をして、部屋を出る。そしてそのまま、ぐちゃぐちゃと思考のまとまらない頭を振りながら、自室に戻り電気もつけずにベッドに潜り込む。


「…………お兄ちゃんは、私だけを…………見てたらいいのに……」


 何故そう呟いたのか、摩夜は自分でも分からなかった。


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