第36話 占い師との舌戦

 夕貴が昨夜、会場で何かしていたと坂口が指摘したとたん、「食中毒は、あいつらのせいか!」「どういうことだ」という声が、波のように押し寄せた。


 天野が夕貴を振り返った。彼女は、唇を噛んだまま、人々をにらんでいる。

 夕貴がトートバッグを持って深夜に出ていったことを、天野は容認していた。行き先も「坂の下の神社」だと。


「彼女は、神社の横にある集会所の鍵を開けて、中に入った。しばらく何かしていたようだな。それと、この会場にある霧発生扇風機ミストファンの水タンクに、何か入れていた」


 やぐら前はもちろん、実行委員の白テントのあたりからも、怒声があがる。

「神社の掃除当番が回って来たときに、合鍵を作ったな!」

「だから、よそ者を土地に入れるのは嫌だったんだ」

「何を入れさせたんだ、このクソ坊主!」


 法被姿の男たちが櫓へ詰め寄ろうとするのを、「もう少し待ってくれないか」と坂口が両手を広げて制する。振り切ろうとする者もいたが、「この人に任せてみよう」と代表の男に説得され、足を止めた。


「推測だが、幻覚作用のある何かを入れたんじゃないのか? お前さんのところは、野草やキノコに詳しいそうじゃないか。祈祷の際に、ベニテングダケやペヨーテなんかを使って幻覚を引き起こすのは、昔からよくある話だ」


 織田は、陰干しされていた草やサボテンを思い出した。

 ドクダミ入り麦茶として出されていたあのお茶には、やはり何か入っていたのかもしれない。黒い煤や炎の龍を見たのも、お茶を飲んだ後だった。

 では、さっきまで見えていた神社の屋根にかかる黒い靄も、幻覚作用のなせる技なのだろうか。


「私は何もしていない」

 焦りをにじませる天野に、坂口が畳みかける。

「でも、お前さんの弟子がやった」

「私は知らない。彼女が勝手にやったんだ!」


 夕貴がびくりとして、天野を見つめる。

 哀しげな目が怯えたように揺れ、やがて眉根を寄せて閉じられた。再び開いたその目は、殉教者的な静けさをたたえていた。


 ゆっくりと前方へ進み出て、夕貴は言った。

「……全部、私の独断でやりました。天野先生は知らなかったことです。先生は、本物の聖者なんです」


 小柄であどけなさの残る夕貴が、矢面に立つ。

 必死で自分をかばってくれる姿を見ても、天野は彼女を守ろうとしない。知っていたはずなのに。


「天が彼女にそうさせたのだ。異能の人である、この私を助けるためにな!」

 得意げに言い放つ天野には、夕貴への配慮など微塵もなかった。


 ──許せない。本当に、許せない!

 織田は坂口の隣へ出て、声を限りに叫んだ。


「いい加減にしろっ!」


 天野と夕貴が唖然とした表情でこちらを見る中、織田は天野たちの顔が見えるぎりぎりの位置まで近寄った。

「願主や町を魔から守る? 世界平和のために毎日祈ってる? 自分を尊敬してくれる子すら助けようとしない奴に、そんなことできるもんですか!」


 喉がひりひりする。織田は息を切らせながらも、頭を上げて天野をにらみ続けた。

 坂口が肩をたたいてくる。彼は織田の右手を取り、マイクを握らせた。


「言いたいことをぶつけろ。奴を揺さぶれ」

 小声で耳打ちをされた。


 高揚していた気分が少し落ち着き、自分の中の冷静で意地悪い部分が、頭をもたげてくる。天野を追い詰めてやりたい。

 織田は、マイクのスイッチを入れて少し後ろへ下がり、天野を見据えた。


救世主メサイアコンプレックスって、知っていますか?」

 芝居の台詞のような抑揚で、表情を変えずに言う。


「認められたい、愛されたい、という欲求を満たすために、誰かを救おうとすることです。みんなから注目され、尊敬されたい。貴方はそのために、仮想の敵『魔』を創り出し、周りを怖がらせて自分を頼るように仕向けたのです」


「違う!」

 天野が声を張り上げる。


「違いません。貴方は占い客に『魔が憑いている』と脅し、庵に留まるように誘導した。私たちの、不安な気持ちや絶望的な哀しみにつけこんで、言うことを聞かせようとした。自分が崇められたいために」


 あくまでも冷ややかな声を心がける。感情をむき出しにしている天野の優位に立つためだ。


救世主メサイアコンプレックスは、自分が救世主になるために、わざと問題を巻き起こします。そうして自分以外の者をおとしいれ、善人の顔をして救おうとする。まさに、貴方のことじゃないですか」


「魔は存在する! みんなを守ろうとしてやった私に、何て言い草だ! しかも、この私を騙していたとは。お前は魔に憑かれている。ろくな死に方はしないぞ」


「救おうとした人から感謝されないとキレる。これも救世主メサイアコンプレックスの特徴です。さっきも会場の人たちに、『お前らも魔と一緒に調伏ちょうぶくしてやる』って言いましたよね。それが正義の味方のすることですか?」


 天野が歯ぎしりをする。

 これ以上責めるのは危険だろう。織田は、いったんやわらかな口調に切り替えた。


「貴方も最初は、理想に燃えていたんでしょうね。加持で病気を治そうとしたり、理不尽に思える政治が正しくなるよう修法を行ったり、貧困や戦争が収まるよう祈ったり。でも、お金がないと生活できない。理想を並べてもお腹はすく。夏は暑いし、冬は寒い。元々体も丈夫じゃない。こんなに一生懸命やっているのに、誰からも理解されない」


 天野が少し大人しくなる。

「理解されないのは、つらいですよね。……理解されたい。努力に見合う評価をされたい。寂しい。どうしようもなく寂しい。だから、満たされるために、SNSを使って人を探した。心に開いた穴を、誰かにふさいで欲しがっている人を。……違いますか?」


 質問には答えず、天野はマイクを床に置き、手で印を結び始めた。口元が小さく動いている。

 前方にいた夕貴が、織田をにらみつけてから、天野の後ろへと移動する。


「寂しい人間なんて、ごまんといます。引っかけるのは簡単だったでしょう。相手の穴を埋めることで、尊敬され、必要とされる。味を占めた貴方は調子に乗って、そういう女性を集め、自分にとって心地のいい場所を作り出そうとした。すごい人、立派な人と崇められる場所。誰からも傷つけられない、王様でいられる場所を」


 天野は織田を無視し続け、印の形を変えながら真言を唱えている。何かのしゅをかけているのだろう。けれども、怖いとは感じなかった。彼は、裸の王様だ。


「どんな言い訳をしようと、他人に恐怖を植え付けることで支配しようとする人は、救世主になどなれません」


「オン・キリキリ オン・キリキリ」


救世主メサイアコンプレックスになる人は、心の傷を抱えていて、本当は自分自身が救われたいと渇望しているんです」


「ナウマクサンマンダ・バサラダン」


「貴方は誰かや世界を救いたいんじゃなく、貴方自身を救いたいだけなんです!」


 一心不乱に真言を唱えていた天野が目を見開き、最後の呪を高らかに言い放った。

「ウンタラタ・カンマン!」

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