第6話 泉ママ

泉ママ



「『振り向いちゃダメよ、後ろからついてくるの補導員だか

らね。うんと馴れ馴れしくしなさい』ヒロシママはそう言って私と太月ちゃんの髪をくちゃくちゃに撫で回したのよ」


「私達も役者だったわよ『おばちゃん久しぶり』なんて言いながらまとわりついちゃってさ、後になってガキのくせにその機転が良いってヒロシママは良く褒めてくれたけど」


間も無く夜明け間近だと言うのに、泉ママと太月姐さんの昔語りは終わりそうにない。


ただ聞いているだけの私でさえ、何時迄もこの時間が続いて欲しいと思っていたのだから、当時を知る泉ママや太月姐さん、それに親分は私や龍也以上にこの時間を楽しんでいるはずだ。


それを証拠に、今夜三本目のドンペリのロゼが、たった今封を切られたのだから。




「えっ、Baby Catsのヒロシママとそこで待ち合わせしてたんじゃないんですか?」


私はそのシチュエーションが分からず、思いついた事をただ口から吐き出した。


「だからアンタは馬鹿だって言うのよ!右も左も分からない田舎の小僧が、どうやってヒロシママと繋ぎを取るのよ」


太月姐さんに言われ、確かにその通りだ…とは思ったものの、ではどうしてヒロシママは二人に声を掛けたのだろう…。


私はそのままの疑問を二人に尋ねた。


答えてくれたのは泉ママだ。


「そこがね…ヒロシママのスゴいところ…一瞬で見抜くのよ、その人の置かれている状況を」


「じゃあ、ママと太月姐さんが家出してきた事も…ですか?」


「そう、簡単に見抜かれちゃった」


そう言って笑った泉ママの目に、涙が溢れていた。


「ちょっと泉なによ…こっちまで貰い泣きするじゃないよ」


太月姐さんが泉ママの隣に駆け寄り、優しく肩を抱いた。


「お母さんに会いたくて…あたしお母さんに…」


「アンタ飲み過ぎよ…ほら、しっかりしなさい」


冷たい水の入ったグラスを太月姐さんが泉ママに手渡した。


「どら、今日はもうお開きにするか」


親分がその場を取り繕うように、皆に提案をした。


私もしたたかに酔っては居たけれど、まだ帰りたいとは思えなかった。


「誰が帰るなんて言ってんのよ!今日はとことん飲むって言ったでしょ!」


明らかに、何時もとは違うテンションの泉ママ…。


目は完全に座って居る。


どうやら…酒癖はあまり良くないのかも知れない。


おもむろにシャンパンクーラーの中からドンペリのボトルを抜き取り、泉ママはラッパ飲みを始めた。


そして喉を波打たせゴクゴクとドンペリを飲んだ後「美和飲みなさい」とそのボトルを私に渡した。


私はその高価なお酒に口をつけて飲む事に抵抗を感じた。


一瞬の躊躇…。


「美和っ!飲めないって言うの!」


泉ママの罵声…。


「美和、飲みなさい」


諦め切った太月姐さんの溜息…。


「こうなったら一回りするまで終わらないから」


太月姐さんに言われ、私もドンペリを喉を鳴らしてラッパ飲みにした。


泉ママは大喜びだ。


「つぎ太月ちゃぁん」


泉ママは次々と指名をして行く。


そして全員が飲み終わった後、最後に泉ママがドンペリを飲み干した。


泉ママは最高に上機嫌だった。


「お前は相変わらずだな…」


泉ママを嗜めようともせず、親分は穏やかに笑っている。


その時、太月姐さんが微かな声で「美和、覚えておきなさい。これで誰か一人でも飲むのを断ったら、修羅場に成るからね」と言った。


普段の泉ママからは想像もつかない一面…太月姐さんさえ震える修羅場とは…怖いと思いながらも、その両極端な一面に、私は更なる泉ママへの憧れを強くして行った。


「あの時ね…お、お母さんが拾ってくれなかったらね…ほ、補導員に捕まって……捕まって…ぐっ…ぐぐ…すぅ…すぅ…」


散々みんなにシャンパンをあおるようにすすめ、強かに酔った泉ママはサッサと自分だけ寝てしまった。


「あの頃、補導員が一番厄介でね、そんな事さえ知らない田舎者二人…ましてや16歳よ…一歩間違えればヒロシママの手が後ろに回った…それなのに…目が飛び出るような値段のフルーツパフェを食べさせてもらって、挙げ句には今日からなにも心配するなって…私たち二人が性同一性障害である事…故に私たち二人が愛し合っているわけではない事…ヒロシママはね、瞬き一つしないでジッと話を聞いてくれたの。それから泉はヒロシママの絶対信者…全てママの言いなり…たった一つの事を除いてね」


自分の膝の上で寝てしまった泉ママの髪を、太月姐さんは愛おしそうに撫で回しながらそう呟いた。


「泉ママが言う事を聞かなかったたった一つの事…」


太月姐さんの言葉を受け、私が自分の口の中だけで繰り返した言葉…。


それは質問なんかではなく、ただの自問自答に過ぎなかった。


それでも、太月姐さんはその言葉の破片を拾いつつ、昔語りを続けてくれた。


「結婚よ、ヤクザとオカマのケッ、コ、ン…」


「けっこん!」


私は大声を出した。


ヤクザの性別はとも角、オカマの結婚など出来るのだろうか。


「まあ、美和じゃなくてもそう成るわね」


そう言った太月姐さんも眠りに落ちそうだ…。


「話の続きはまた今度にするか」


親分はそう言って席を立った。


「アタシはここで失礼するわ」


泉ママを膝に乗せたままの太月姐さんが言った。


「済まんが後のことは頼んだぞ」


親分が太月姐さんに頭を下げた。


「いつもの事よ」


太月姐さんはそううそぶいた後、急速に迫り来る眠気にその身体を寄せて行った。


「またゆっくり来るからよ」


帰り掛け、龍也が早口で私に言った。


「歴史は繰り返す…か?」


親分はそう言って大声で笑った。


その声で起きたのか、泉ママがムクリと起き上がり「なによ…」と一言呟き、周りを見廻してから、再び太月姐さんの膝枕で寝息を立て始めた。


「ちょっと早く行ってよ、今ここで目が覚めたらまた大暴れなんだから…美和もそのままお店の外に出て…後は私が引き受けるから」


太月姐さんが、哀願する様に皆を追い払った。


真っ暗いフロアーを抜け、私と親分、龍也の3人でエレベーターに乗って地上に降りた。


正に通勤ラッシュの時間帯…タクシーも拾えそうに無い。


「親分、事務所から若いのが車で向かってますので」


龍也が親分に言った。


「お嬢、家は遠いのかい」


親分が私に聞いた。


「歩いて10分も掛かりません」


私は答えた。


親分は満足したように頷き「酔いもすっかり覚めた、お嬢を送って行くぞ」と言って歩き始めた。


そして親分の昔語りが始まった。


「俺がお前の兄貴になってやる…そう言ったら、誰がヤクザなんかの舎弟分に成るもんかってよ…クックック…」


親分はその時の事を思い出したのか、話しながらも一人で笑いの中に落ちて行く。


「えっ、泉ママの事ですか?」


私の質問も、朝日の眩しさで切れ味を失っている。


「他に誰がいるんだい…」


親分はそう言ってまた「クックック…」と笑った。


「奥さんならなっても良いわ、それ以外はヤクザとの縁なんて真っ平ごめんですってよ…そりゃ『はぁ?』っ成るわな…オカマと結婚なんて言われたってどうすりゃ良いのかよ…」


「どうしたんです?」


龍也も、この話に興味を持ったらしい。


「養子縁組にて籍を入れるしか無いわな…俺も口を切った以上、後には引けねぇし、仕方ねぇ女房にしたよ」


べらんめい口調の親分の江戸弁は歯切れが良い。


「泉ママと知り合ってどれくらい経ってからですか」


私は聞いた。


「次の日よ」


親分はそう言って豪快に笑った。


私と龍也は、その笑いにつられながらも、目をまん丸くして驚くしか無かった。


「親分、全く意味が分からないんですけど」


龍也が親分に説明を求めた。


「まあ、実際には泉が18歳に成るのを待って養子にしたから、二年弱は内縁ってやつだったけど、約束したのは会った次の日だ」


「えっ、親分って女にしか興味が無いって太月姐さんが…」


私は当然の疑問を口にした。


「あぁ、そりゃ今だって変わりないさ。それだけじゃない深い事情ってやつが有ってな…それはまた今度話す機会があるさ…それより、職業柄いつも懲役ばかり行ってアイツを独りぼっちにして来たからな、あんな風に酔っ払って気がつくと周りから人が居なくなったりしてると、手がつけられないくらい暴れるんだ。それだけ、お嬢も覚えておいてやってくれ」


親分はそう言って私に頭を下げた。


「やめて下さい、分かりましたから」


私はそう言って親分の腕に縋り付いた。


「この新宿で何か困った事が有れば、直ぐに龍也にでも相談すると良い」


「ありがとうございます」


親分にお礼を言い、深々と頭を下げた場所は正に私の住むマンションのエントランスの前だった。


「じゃあ、お嬢またな」


踵を返す親分…。


訳が分からず親分と私を交互に見る龍也…。


「おやすみなさい」


私は親分と龍也に挨拶をし、二人の背中を見送った。


親分は初めから私の家を知っていた。


それを不思議だとは思わなかった。

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