第11話 龍也…その素顔

龍也…その素顔



「ったくよぉ、綺麗事じゃねぇんだよ」


wiilのお店が引けた後、一緒に帰宅した龍也がそうひとくさりし、ベットの上で大の字になった。


私は後頭部を平手で殴られた様なバツの悪さで、痩せた両肩の中に細い首を沈めた。


何か言わなきゃ…そう思っているのに、今の龍也にかける言葉が見つからない。


「大体な、俺が毎月いくらの義理を払ってると思うよ?」


「ギリ?」


「そうだよ義理だよ義理、上納金!」


まったく、そんなことも分からないのかとでも言いたそうに、冷たく吐き出される龍也の言葉…。


「いくらなの?」


毎月払うヤクザの上納金など、夜の世界に紛れ込んで日の浅い私に分かるはずもない。


「30だよ30、さんじゅうまんえん」


ほぼ1ヶ月分の私の給料…。


それだけじゃない…誰が見てもわかるハイブランドの洋服、遊ぶのもヤクザの仕事と公言する龍也の酒代はいったいどれ程の金額なのだろう…。


すべての人に平等に与えられた時間軸の中で、朝早くから夜半過ぎまで親分さんと行動を共にする龍也に、その金を捻出する時間などない事は、世間知らずの私にも容易に推察することが出来た。


今の龍也の生活を円滑に回すためには、安易にお金を手にしやすい違法薬物の転売しか無いのかもしれない。


たった今大きなため息と共に吐き出した龍也の抗議の意が私に伝播するまで、それ以上の時間や言葉さえ必要はなかった。


「どうするの?まだ続けるの覚醒剤…」


龍也の目を見ずに私は聞いた。


「お前はどうなんだよ、俺がどこでどうやってシノギを掛けてるか(金を手にしてるか)いちいち泉ママにチンコロするのかよ?」


龍也の不機嫌が増してくる。 


「そんな事…」


口籠もる私…。


私はいったいどうするつもりなのだろう…。


あの日…泉ママの部屋に呼ばれ、泉ママの独白を聞くまで…覚醒剤を使うか使わないかは自分の意思一つだと思っていた。


だがしかし…あの泉ママでさえ薬物を断ち切るには、壮絶な苦しみと闘わなければいけないことを教えられた今は、目の前にいる龍也にそんな思いをして欲しくはないと思う私がそこにいた。


「ねえ龍也…」


私の問いかけに、片眉を上げて龍也が答える。


「龍也にとって覚醒剤を売ることと自分で使う事は同じことなの?」


気になっていることを聞いた。


「あぁ?」


問い返す龍也。


「だって泉ママは疲れた顔をしてると良くない噂が立つって言っただけで、売ることまで止めろとは言わなかったじゃない」


そう言った私の考え方は、少しだけ龍也寄りだ。


「お前よ、きょう覚醒剤がいくらするか知ってんのかよ。買いました、ガセネタでしたはシャレにならねぇんだよ」


確かにそうだろう。


「オマケによ、人様にクソみたいなネタを売った後じゃケジメの話にもなんだろうが」


またしても、そんな事もわからないのかとでも言う様に龍也が顔をしかめる。


「じゃあ…じゃあだよ、覚醒剤を売ってる人はみんな自分でもやってるの?」


当然の疑問をぶつけた。


「やらねぇヤツはモルモットを飼ってるんだよ」


「モルモット?」


「テスターだよテスター!」


相変わらず龍也の話し方は投げ出す様だ。


「分からないよ龍也…私にもわかる様に教えてよ」


消え入る様な声で、私はどうにかそれだけの言葉を吐き出した。


「ったくよ…」


そう言った後、龍也はようやくベッドの上に起き上がり、ヘッドボードに背中を預けた。


「いいか…テスターってのはよ、そのネタが良いか悪いかテストするシャブ中の事だよ」


「シャブ中…」


龍也が言った言葉に私は絶句する。


「そうだよシャブ中だよ」


私はその言葉に、ただ無言で頷いた。


言葉は出なかった。


それはつまり…龍也もシャブ中なのかと言う思いが、頭の中をかすめたから…。


『あなたもシャブ中なの?』


聞けるはずのない問い掛けが頭の中を通り過ぎた。


「龍也にもテストしてくれる人がいるの?」


聞いた途端、龍也の不機嫌が最大限に膨らみ大きな音を立てて爆発した。


ベッドのサイドテーブルに置かれたステンドガラス細工のスタンドが、壁に叩きつけられ粉々に砕けた。


「黙って聞いてりゃ根掘り葉掘りこのアマァ!」


龍也と再会して以来、初めて見る龍也の粗暴な姿だった。


「ちょっとやめてよ…ここは泉ママが大切にしてる部屋なんだよ」


私は難を逃れようとマッチ箱のような狭いワンルームの片隅に、できる限りの龍也との距離をとった。


一度暴れると手がつけられない…若かりし日の龍也を嫌と言うほど知っていたから…。


「手前ぇ、今日一日どれだけ俺をイラつかせたら気が済むんだよ」


ギラつく龍也の目が落ち窪んでいる。


部屋の中はまだ暖まっても居ないと言うのに、うっすらと浮かぶ額の汗…。


こんな私でも…龍也が薬物依存者だと分かるほどに、この一瞬で龍也の様相が変わった。


その事実に私の恐怖が増していく。


「龍也…」


名前を呼ぶのがやっとだった。


「いいか…親分付きなんて言ってもな、ヤクザの世界じゃ俺なんざまだ駆け出しなんだよ。薬の世界じゃど素人も一緒よ。 その俺が型に嵌められないなんて誰が言える?オマケにそのネタが毒薬だったとしたら、そのモルモットの命を奪ったとしたら誰が責任を取るんだよ?自分で確かめるしかねぇだろうが!」


鬼のような形相…そんな顔つきで龍也は私の顔を睨みつけ、それだけの事を一気にまくし立てた。


壁に投げつけられ、粉々に砕け散ったステンドグラスのナイトスタンド…。


私は飛び立ったガラスの破片で自分の足を傷つけないよう部屋の中でサンダルを履き、ナイトスタンドの残骸を拾い集めながら、たった今龍也が言い放った言葉を何度も頭の中で繰り返し聞いていた。


ヤクザであるが故に…義理と呼ばれる会費を払い、その金を捻出する為に覚醒剤を売り、その覚醒剤を買う人のために自分の体で品質を確かめ、それを見抜いた人物から非難を受ける。


その人物が親分の姐さんと言っても良い立場の泉ママで、親分も気がついているはずだと言われてしまえば…龍也が今、自分を犠牲にしてやっていることは一体なんなのだろう…。


骨の髄までしゃぶりつくす……覚醒剤をシャブと呼ぶ語源はそんな言い回しから来ていると聞いた事があった。


末端の覚醒剤常習者を骨の髄までしゃぶりつくすのは、もちろんその提供者である売人だ。


だがしかし…その提供者である売人が覚醒剤の常習者だとしたら…骨の髄まで龍也をしゃぶりつくすのは一体誰なのだろう…。


龍也は優しすぎるのだ…そう、ヤクザをやるには龍也は優しすぎる。


テスターと呼ばれるシャブ中がどうなろうと、ガセネタと呼ばれる品質の悪い覚醒剤を売ろうと、違法薬物に関わっている人間に道理などあるはずも無く、自分の体に薬物さえ入っていなければどうにでもかい潜ることの出来ることばかりではないのだろうか。


毎月納める組織への上納金を生み出す為…その為だけに龍也が覚醒剤に関わっているとするなら…毎月、私が龍也の代わりに30万円の組織への上納金を用意する事ができたなら…龍也はあの頃の龍也に戻る事ができるのだろうか…。


一度薬物によって犯された脳みそは二度と元に戻ることはない…泉ママに聞かされた依存症と言う病気の恐怖。


親分や泉ママの昔がどう言う人格だったのかは知らないが、今の二人は実の父か母親と思えるほどの人格に溢れている。


龍也だって…龍也だって薬さえやめれば、真夜中の壁にスタンドを叩き付けるような粗暴さは消えてくれるはず…。


あの頃の優しい龍也に戻ってくれる…毎月の組織への上納金は私がなんとかしよう…。


砕け散ったガラスを拾い集めている間、龍也はトイレの中に入ったままだ。


どれほどの時間が過ぎていたのだろう…、


5分、いや10分かも知れない。


勢いよく流れる水の音と共に龍也がトイレから出て来た。


その気配を私は震える背中で聞いていた。


龍也が私の背中に近づくのを感じていた。


マッチ箱のような小さな部屋…トイレから僅かな歩数で部屋のどこへだってたどり着ける。


それでも…龍也がまっすぐに私の背中に向かっているのを確信していた。


殴られるかも知れない…私はそう思い身を堅くした。


他人から受ける暴力…龍也が責任を取って警察に出頭したあの暴走族同士の抗争事件以来、私は誰かに殴られた事がない。


殴られた時の痛みさえ忘れかけている…。


なのに…チームの中でも特に喧嘩の強かった龍也、その龍也に殴られたとしたら…今の私なら…暴力と言うものに免疫を無くなってしまった今の私なら、簡単に意識を失ってしまうだろう。


嫌だ…絶対に嫌だ…やっと再会できた、あれほど恋い焦がれた龍也との最後の別れが、龍也の暴力によって意識を無くしている間なんて事を受け入れることは出来なかった。


話し合わなきゃ…私が悪いんだ…泉ママに龍也の事を告げ口した私が…いや、告げ口なんてしてない…泉ママが気づいて私に忠告しただけ…そんな事をこの一瞬でどう龍也に説明できるのか…。


出来るわけがなかった。


龍也が私の肩に手を置いた…。


穏やかな顔に戻って居た。


黒ずんだ顔、落ち窪んだ目、額の脂汗…その全てが嘘のように消え、穏やかな優しい龍也がそこに居た。


砕け散ったステンドグラスのスタンドを片付けている間、トイレにこもった龍也が覚醒剤を使った事に私はすぐに気付いた。


一瞬で変わる人格…その恐怖に私は言葉を発する事もできずに震えて居た。


それでも、優しい龍也で居てくれるなら…それでも良いと思う私がそこに居た…。





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