第37話 占い師の末路

 織田の言うことを、天野は何も聞いていなかった。

 彼に己の過ちを気付かせるのは、不可能だ。


 徒労感で言葉を失っていると、天野がにやりと笑った。しゅが効いたとでも思っているのだろう。

 馬鹿馬鹿しさに、織田はマイクを持つ手を下ろし、ため息をついた。


はらたまきよたまえ」

 隣にいた坂口が唱え、威嚇するように叫んだ。

「だから、効かんと言っているだろう!」


 天野の頬がぴくりとし、動きが止まる。

 坂口が、織田の手からマイクを取った。

「不動金縛り法か。だが、彼女に『悪霊』は憑いてないんでな。霊縛法れいばくほうをかけても動きを封じることはできんぞ。ついでに、呪詛じゅそ返しをしておいた。さあ、お前さんは動けるかな?」


 天野が顔を真っ赤にして、織田と坂口を見下ろす。飛び降りてでも突進してきそうな形相なのに、彼は動かない。


息災法そくさいほう増益法ぞうえきほうならともかく、調伏法ちょうぶくほうは修しない方がいいぞ。僧籍を抜けたお前さんは神仏の加護が得られないから、自分自身の生命力を使うしかない。寿命が削られるし、力を使って弱ったときは、憑かれやすいぞ。お前さんが言う『魔』に。……いや」


 坂口が、声のトーンを落とす。

「もう憑かれているじゃないか。だから、占いの客を怯えさせて軟禁したり、町内会の祭を混乱させたりするんだ。感情を制御できずに逆ギレして、他人に危害を加えようとするのもそうだ。お前さんが自分で説明した、魔に取りつかれた者の症状そのものだ」


 天野が顔中に汗をかいている。心配そうに肩を揺する夕貴に、坂口が声をかける。

「お嬢さん──夕貴さん。悪いことは言わん。今の内に、この男から離れなさい」

 しかし夕貴は、天野の肩に手を置いて寄り添ったまま、坂口に向かって叫んだ。


「余計なお世話よ!」

 宵闇に消されかけている西陽の名残が、夕貴の顔を頼りなく照らす。


「先生は、本当に立派な行者なんだから。自分の身の危険も顧みず、命を削って、私たちや世界のために毎日祈っているのよ! コンプレックスのせいなんかじゃなく。よかれと思ってやったことが、普通の人に理解されなくても、私だけはわかってる。僧籍がないのが何だっていうのよ!」


 夕貴の目から、とめどなく涙があふれる。

「陶子さんの件だって、悲しみに押し潰されてる彼女に、とりあえずの拠りどころを与えただけ、方便じゃないの。他の誰も助けてあげなかったくせに。陶子さんだって、自分一人じゃ生きることも死ぬこともできなかったくせに、今さら被害者面して。天野先生を責めることができる人は、一人もいないわよ!」


 薄暗い広場に、夕貴の声だけが響く。天野は何も言わず、じっとしたままだ。

 夕貴が櫓の前方に進み出て、みんなを見下ろす。


「昨日の夜、集会所に入って、机の上にお茶パックを置いてきました。『差し入れです』という付箋を貼って」

 凛とした、気丈な声だった。


「この辺の人はよく麦茶にドクダミを混ぜて煮出すのを知っていたから、誰かからの差し入れと疑わずに使うだろうと。パックの中身は、ドクダミと鳥羽玉うばたま、オオシビレタケ、他にもちょっと。鍵は、掃除当番が回って来たときに、合鍵を作っておいたの。発生扇風機ミストファンの水タンクにも、幻覚成分のある抽出液を入れました」


 会場にどよめきが広がる。夕貴が、会場中に聞こえるよう、声を張り上げる。

「魔を目で見ることができる人は限られているから、一時的に他の人にも見えるようになって欲しかった。あの神社は危険で、先生が助けてくれるんだって、わかって欲しかったんです」


 夕貴の表情や口調は、どこか意地になっている感じだった。それは、本当に天野に心酔しているからだろうか、すべてを捧げて信じた人が偽物だったと思いたくないからだろうか。


「天野先生は知らなかったことです。罪に問われるというなら、私が一人で警察に出頭します」

 腰を折り、深々とお辞儀をする。しかし、彼女の口から、体調を崩した人への謝罪や、祭を混乱させたお詫びは出てこなかった。


 起き直った夕貴は、きびすを返して階段へと歩き出した。

 天野とすれ違う一瞬、彼女の唇がかすかに動いた。天野は言葉を返さず、顔をゆがめたまま立ちつくしている。


 櫓から下りた夕貴の元へ、いつの間に来たのか警官が二人、駆け寄っていく。短く言葉を交わした後、彼女は警官の一人に付き添われ、出入り口へと向かった。


 もう一人の警官が櫓にのぼる。天野はそれを見ると、何かを唱えながら急に走りだした。

「なんだ、動けたんだ」と思う間もなく、彼は櫓の端を勢いよく蹴って、宙へと飛び出した。


 会場中から短い悲鳴があがる。織田も叫んで身を硬くした。


 袈裟をひるがえした天野の体は、蹴りあげた力の作用のぶんだけ前方へと移動し、すぐに重力に従って墜落した。ドンッという大きな音が響く。


 捕まるのを潔しとせず身を投げたのかと思ったが、天野はあたふたと中腰になり、足を引きずりながらも逃げようとしていた。

 数メートル先でもがく天野を警戒して、津島が走り寄って織田をかばう。


飛行呪ひこうしゅ? ……あいつ、筋金入りの中二病だな」

 坂口が、あきれた声を出す。どうやら空を飛んで逃げようとしたらしい。


 法被はっぴを着た男たちが怒りの形相で押し寄せ、天野を包囲する。あわや集団リンチかと思ったが、「今日は夏越の祓だ、暴力は振るうな」という代表の呼びかけに、人垣は不満の声をもらしつつも、手出しをしなかった。


 円陣は天野を囲んだまま、ゆっくりと出入り口へ移動した。

 警官が二人近づいてくると、人垣が自然に割れた。黄色い衣を着た天野が足をひきずり、両脇を警官にはさまれながら、出入り口の向こうへと消える。


 今までの存在感はなんだったのだと思うほど、あっけない幕切れだった。


 パトカーのサイレンが遠ざかると、広場全体に安堵のため息が漏れた。


 天野を取り囲んでいた法被はっぴの集団が、坂口社長の前まで走ってきた。四角い顔をした恰幅のよい代表が、進み出る。

「先生、ありがとうございました」

 法被の男たちが一斉に「ありがとうございました」と復唱して頭を下げる。神主は「先生」と呼ばれるのだった。


 神職の装束を着た坂口が、背筋を伸ばしてお辞儀を返す。

「礼を言うのはこちらです。あの男に洗脳されていたお嬢さん方を取りもどせた。……しかし、連絡が遅れて、あなた方に被害が出てしまった。申し訳ない」


「異物混入を忠告する匿名電話ですか? うちの者たちがいたずらだと思って、うまく伝わっていなかったんです。ちゃんと聞いていれば、と後悔しとります」

「まあ、鳥羽玉うばたまは後遺症がないはずだから、大ごとにはならんでしょう」


 坂口が、持っていたマイクを男に渡す。

「そろそろ、おんはら音頭の時間だ。踊りには、悪しきものを祓う意味もあります。今年は、子どもたちだけでなく、大人も踊るといいでしょう」

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