第33話 道化芝居の始まり

 姿勢を正した坂口が、天野に向かって凛とした声で言う。

「神道の祭に、夏越なごしはらえってのがある。年越としこしはらえと共に、半年間積もり積もった罪穢つみけがれを祓って、本来の清浄な状態にする祭だ」


 会場にいる人々も、今度は黙って聞いている。

「この、おんはら祭も、夏越の祓だ。つまり」

 坂口が神社の屋根を指さす。


「お前さんや、一部の者に見えているアレは、神社が吸い込んでくれた悪い気だ。それを今、神主が祭祀を行って祓っている」

 人々が、神社の方を見る。気にも留めていなかった祭の意味を、ようやく思い出したのだろう。


「祭が行われる限り、半年に一度、穢れは祓われる。調伏ちょうぶくの必要はないし、そもそも調伏の対象では……」

「口出しをするな! 私が大元を絶って町を平和にしようとしているところを」


 さえぎった天野の言葉に、坂口が怒鳴った。

「それで神社自体を壊せってか、この罰当たりめ! 神社を侮辱するのもいい加減にしろ。ちょっと特殊能力があるから、使ってみんなにチヤホヤされたいだけのくせに」


「そっちこそだ。……今から、調伏法を修する。あの魔も、お前も、無知な凡夫ぼんぷたちも、まとめて懲らしめてやる」


 天野がマイクを夕貴に渡し、長い数珠を再び両手ですり合わせた。

 坂口が、怯えた表情の若者たちの方を向いて呼びかける。

「大丈夫だ。奴にそんな力はない。心配なら、あそこにいる神職に祓ってもらえ。照友神社のれっきとした神主だぞ」


 祭祀用衣冠姿の司を、坂口が指さす。

 白い紙垂しでをいくつもつけた大麻おおぬさを軽く振る司の姿は、それなりに威厳がある。彼には悪いが、装束の力は大きい、と織田は思った。


 何人かが遠慮がちに、司の方へ向かう。司は、大麻おおぬさを左右に振って祓をし始めた。

 天野が険しい顔をしてそれをねめつけ、早九字を切る。


臨兵闘者皆陳列在前りんびょうとうしゃかいちんれつざいぜん、エイッ!」

 最後に、斜めに切りつける動作を坂口に向かってする。社長は、じっとしたまま動かない。


 術をかけられたのかと心配していると、坂口がニヤリと笑ってマイクを構えた。

「効くもんか。神主なめんなよ! 次は、こっちの番だ」

 人が減った櫓の前に、坂口が歩み寄る。


「おい、拝み屋の後ろにいる三人。ご家族が心配してるんじゃないのか? こんなインチキ野郎のとこにいないで、家へ帰れ」


 坂口が、叱るような口調で言い、三人の女性と視線を合わせようとする。愛美だけは、訴えるような目で坂口を見つめたが、陶子と夕貴はそっぽを向いてしまった。


「失礼な。彼女たちはみな、家族の了解を得ている」

 受けて立つとでも言いたげに、天野が前へ出る。それを無視して、坂口が続けた。


「声が聞こえる。……お姉ちゃんは、どうしていつも悪い男に引っかかるんだ。この前だって、お金をむしられそうになって。今度は、家に帰ってこない」


 愛美が、びくりとする。


「お姉ちゃんがいなくなって、お母さんとお父さんがどれだけ心配しているか。お母さんは毎日明け方まで玄関に座り込んで、お姉ちゃんの帰りを待っているのに」


 櫓上のスピーカーから、坂口の押し殺した声が響く。愛美が両手の拳を握りしめて、次の言葉を待つ。


「君たち三人のうち、誰かの身内だろう。彼は、とても心配している」


 坂口が言うと、天野が笑い出した。

「霊能力者のふりをした途端、ボロが出たな。ここに弟を亡くした者はいない」

 嘲笑を気にもかけず、坂口が呼びかける。


「覚えがあるはずだ。牛みたいな柄のセーターを着た……いや、ネコだ。白黒のブチネコ」


「ウッシー!」


 両手で口を覆い、愛美が叫ぶ。

「お嬢さんのネコか。彼は君のことを、とても心配している。今も、ここに」


 どこからか、ニャーン、というネコの声がした。

 愛美が血相を変えて階段へと向かう。


「待て!」

 天野が呼び止めたが、彼女はすでに階段を下り始め、櫓上から消えた。


 地面に降り立った愛美が植え込みの方へ走っていき、かがみこんで木々の隙間を探し始める。先ほどのネコの鳴き声は、植え込みの奥からした。


「お嬢さん、こちらへ来なさい」

 坂口がマイクのスイッチを切って袴の腰に差し、愛美に声をかける。それから、天野に向かって「もちろん構わんよな」と、挑戦的な笑みを浮かべた。


「どれほどのものか、お手並みを拝見しようか」

 負けじと天野も上段に構える。

 坂口の手招きに、愛美がゆっくりと近寄ってきた。法被姿の男たちが成り行きを見守っている。


「彼は、あんたのそばにいる。心配だから、いくべきところへいかずに、ずっと留まっていたのだ」

 ウッシー、とつぶやいて、愛美が涙をこぼす。


「お嬢さん、お名前は?」

 彼女が震える声で、「香田愛美です」と答える。


「では、香田愛美さん。あんた最近、悪い男に引っかかったな。自分でも心のどこかでおかしいと思っているのに、相手を信じようとする。それは」

 坂口が一呼吸置いて、愛美を見据える。


「自分に自信がないからだ。自信がない分を、他人の言葉で埋めてしまう。だから、簡単に引っかかってしまうのだ」

 愛美の横顔が、目を見開いて凍りつく。


「金を要求した男、あいつの言葉は嘘だ。まあ、金が目的と言うより、あんたに本気で惚れて欲しかったんだろう。……勘違いしちゃいかんが、それは愛情からじゃないぞ。自分のためにぐちゃぐちゃに悩んで苦しむ女の姿を見たい、他人を支配して万能感を味わいたい、あわよくば金もせしめたいっていう、身勝手な理由からだ。あの男が好きなのは自分だけで、女は都合のいいおもちゃくらいにしか思ってない」


 愛美の表情がわずかにゆがむ。そんなにも動揺していないのは、もはや健は過去の男になりつつあるからだろうか。

「携帯のメモリーは、とっとと消すように。データが残っているだけで、悪いものを呼び寄せる」


 織田が昨夜渡した情報を基にした霊視もどきだが、これなら天野も批判することはできないだろう。社長の芝居も、様になっている。

 はい、と素直にうなずく愛美に、坂口がさらに続ける。


「で、あんた、また悪い男に引っかかったな。そいつはあんたの自信のなさと柔軟な性格を利用して、外の世界を怖がらせ、狭いところへ閉じ込めようとしている」

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