第5話 Baby Cats
「差し出がましい事をお聞きしますが、先代にお前はオカマが嫌いかって聞かれて、親分はなんて答えたんですか」
そう問い掛けた龍也に親分はジロリと
「失礼しました。立ち入った事をお聞きしました」
龍也はそう言った後、親分に向かって深々と頭を下げた。
「自分は女以外に興味が無いだけです」
ひどく真面目な顔をし、男の声色を使った太月姐さんが言った。
「てめぇ!」
親分がおしぼりを太月姐さんに投げつけたが、その顔は笑っていた。
同時に泉ママのカン高い笑い声が響いた。
「気がつくとよ、泉が歯ぁ食いしばって涙流しながら水割りを作ってるのよ。参ったな…と思ってたとこに先代のオヤジが、お前ぇそんなにオカマが嫌いかってよ」
「嫌いだったでしょ?」
親分と泉ママ…今でも夫婦のように会話のテンポが心地良い。
「そうじゃないさ…あの頃は誰だってオカマにたいする知識ってもんがなくてよ、男同士がちちくり合うような姿しか思い浮かばなかったじゃ無いか」
「親分の言うのは本当のことなのよ」
「今の娘たちは幸せよ。オカマがテレビのバラエティーで頑張ってくれているから、いつの間にか市民権みたいなものを手に入れてしまったけど、私たちのころはそれはもう悲惨なものよ」
泉ママの言葉を引き取って、太月姐さんが昔語りを始めた。
「悲惨ってどんな風に」
聞いたのは龍也だ。
「学校帰りの小学生にオ、カ、マ、オ、カ、マって延々とついてこられるのよ。周りの大人たちも、それを注意しようとしない時代だったわ」
「太月ちゃんって子供のころから体が大きいのに、内またで歩いたり仕草が女そのものだったからよく虐められたのよ」
「えっ、ママと太月姐さんって子供のころから知り合いなんですか」
驚いた声は私だ。
「保育園のころから一緒よ」
「泉は子供のころから可愛くてさ、オカマのくせに人気者よ」
わざとつくろった不機嫌で太月姐さんが言った。
「モテたのよぉ、女の子にぃ」
いつになく
「
太月姐さんの補足に、私は再び驚いてしまう。
「ママって子供のころから源氏名を使ってたんですか」
私の問いかけに、泉ママはもちろんのこと、親分や太月姐さんまでが笑っている。
「まったくこの娘は可愛いんだから…。本名よ、星川泉。正真正銘親にもらった名前です」
「男なのに泉ですか」
「意外に多いのよ、泉って名前の男の人は」
泉ママに言われ、初めて知った…自分の戸籍を変えないままで、女として生きていける名前が羨ましく思えた。
「源氏名って言うなら、私だって小学生のころからタツキよ」
太月姐さんが胸を張っていった。
「太月姐さんって子供のころから太ってたんですか」
「あんたちょっと、新人だからって許さないわよ」
そんな声を出すときの太月姐さんは本気で怖い…。
「附田守、それが太月ちゃんの本名。タツキは子供のころからのあだ名よ」
「当て字はやっぱりママがつけたんですか」
「美和っ、あんた調子に乗りすぎよ」
太月姐さんの叱責を受け、私は首をすくめて見せた。
賑やかな会話の続く中、VIPルームの扉が開いてマネージャーが顔を出した。
「ママ、そろそろラストオーダーですけど」
楽しい時は時間の経つのが早い。
私はもっとこの時間が続いて欲しいと思っていた。
「みんなで寿司でも食いに行くか」
親分が言った。
「やくざとゲイボーイの昔ばなしなんて、一般の人には聞かせられないわ。今日はここで飲み明かしましょう」
ママの提案に皆が賛成した。
「マネージャー、お客様の送り出しが終わったら、お寿司を少し多めに頼んできてくれる。胃袋だけはみんな男のままだから」
泉ママはマネージャーに閉店の為の指示をいくつか出した後、再びVIPルームの中で繰り広げられる、少し危ない昔話の輪の中へ戻った。
「親分は嫌いだったはずのオカマの店に、どうして毎日通う様になったんですか」
打ち解けたこの席に遠慮が無くなったのか、私も直接親分に質問をする様になっていた。
「そりゃあお前ぇ、先代の有無を言わさぬ史上命令ってヤツよ」
親分がべらんめい口調の江戸弁で言った。
「嘘おっしゃい、お父ちゃんはたった一度、席をあらためてちゃんと謝って来いって言っただけじゃない。お父ちゃんが『なんであいつは毎日あの店に通ってるんだ?』って私に聞いてたもん」
太月姐さんがそう言って親分の嘘をあばいた。
「どうでも良いじゃねぇか、そんなこたぁ」
言った親分の言葉は照れ隠しにしか聞こえなかった。
「それはそうとよ、今の太月の台詞で思い出したけどよ、太月と先代のオヤジとは
「そうよあんた、先代の直参に化け物とは何よ」
親分と太月姐さんが龍也を攻め立てる。
龍也は訳が分からず、ポカンと口を開けたまま言葉も出ない。
「16 の時、太月ちゃんと二人で故郷を逃げ出して来たの」
泉ママが当時の経緯を話し始めた。
「中学の時にね、同じ地域に二人もオカマがいるのは学校の教育が悪いんじゃないかって、他の生徒の親が騒ぎ出したのよ」
太月姐さんが、泉ママの説明に言葉を足した。
「そう、二人を一緒に居させたのでは、他の生徒に悪影響を与えかねないって…二人を別々の施設にでも入れて引き離せば、私と太月ちゃんも正常な男にもどるんじゃないかってね。政令指定都市札幌なんて言ったって、偏見の多い田舎町だったわ」
寂しそうに呟いた泉ママ…。
「札幌って言えば、親分も札幌にいた事が有りますよね」
龍也が聞いた。
「その事は後でもよかんべ。今はママの話を聞いてやりな」
親分はそう言い、泉ママに話の続きをする様に促した。
「夜汽車なんて言うとドラマチックに聞こえるけど、太月ちゃんと二人で函館本線に乗って、青函連絡船、青森からまた電車…丸一日掛けて上野駅に来た時は、内地まで逃げて来られた、もう太月ちゃんと引き離される事は無いって…二人で大泣きよ」
「荷物なんて何も無い…ホント着の身着のままって言葉がぴったりだったね」
しんみりと話す泉ママ、その話に昔を呼び起こされたのか、太月姐さんまでが寂しそうに語る。
一瞬の静寂…。
「それからどうなったんですか」
話の続きが気になる私は、二人に話を急がせた。
「東京で知ってる街の名前なんか新宿しかなくてさ、泉と二人でどうにかこうにか電車に乗って…たどり着いたのがこのお店の前身『Baby Cats』よ」
Baby Cats…知ってる…。
こんな駆け出しの私でさえ、その名前を知っているほどの伝説のゲイバー。
今の新宿2丁目で名だたる有名店のママ、そのほとんどがBaby Catsの出身だと言われている。
「willってBaby Catsだったんですか」
咳き込む様に私が尋ねた。
「あらっ、美和でもBaby Catsを知ってるの」
太月姐さんが驚いた顔で言った。
「ニューハーフで知らない人なんか居ませんよ」
知ってて当然と真顔で答える私。
「そうね、有名なお店だったから…」
泉ママの目が、また遠くを見るような目に変わった。
「Baby Catsのママが亡くなった時、泉にこの店を残したのよ」
太月姐さんが我が事のように胸を張った。
「でもお店の名前が…」
私は最後まで言えずに口ごもる。
「お店の名前はね…私が引き継ぐには大きすぎたのよ…。日本全国に知られるような大きな看板を背負うには、当時の私はまだ未熟だったの。だから…ママの意思だけを継がせて貰った…」
「だからwill…」
「あら、あんた暴走族をやってた割には、お利口さんじゃ無い」
太月姐さんが、私と泉ママの会話をかき混ぜた。
「学校で習った英語くらいはちゃんと覚えてますよ」
私はわざと頬を膨らませて見せた。
「そうよ…will…ゲイボーイだからって、オカマだからって、何も諦めない…我慢する必要もない…胸を張って私はオカマですと言える道祖神となる事…そのwill…意思を私は継いだの」
胸を張って自分の性を主張出来る生き方…今の私には到底無理なことの様に思えた。
「凄い人だったよぉ、Baby Catsのヒロシママは」
太月姐さんが面白そうに話す。
「ヒロシママって、男の人の名前のままだったんですか」
私は驚いて聞き返した。
だってそうだろう…日本全国に性同一性障害、いわゆるオカマと言う存在を知らしめたその第一人者が、男の名前のままで生涯を暮らすとは誰が考えよう。
「名前どころの騒ぎじゃないわよ…ねぇ」
太月姐さんは、そう言って泉ママに同意を求めた。
「初めて会った時は、そうね…肝を冷やしたって言うか、なんて言えば良いのか…驚きしかなかったわ」
泉ママはそう言って、昔を懐かしむ様に薄っすらと笑った。
「何がそんなに泉ママを驚かせたんですか」
堰を切ったように次から次と溢れ出す私の質問を、泉ママも太月姐さんさえうるさそうな顔も見せず、ちゃんと答えてくれる。
私はそれが嬉しかった。
「さっき太月ちゃんが言った様に、いざ新宿にたどり着いたところで何もあてなんか無いのよ…お金も無い…荷物って言ったって旅行カバンに着替えがほんの少し…。コマ劇場の前で太月ちゃんと二人で途方に暮れてたの」
まだ女装もしていない田舎の男の子二人…途方に暮れたと言うその姿が目に浮かんだ。
「その時にね、声を掛けてくれたのがヒロシママだったの」
泉ママがそう言った途端、親分と太月姐さんが同時に笑った。
「えっ、ここ笑うとこなんですか?」
私と龍也だけが意味も分からず、リアクションに困る。
「初めてヒロシを見る奴は、誰だってたまげるさ…なぁ泉…」
親分はそう言って再び泉ママに話を向けた。
泉ママは爽やかに微笑み、昔語りを続けた。
「あらぁ、ここに居たのね…探したわよぉ、こっちにいらっしゃい」
それがヒロシママのモノマネなのか、やけに芝居がかった口調で泉ママが話し始めた。
「もう何がなんだか、私も太月ちゃんもパニック寸前よ」
「誰が見たってオカマって分かるのよ」
泉ママと太月姐さん…当時に帰ったのか、少女のように笑いながら話している。
「どうしてオカマって分かるんですか」
私としては当然の疑問だ。
「あんたそれがさ、派手な化粧に惚れ惚れする様な和服のアンサンブルでさ、アップに結った日本髪なんか一部の隙も無いくらいビシッと決まってるのに…」
「髭が生えてるのよ」
「ちょっと泉、そこは私が言いたかったのにぃ」
女学生の様に
私がもし青春を語れるとしたら…それは目の前の龍也以外には有り得ない。
でも、こんな風に笑いながら誰かに話せる思い出なんかひとつもない…。
ママと太月姐さんの昔話に笑い過ぎた振りをしながら、龍也に思いを伝えられなかった青春時代の悲しみを少しだけ混ぜた涙を浮かべた。
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