わたくし、書きますわ!

 学問というものはわたくしとても大切だと思いますのよ。


 それがほんとうの学問であるならば。


「お師匠、寒くはありませんか?」

「平気ですよ、ソナタさん」


 お師匠とわたくしは、すぐ近所の芝桜がひっそりと咲いている神社にやって参りましたのよ。地元の人も誰も訪わなくなった静かな神社ですわ。


「お師匠、おみ足が本当に壮健でおられますわ」

「この石段をしょっちゅう昇っているからでしょうね」


 社殿でお賽銭を入れて詣でさせていただいた後で、木陰の長椅子に2人で腰掛けましたわ。


「お師匠、わたくし少し悩んでおりますの」

「そうだろうと思いました。『遠足に行きたい』などと突然言うものですから」

「申し訳ございません。ですけれどもどうしても分からないことがあるのです」

「言ってご覧なさい」

「『学問』で人を救えるのでしょうか?」


 わたくしがこう思ったのには理由があるのですよ。以前台風がこの国を縦断した際に幹線道路が分断されて物流が途絶え、食料品店に食べ物が行き渡らなくなった時、結局はお師匠が畑で作っておられるお野菜を頂いて飢えを凌ぎました。わたくし、いっぱいいっぱい学問をなさった学者やら研究者の方々が大勢おられるのにどうしてこういう根本的な事柄を解決できずにいるのかが分かりませんでしたの。


「『はい』か『いいえ』で答えればよいのですか」


 あ。

 いけませんわ。

 わ、わたくしの本意をお伝えしなければ。


「いいえ!決して人様を中傷するための質問ではございません。わたくしなりの考えをまずお話ししますのでご講評の上、お答えください」

「よろしい」


 ふう・・・・・・


「食糧自給のお話です。それも、とても身近で切実な問題としてのわたくしの意見です。『町単位での自給自足』を目指します」

「結論がズバリと来ましたね。良いですよ。続けて」

「はい。こと食糧に関しては地産地消ということが叫ばれていた中、農業生産の集団化、効率化などで採算性や高齢化による農業生産人口の減少などへの対策といった様々な方向からの解決への道が平行して行われています」

「なるほど」

「ですが、現時点ではどうしても農産物のブランドや地域間でのコスト差があって、遠隔地からの輸送に頼らざるを得ません。地元で作ったお野菜も結局は高く売れる遠隔地へと流すことになるでしょう」

「わたしも概ねそうだと思いますよ」

「続けます。では、『町単位で自給自足』するための具体案です。八百屋さんを復権させます」

「ほう・・・・・・」

「もっと言えば魚屋さんも」

「ふむう・・・・・」

「一番の問題はわたくしたちが自分で食料を自給自足していないことだと思いますの」

「それは自給率の問題ですか?」

「いいえ。数字の問題ではなく、実際にわたくしがいただく三度のお食事の材料を、わたくし自身の手で一種類も手に入れていないということです。たとえばお師匠はお野菜をご自分の畑で作っておられ、それをご自分で収穫なさってわたくしの家の食糧を供給してくださいました」

「そうですね・・・ただ、わたしにしてもお米は作っていませんし、生きる上での全ての食べ物など賄えませんよ」

「もちろん、お師匠にしてさえそうでいらっしゃいます。ですので、町単位での自給自足なのです」

「つまり、こういうことですか?人里では田畑を耕し、山があれば山菜や鳥獣を狩猟し、海があるのならば漁師が魚を獲る。そして物流も町内の単位で行い、八百屋や魚屋で販売する、と」

「はい。スーパーマーケットは今や広域圏の商売ですから物流が絶たれた途端に生きるための食糧を人々が得られなくなってしまいます」

「それと学問とどう因果するのです?」

「はい。『食べないと、死ぬ』ということは赤子すら分かりきった事実ですのに、どうして頭脳を結集し、天才と呼ばれる方達が寸暇を惜しんで研究し、経済界の専門家たちが練りに練ったであろうはずの今のシステムの根拠となっている『学問』がこういうことをおやりにならなかったのだろうかと・・・そう思うのですわ」

「ソナタさん。『学問』とはなんですか?」

「今わたくしが申し上げたような学者や研究者や専門家の方々の思考、ではないでしょうか」

「違います」


 えっ・・・・・・


「で、ですけれどもお師匠。世の中の様々なことは緻密に考え尽くされて出来上がっているはずではないですか?その仕組みを考えに考えた方たちの営みこそ学問ではないですか?」

「では、質問を変えましょう。『偉大な学者』とは誰ですか?」


 わたくし、はた、と困りましたのよ。

 だって、こんな質問、思いもしなかったものですから。

 止むを得ず咄嗟にノーベル賞を受賞なさった方々のお名前を何人か申し上げましたわ。


「その誰も、ほんとうの『学者』ではありません。よいですか、ソナタさん」

「は、はい・・・・・・」

「真の学者とは、たとえば『聖徳太子』」

「はっ・・・・・」

「それから、『菅原道真公』」

「・・・・・・ああ・・・・・」

「私心なく、私欲なく、どこどこまでも世の安寧を願う真心と国民を想う慈悲の誠心がない者は、どんなに頭が良くても、どんなに優れた業績を残しても、誠の学者ではありません。現実に、天才、と呼ばれた者たちの研究が、人間の身も心も焦がし尽くす悪魔の如き『発明』程度の物体しか生み出さなかった例など星の数です」

「・・・・・・・そうでしたわ・・・・」

「よいのです。ソナタさんは曲がりなりにも赤子の頃からわたしの元に通ってくれて、わたしはあなたにそういう物の考え方の根本を教えてきたつもりです。今日ただいま、それを改めて伝えることができてわたしも本望です」

「・・・・・ありがとうございます。もうひとつ申し上げてもよろしいですか?」

「なんなりと」

「では、世を救う小説とは、そういう真心や誠心を読む方にそっとお伝えする小説のことなのですね」

「よろしい!その通りです。そして、ソナタさん、あなたにはそれができます」

「いえ。こうしてお師匠との対話がないと到底できないことですわ」

「大丈夫ですよ。わたしのことはせいぜい参考書程度に活用してもらえれば事足ります。ソナタさんの筆染めを必ずやかつての真の学者たちのココロが後押ししてくれるでしょう」

「はい・・・・・・・お師匠、最後にもうひとつお聞きしてよろしゅうございますか」

「よいですよ」

「お師匠がいつも眺めておられる男の子の木彫りのお人形・・・あれは聖徳太子さまでございますね」

「はい。そうですよ」


 ええ、そうですとも。

 わたくし、やりますわよ。

 どんなテーマの、どんな設定の小説になるかはわかりませんけれども、きっとやりとげることができると思いますの。


 わたくし、書きますわ!

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