4話 教育係とバイトと

「えっ〜と……、バイト君。それじゃあ、ついてきて」

「は、はい」


柔らかな声を発した中年男性が、ひょいひょいと手招きをする。

店長の藤村ふじむらさんは人当たりは良さそうではあるが、物覚えが悪いのか、僕のことをバイト君と呼んだ。


軽い面接の後、僕は書店でのバイトが決まった。

お時給900円。こんなもんだろう、と思う。

前の会社も長く働いていた訳でもないから、当然そんなに貯金がある訳でもない。

掛け持ちとか、夜間とかいう言葉が頭の中で渦を巻き始める。

が、昨夜の徹夜の事を思い出して、夜間は無理だろうなと言う結論に至った。


とりあえず今は目の前の事に集中しよう。思考を断ち切って、店内を見回す。


「うちの店は、広いからねぇ〜。バイト君は主に商品棚整理とかしてもらう事になると思うんだけどね」


歩きながら藤村さんが語る。

確かに、この書店は広い。というのも、ビルの3フロア分が丸ごと書店であるからだ。


「さぁ、着いたよ。あとは中にいる岬さんに聞いて。僕は向こうで業務があるから。頑張ってね」


激励の言葉を残して、藤村さんは去っていった。

スタッフ控え室の扉を軽くノックして、中に入る。全体的に室内は薄暗く、一本の通路が真っ直ぐ伸びていた。


「失礼します。本日からお世話になる葛城です」

「あ、来たね。こっちこっち」


部屋の奥から女性の快活な声がした。

扉を閉めて、声のした方へと向かう。

控え室と言っても、倉庫を兼任しているような作りになっていて、通路の両脇には段ボールが積んであった。おそらく、新刊だろうか。

通路を抜けると少しだけ視界が開けて、照明もしっかりしていた。

声の主は視界の左手のデスクについて、何やらパソコン操作をしていた。

キーボードを勢いよく押すと、操作が終わったのか、座っていた椅子をくるりと回転させ僕の方を向いた。


「えっ」


と、僕は思わず頓狂な声を漏らしてしまった。


茶髪だ。つややかな髪が肩の辺りまで伸びている。おまけに、耳元にイヤリングまである。化粧はそんなに華美ではないけれど、パッと見の印象は、スタバとかで働いていそうなお洒落女子だった。

書店でそんな格好ありなのか?と思う。

見つめられていた本人は何かに感づいたようで、くすりと笑った。


「私を初めて見た時、みんな君みたいな反応するのよね。意外だった?」

「は、はい。正直、意外でした。あり、なんですね」

「あっははは。あり、って」


お洒落女子は何がそんなに可笑しいのか、急に腹を抱えて笑い始めた。


「ごめんごめん。そんなにズケズケ踏み込んでくる人滅多にいないからさぁ」

「は、はぁ」

「まぁ、もっと落ち着きのある格好した方がいいのかもしんないけど、これでも店長も許してくれてるし。あっ、ネイルはしてないのよ、本が痛むから。それに、仕事も真面目にしてるからオッケーみたいな感じだよ」


そこでお洒落女子は真面目な表情に戻って、真っ直ぐ僕を見た。


岬紅麗葉みさきくれはです。君の、なんだろ、教育係かな、よろしく」

葛城正吾かつらぎしょうごです。よろしくお願いします」


岬さんは、うんうんと頷いた後、なんだか急に困った表情を見せた。なんだろか、急にそんな顔されるとこちらまで不安になってくる。

僕が次の言葉を待っていると、岬さんがゆっくりと口を開いた。


「君、歳いくつ?」

「えっと、23です」


僕が答えると岬さんは大きく溜息をついた。表情からしておそらく安堵の溜息を。


「良かったぁ、2つ違いかぁ。年上だったらどうしようかと」


白鷺さんと1つ違いかぁ、と特に意識せずに思った。白鷺さんはずいぶん大人びていて、岬さんはなんだか小意気な感じだ。人の性格に年齢は関係ないんだと改めて実感する。


「職場とか、立場とかに、年齢は関係ないと思いますよ」


上手い事を言うつもりはないし、機嫌をとろうとしているわけでもなく。ただ実際に思った事を口にする。


「まぁ、そうなんだけどね。気持ちの問題っていうか、まぁいいや。こっちきて」


岬さんはまだ何か言いたげだったが、流石に仕事もしないといけないと思ったのか、途中で言葉を切った。僕は言われるままに、デスクに近づく。


「それじゃ仕事だけど、パソコン見て」


パソコンを見る。フロアごとの見取り図とどこに何が配置されているかの、およその区画分け表が載っていた。


「まずはこれを覚えて、後で実際に案内するから」

「分かりました。ほかにどんな業務があるんですか?」

「そうね、あとは在庫照合ぐらいかなぁ」


言うなり、岬さんは見取り図の表をコピー機に転送して、現在の画面を最小化。流れるような動きで別のソフトを開いた。手馴れているのか、岬さんも白鷺さん同様、結構仕事ができそうな人だ。本当に人は見た目によらない。


立ち上がったソフトには、何やら無数の文字列と数字が並んでいる。よくよく見ると、文字列は本のタイトルで、ちょうど見つめていた数字が1減ったところだった。


「あ、今一冊売れたみたいね」

「なんですか、これ?」

「この店にある本とその在庫数よ。どんな本がいつ売れたのかを計測してるの。そのデータを元に人工知能が考えて、お店のレイアウトとか、入荷商品数まで提案するって言うんだから、優れものよねぇ〜」

「そうなんですね」


やはり、人工知能は切っても切り離せないらしい。が、実際に凄いシステムが導入されているものだと、少し感心したりもした。


「このデータ上の在庫数と間違いがないか、調べるのが私達の仕事ってわけ。オッケー?」

「お、オッケー、です」 


岬さんはうんうんと頷いて、席を立つと印刷の終わった見取り図を渡してくれた。


「覚え終わったら、案内するから。言ってね」

「はい」


よっぽど、どこかのセクハラ悪たれ口上司より仕事のできる人だと、僕は密かに感慨にふけるのだった。

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