閉じた世界【短編】
疑わしいホッキョクギツネ
閉じた世界【短編】
量太は大学での講義が終わるとまっすぐ駅に向かい帰路につく。日はすっかり暮れていて、肌寒い。1月の寒風が量太を撫でる。
ゼミでの課題を終わらせてしまおうと、最寄り駅近くのカフェに入った。家では集中できないのだ。
アイスコーヒーを注文して、二人掛けのテーブルのソファ側に腰かける。ノートパソコンを開き、準備をする。
パソコンに向かい、神妙な顔をしてデータを入力していると、隣の席の男女の会話が聞こえてきた。
量太は隣の男女の会話に集中する。声は大きくないが、かろうじて聞きとれる。量太と同じで大学生ぐらいだろう。盗み聞きしていると思われたくないので、目線はノートパソコンに向けて、適度にタイピングの動作をする。
女は量太の隣のソファに、男は斜め向かいの椅子に腰かけている。
「すごい。どうして分かるの?」
女の声がゆったりと量太の耳に馴染んできて、明瞭に聞きとれるようになってきた。
声は少し低い。透きとおっていて、小川の流れのようにゆったりとしたいて安心する印象がある。
「うん。なんとなく。……そういう風に思ってるんじゃないかって、ね。だからカナコはもう少し彼氏に弱み見せたほうがいいよ。カナコは強い女だって勘違いされてるんだよ」
女の名前はカナコというのか。量太はノートパソコンに『かなこ』と入力し漢字に変換する。『加奈子』『佳奈子』、あんまりみたことはないけれど『可南子』もありか。何度か『かなこ』を変換した。なんとなく『加奈子』がしっくりくる。
どうやら二人は付き合ってはいないようだ。カナコが男に恋愛相談をしているらしい。
男は腕を組んで考える素振りをして、言った。
「カナコはねえ、自分でも気づいてないんだよ。もう、そういうサバサバしてますって感じやめようよ」
「そうかな。わたし、重いのかな」
「重いっていう言いかたになるか分からないけど。サバサバだったりドライだったりするわけじゃないと思うよ」
「そうかな」
「うーん…。俺はそんな気がするよ」
男は神妙な面もちで眉間に皺がよっている。どうやらカナコが彼氏に何かを勘違いされているようで、それに納得していないカナコがこの男にそれを相談しているようだ。
量太はちらちらと男の様子を観察する。
男の髪は茶色に染まっていて、垂れ下がっている。縁の太い眼鏡をかけているが知的には見えず、どちらかというと軽薄な印象をうける。男はカナコから相談されていることに鼻の穴を膨らませている。
カナコの様子を知りたいが、真横にいるため安易に視線を向けることができない。
「やっぱり先輩に相談すると楽になります。なんていうか、自分でも気づかないようなことを指摘してくれるので」
カナコは早口でまくしたて、続けて言った。
「先輩ならきっと、なにも言わなくても言い当てちゃいそうですね」
男はカナコの先輩らしい。
盗み聞きにも飽きてきた。自分はなにをしているんだと情けなくもなってきた。
量太は改めてパソコンに視線を固定して、課題に集中する。
その後もカナコと先輩の話は続いていた。はっきりとした会話までは把握できないが、先輩が愚にもつかないようなセリフでカナコの「気づかないようなところ」に触れて、カナコは先輩の安い鋭さに感心して声音を高くする。
この先輩はグループの中では相談役みたいな立ち位置なのであろう。その立ち位置に先輩自身も満足していることだろう。相談する側からすれば、言ってほしいことを言ってくれる便利なやつぐらいにしか思われていない。お互いに向き合って言葉を発しているが、そんなのは一人遊びではないか。
それっぽいことを言って、それっぽい返事をする。
僕もそうなのだろうな、と量太は心の内で呟く。
僕には人の気持ちが分からない。
人の気持ちを言い当てることがそんなに偉いのか。それだけで人格者みたいな扱いをされるのはどうしてなのだろうか。
パソコンを閉じて、帰りの支度をする。コーヒーは半分ほど残っていた。
外に出ると室内で暖まっていた身体が冷えていく。上着のポケットに手を入れて、肩を少し上げて歩きだす。
等間隔で吐く息が、白くなるのを意識しながら歩くのが妙に心地良かった。
閉じた世界【短編】 疑わしいホッキョクギツネ @utagawasiihokkyokugitune
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