第38話 芝居のあと
照明は櫓の後方のテントで操作しているようだ。
そこから、誰かが法被の男性に会釈をして、こちらへ走ってくる。永井だ。さらに、植え込みの切れ目から谷崎が現れ、合流した。
「社長ー、えらいカッコよかったでっせ!」
谷崎は、大きめのウエストポーチをし、手に小型スピーカーを持っている。植え込みから聞こえたネコの声は、彼がやったのか、と納得する。照明操作やスピーカーの切り替えは、永井だろう。
ちゃんと手回ししたうえで仕掛けたのだと、坂口社長の用意周到さと人たらし術に舌を巻く。
「織田ちゃん、無事でよかった!」
駆け寄って抱きついてくる永井に、織田もしがみつくように腕を回した。
「ありがとうございます! ……みなさん、今日は仕事は?」
まだ火曜日の夕方だ。忙しく仕事をしている時間なのに。
「今日は昼から、『全員食中毒で臨時休業』だ。おんはら神社の
坂口が伸びをする。「今日はもう、勘弁してくださいや」と谷崎が情けない声をあげた。
「オダサクは帰って休め。……よくやった、グッジョブ!」
坂口が、親指を立てるいつものポーズで恰好をつけ、ニヤリと笑う。織田も同じポーズを返し、笑ってみせた。
「それと」
うつむいたまま立ち尽くしている陶子の前に、坂口が立つ。
「失礼かとは思ったが、貴女のお母さんに連絡を取らせてもらった。とても心配されて、こちらへ向かっておられる。……しばらく実家に帰りなさい。今は一人でいない方がいい」
陶子が眉尻を下げ、哀しげな顔をする。坂口が一度うつむき、再び向き直った。
「あのとき、スピーカーから聞こえた旦那さんの声は、結婚式のビデオから音源を拝借したものだ」
陶子が目を見開く。その瞳孔がみるみる収縮していく。
坂口が袴のまま地面に膝をついて座り、額をつけて土下座をした。
「結果的に、貴女の気持ちを利用した上に、傷つけた。本当に申し訳ない」
「……じゃあ、正泰さんがいるって言ってたのは」
平伏したまま、坂口が答える。
「信じる信じないは自由だ。……彼は確かにいた。少なくとも、私はそう感じた。貴女を心配していた。一緒に行こうと言っていた映画すら観ていない憔悴ぶりに、心を痛めていた」
陶子の目に力が戻る。えいが、とその唇が小さく動く。
そういえば、陶子が語っていた。葬式のあと、一緒に観るはずだった映画の原作本がチェストに置いてあった。本棚にしまっていたはずなのに、と。
この話は、社長に渡したメモに書いただろうか。思い出せない。
「信じます……ありがとう」
背筋を伸ばして土下座をし続ける坂口の耳元に、陶子が腰を折って小さく告げる。涙を指でぬぐったその頬に、少し赤みが戻っている。
頭をあげてください、と言われて坂口が起き直る。ゆっくりと立ち上がったところで何かに気づき、坂口の視線が陶子の後ろに移る。
織田も視線をやると、離れたところに亜矢がいた。会社を早退してきたのだろう。
「亜矢さん。……いつから」
さりげなく陶子を隠すように前に進み出て、織田は訊ねた。
「先生が、櫓に上がったあたりかな。植え込みの陰から見てたの」
口元に作り笑いを浮かべて、亜矢がため息をつく。
「さくらさん、陶子さん、愛美さん。あとで、荷物を取りに庵へ寄ってくれる? 金庫の暗証番号も知ってるから、財布や携帯も返すね」
返事をしない三人をかわるがわる見て、亜矢が焦った笑い声とともに、両手をせわしなく振った。
「やだ、何もたくらんでないって。……元々、最近の先生のやり方には、同意できない部分もあったの。夕貴があやしげなことしてるのも、薄々気づいてた。でも、先生に言っても、『お前ごときが俺に意見するのか』って叩かれるだけだし」
「じゃあ、亜矢さんも、今の内に自然庵を出ましょう」
織田の言葉に、亜矢は首を横に振った。
どうして、と目で問うと、彼女は空を仰いだ。
「どうしてかな。教えを理解できないままなのが気持ち悪いのかもしれないし、今まで出したお金が惜しいのかもしれないし、夕貴に負けたくないのかもしれない。それを確かめるためにも、天野先生が帰ってくるまで、待つ」
そんな、と織田が言うのと同時に、愛美が声をあげた。
「ダメですよ! 亜矢さんが薄々感じていることが、本当なんです。先生のことを信じたいから、見えないふりをしているだけなんです。ダメな男に引きずられてるときって、自分でわかっていても、ずるずる行っちゃうから。でも、それは断ち切るべきなんです! 絶対!」
愛美が熱っぽく訴える。亜矢は、それにうなずきながらも、寂しそうに笑った。
「そうよね、ダメ男よね。……わかってるんだけどね、ホント、どうしてかな」
これ以上の議論を避けるかのように、亜矢が背を向ける。歩き出そうとする亜矢に、織田は呼びかけた。
「待って、亜矢さん。……私、亜矢さんに堂々と生きていて欲しいんです。変なことに巻き込まれて、つらい目に遭って欲しくない。考え直して」
立ち止まった亜矢が、後ろを向いたまま言う。
「さくらさん。……庵の鍵、開けておくから、あとで来てね。たぶん警察も来るだろうから、早めに」
そのまま、足早に去っていこうとする。
「
織田が言うと、亜矢が振り向いた。
「名前。本当は、さくらじゃなくて、咲耶なんです」
亜矢に対して、偽りの名前のままでいたくなかった。しばらくして、彼女がくすりと笑った。
「……こんな形で出会わなければ、仲良くなれたかもしれないのにね。咲耶さん」
呼び止める言葉を思いつかないまま、亜矢が凛とした姿勢を保ちながら会場を出ていくのを見送る。
スピーカーから流れてきた祭囃子が、沈黙を破った。
いつの間にやってきたのか、櫓を囲むように子どもたちの輪が、その外側に大人たちの輪が出来あがっていく。浴衣の者、法被の者、制服姿の子ども、普段着の人たち、みんなが水色地に白で「祓」と書かれたうちわを持って、演奏に合わせておんはら音頭を踊り出す。
「厄祓いだ。全員踊るぞ!」
坂口が、ファルスの面々を踊りの輪へと追いやる。愛美と司が「気持ちのものですから」と、陶子を促す。
「オダサク、お前がいちばん踊らなきゃいかん。ほら、とっとと行った!」
社長に背中を押され、織田は人々の流れに混ざり、見よう見まねで踊った。
何度目かのループのあと、音楽が終わった。会場のいたるところで、拍手やざわめきがうねる。
周りの高揚感につられて、織田は少しだけ笑顔になった。昨日からのもやもやしたものが、汗と一緒に少しだけ流れていった気がする。
「やはり言っておかねばと思うのですが」
耳元の声に振り向くと、いつの間にか津島がいた。周囲のざわめきでよく聞きとれない。織田は、「はい?」と言って耳を近づけた。
「手紙、読みましたね」
なぜわかったのだろう。態度に出てしまっていたかも。誤魔化そうと思うのに、耳まで熱くなるのがわかる。これでは丸わかりだ。
「あの中身ですが」
津島が、やや声を張り上げる。
「貴方を愛しています」という癖のある青インクの文字を思い出す。とたんに心臓が高鳴り、ただでさえ聞こえにくいというのに、聴覚を邪魔する。
織田は神経を集中させて、次の言葉を待った。
「あれは、ストックホルム症候群を防ぐための方便です。が……」
織田の中で、すべての音が消えた。
考えるより先に、手が出てしまった。
横面を平手打ちされた津島の長い髪が、ふわりと浮いて顔を隠す。
パァン、という威勢のいい音が、エコーでもかけたように響き渡った。
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