《西暦21517年 蘭2》



 ふきの下に立つアイヌの小さな神さまみたいな土星人。

 とりあえず、海鳴りのコロニーのとなりにある衛星コロニーに置かれることになった。そこには派手なホログラフィーガーデンはない。が、旧医療センターがある。

 地球には今もヘル・ウィルスが蔓延まんえんしている。地球人には耐性があるが、土星人にどんな影響があるかはわからない。検査がすむまで地球にはおろさないほうがいいからだ。


 この旧医療センターは、二万年前、蘭たちが月のオシリスと最初に交流をはかった場所だ。無菌室など、設備は整っている。なにぶん古いので、今は使われていないのも好都合だ。


「ここがわれらの新しい住まいですか?」


 ネジとパイプと白壁でできた、古くさいSF映画に出てくる宇宙船のような内部。

 土星人たちは、ものめずらしそうに周囲を見ている。


「ごめんね。ほんとは地球につれていってあげたいんだけど、君たちがヘルに耐性があるとわかるまではダメなんだ。でも、必要なものは、なんでも用意するから」


 少量の土と水さえあれば生きていけるという土星人だ。しかし、ここへ来るまでのあいだに、カトレアが食事を与えていた。地球人と同様の食糧を摂取し、栄養を消化吸収できることは、それによってわかっている。


 長年、土を食っていた彼らは味覚が鋭敏だ。味つけは不用。濃い味の食事は吐いてしまう。とくに苦味と辛味は苦手。ただし、甘味は大好き。角砂糖を与えると、この上なく幸せそうにコリコリかじる。その仕草が可愛いので、つい与えてしまう。


「やつら、今まで土、食ってたんだぞ。過剰な栄養分とらせると、みるまにブクブク太るからな」と、猛に注意される。


「それはそうかもしれませんね。土を食べてたってことは、土中に含まれるわずかなミネラルやリンを養分にしてたんでしょうからね」

「驚異のエネルギー効率だ。植物なみの生命力。光合成まではしないだろうが、まあ、土は運んでこないとな」

「これまでの生活習慣を続けるグループと、そうでないグループにわけたらどうだろう。身体機能への影響がわかるんじゃないですか?」

「悪影響があってからでは遅いだろ」

「でも、それを言ったら、すでに遅い感じ? カトレアの船で何をどのくらい食べたんだか、わかんない」

「まあな。とにかく、これ以上、変なもの食わせないに越したことはない。土星の超重力の影響から脱したことでも、変化があるかもしれないしな」


 そんな話をしながら、センターの現状をチェックしていたら、地球や月から続々と研究員が集まってきた。御子の不死性に迫る可能性のある大発見だ。研究は地球と月の合同で行うことになった。


 月の統治者はオシリス。

 古代エジプトの神の名を持つ美青年。

 執政者としても優れているが、自身、第一級の研究者でもある。彼自身のクローンを五体、送ってきた。


「オシリスAです。見てのとおり、クローン。こっちはオシリスB。オシリスC……ほんとは長いコード番号があるが、あなたがたには煩雑でしょう」


 同じ顔だが、髪の色、瞳の色などが多少、違う。オシリスが五人ならんでるさまは、なかなか圧巻だ。


 オシリスは二十二世紀、月面都市の研究所で生まれた。優秀な人間の優秀なところだけをゲノム編集して造られた人造遺伝子の持ちぬしだ。トリプルAランクのエンパシストなので、自分の記憶を自分でクローンに複写して、永遠に生きている。


 オシリスを前にして、土星人たちはパニックを起こした。蘭や猛やテーブルの脚にしがみついてくる。警戒するノラ猫状態だ。


「オシリス! オシリスはわれらを罰しますか? 先祖の犯した罪で?」

「すみません。オシリス。彼らの先祖はあなたのオリジナルに反乱を起こした宇宙海賊なんだそうです」


 蘭は説明したが、オシリスはすでに知っていた。さすがは宇宙に二人しかいないトリプルAランク者の一人。

 しかも、オシリスは自分のクローンをつねに千体も造っている。千人ので脳波ネットワークを作ることで、能力を単体の数千倍にまで高めている。

 蘭は形だけの神だが、オシリスはほんとの神だ。私欲のないところも神っぽい。聖人君子すぎて、じゃっかんコンピューターチックだが。


「先祖のしたことで罰するつもりはありません」

「では、われらをゆるしてもらえるのですか?」

「もちろん」

「あなたの寛大な御心に感謝します」


 長老のスコップが、オシリスのひざこぞうにキスをした。そこが、ちょうどスコップの顔の高さだからだ。


 オシリスはなんとなく首をかしげている。ひざこぞうでは不服だったのだろうか?


 オシリスは公明正大すぎて、蘭には理解しがたい。そもそも自分のクローンを千人も造るなんて、そんな薄気味悪いことがよくできる。ほんの三体造っただけで、蘭は持てあましてるというのに。


 地球からは不二村の研究所の森田や菊子がやってきた。ほかにも十数名。その他、コロニーの設備を管理するエンジニアなど。


「ナースや物資の運搬係もいりますね。人は順次、増やしていきましょう。ここの所長はオシリスA。あなたに任せます」

「ありがとう。御子。あなたは研究に参加しますか?」

「僕は地球へ帰ります。御子としての公式の役目がありますから。でも、必ず、たびたび来ます」


 ガッカリしたのは土星人だ。

「天使は行ってしまった。神さまもいなくなる……」


 砂糖を欲しがるときより、もっと切ない目で見あげられる。これは、つらい。そして、可愛い。


 僕に見つめられると、みんな胸がキュッてなるらしいけど、こんな感じかな?——と、考えつつ、

「僕はみんなの神さまだから、ずっと君たちのそばだけにいてあげるわけにはいかないんだよ。でも、なるべくたくさん来るからね」


 土星人たちはうなずいた。

 あとのことをオシリスに任せ、蘭たちは地球に帰った。帰りのボートのなかで、こんな話をした。


「それにしても、オシリスはあんなに自分を増やして、気持ち悪くないんでしょうか。僕なら、ウンザリ」


 猛は笑った。


「蘭は甘えん坊だから。おれや水魚の目が、ほかに向くのがゆるせない。オシリスはそういうタイプじゃない」

「猛さんだって、自分のクローンが三人も四人もまわりをうろついてたら、いい気持ちはしませんよ」

「そうかな? 俺は引継ぎのときしか、前後のおれと会わないもんな。よく考えたこともなかったよ。かーくんなら、きっと何人いても楽しいんだろうけど」


 それで思いついた。


「そういえば、なんでこれまで、かーくんはクローン化しなかったんですか? タクミさんは遺伝子的にはかーくんのクローンだけど、遺伝子操作されてるし、記憶も別でしょ? かーくんとは言えない」


 猛は苦笑する。


「かーくんがいたら、おまえが混乱したじゃないか。これまでは……だから——」


 そうだった。蘭はこの二万年、自分がパンデミック直後に生きていると信じていた。月で死んだはずの人が目の前にいることはゆるされなかった。


「……ごめんなさい。僕のせいだったんですね」

「いいさ。まあ、タクミもからかえば、それなりにおもしろいし」

「いっそ、三人くらい、かーくん、再生しちゃいませんか? かーくんの作ってくれたダシ巻き、また食べたいなぁ」

「三人はともかく、一人は欲しいな。ゲノム編集でディーモンズ・スクラッチつけちまえばヘル耐性はできるしな」


 というわけで、さっそく、かーくん造りだ。

 クローンは以前も十六倍速で再生できた。でも、蘭の知らないあいだに、さらにその技術は進歩していた。十六倍速の十六倍速。約三十日で成人に達する。


 一ヶ月後、蘭は二万年ぶりに薫と再会した。

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