第21話 先生の「お手伝い」
「はい」
ようやく愛美が脱出に同意してくれたことに、織田はほっとした。
残りの草引きと水やりを済ませ、夕食分の野菜を収穫し、二人は陶子と合流した。
ちょうど、天野と夕貴が帰ってくる。一列になって「お帰りなさいませ」と礼をして出迎える。うつむいた視界を通り過ぎる天野の草履ばきの足を見て、複雑な気分になる。この人の目的は、一体何なのだろうか。
続いて夕貴が通ったとき、風が清涼な匂いを含んでいた。汗臭い自分たちとは違うな、とふと気になった。天野からも同じ匂いがしていた。車の芳香剤だろうか。
風呂の順番が回ってきたので、畑仕事での汗を流し、夕貴が買ってきてくれた下着と作務衣に着替える。石鹸の清々しい匂いになれたことに、気分が落ち着く。そのあとは、みんなで協力して夕食作りだ。
七時半ごろ、座敷に膳を並べ、五人で輪になって食事をした。今は、天野も茶色の作務衣姿だ。昼食同様、食前感謝の
食べ終わって皿洗いをしていると、会社から帰って来た女性が顔を出した。他の人たちは座敷の片付けなどをしているので、台所に二人きりだ。
「あなたが新入りさんだね。川辺亜矢です。よろしく」
白いブラウスに黒いパンツ姿の女性が、笑顔で軽く手を振る。年齢は二十代後半くらい、少しきつめの顔立ちに、ミディアムボブがよく似合っている。黙っていると近寄りがたそうな感じだが、表情や話し方でそれをカバーしている。
夕貴のような、長髪、ミニスカート、濃い化粧が天野の好みだろうから、てっきり亜矢もそんな外見だと想像していたが、違ってよかった。彼女とは仲良くなれるかもしれない。
織田は手を止めて向き直り、「織田さくらです、よろしくお願いします」とあいさつをした。
「これお土産。新しい人が来たって連絡もらってたから、さくらさんの分もあるよ」
亜矢が有名洋菓子店の箱を机に置く。天野はケーキに目がないらしい。修行で食べ物をセーブしていると、体が糖分を欲するからだという。
「さくらさん、お仕事は編集だって? 忙しいのに休んで大丈夫?」
食器棚から皿を取り出しながら、亜矢が話しかけてくる。作務中は私語禁止のはずだが、彼女はそんなにも厳格ではないようだ。
「あんまり大丈夫じゃないです。長くは休めないので」
茶碗の泡を水で流しながら振り向くと、亜矢がうなずいた。
「でしょ。責任ある仕事してると、そうそう休めないもん。さくらさんも、早く魔の影響を受けなくなるといいね。……そうだ、治ってもすぐに帰っちゃわないで、しばらくここに住もうよ。お仕事組が増えると嬉しいな。一緒に出勤しようね」
ケーキを皿に取り分けながら、亜矢が言う。織田は調子を合わせて「そうですね、ぜひ」と微笑んだ。
「住み込みなら、天野先生のお手伝いもできるよ。選ばれた人だけが可能な、誇らしいことなんだ」
選ばれた人だけが可能、というのが引っかかる。織田はあえて軽い調子で訊ねた。
「先生のお手伝いって、具体的に何をするんですか?」
亜矢が意味ありげに「まだ内緒」と言って、にやりとする。
ケーキの載ったお盆を持って出ていく彼女の後姿を見送りながら、織田は「お手伝い」の意味を考えた。
夕貴のような自然庵の管理か、亜矢のような金銭的援助のことだろうか。
新たな謎を突きとめたい気持ちはあるが、もう脱出まで時間がない。今は無事にここを出ることだけを考えよう。
皿を洗い終わると、座敷へ呼ばれた。
全員で畳に座り、ケーキ皿を手に持って食べる。食事は野菜中心で量が少なめなので、甘いものがとてもおいしく感じる。織田は、二つ隣の亜矢を盗み見た。お手伝いとは、どういうことをするのだろうか。そして、あまり型にはまらず頭もよさそうな彼女が、ここでの生活をどう思っているのだろうか。
再び後片付けをして、全員で円になって天野の法話を聞いた。
川を渡るときにイカダが役に立ったからといって、山登りにまで持っていくのは間違いだ、という例え話から、執着はよくないと諭していた。話自体は有名な仏典の引用だし、納得もできる。
はたして天野がそれを語るに足る人物なのか、織田は判断しかねていた。
続いて、夜の瞑想時間に入る。天野は今日の昼にできなかった加持をするため、離れへと向かった。亜矢ともっと話をしたいが機会をつくれないまま、織田は集中できない気分で瞑想を続けた。
十二時過ぎに、各自就寝準備に入るため解散となった。
織田と愛美、陶子は、二階の六畳間で眠ることになっている。個人のカバンも部屋に置いてある。携帯や財布は金庫の中だが、手帳や筆記用具は自由に使えるのがありがたい。布団を敷き、浴衣に着替え、交代で歯磨きやトイレに立つ。
他の二人の隙を見て、織田は手帳から紙を数枚切り取り、自然庵での情報を走り書きした。メンバーの名前、年齢、大まかな住所、経歴。自然庵のわかる範囲での見取り図、自分が見聞きしたり、他人から教わった天野の言動、超常現象の例。
抜け出したら、坂口社長にこれを渡す。愛美の洗脳を解く裏付けを取ってくれるかもしれない。織田は折りたたんだ紙切れと小型ライト、そして司からもらったお守りを、浴衣の袖に隠した。
顔を上げると、陶子がフォトアルバムを見つめている。
「旦那さんですか?」
声をかけると、陶子は嬉しそうに微笑んで写真を見せてくれた。
「この正泰さんの写真が、いちばん気に入ってるの。金峯山寺に行ったときのよ。吉野は寒くて、ずっとくっついて歩いてたの。こっちは、大学の古美術研究会のとき」
一つひとつの写真について、陶子が想い出話を始める。よく親戚のおばさんが旅行の写真解説を延々としてうんざりするのだが、不思議と今は嫌な気がしなかった。陶子に感情移入しているからだろうか。幸せそうに寄りそう二人は顔がそっくりで、似たもの夫婦なのだな、と顔がほころぶ。愛美が歯磨きから戻ってきて、しばし三人で写真を見る。
廊下から
夕貴と亜矢は二階にそれぞれ私室がある。天野は離れで寝ているらしい。
「本日も無事に一日を終えられました。ありがとうございます」
陶子の号令で、三人は布団の上に正座し、合掌して感謝の祈りを捧げた。
電気が消され、闇の中でごそごそと布団に入る音が聞こえる。朝が早いから一刻も早く寝たいのだろう。
織田も布団にもぐりこみ、薄闇の天井を見つめた。今日一日の緊張と疲れで眠くなってくるが、まだ大事な役目が残っている。
太ももをつねったり、足指の曲げ伸ばしをしたりして眠気と戦いながら、織田は二人が寝入るのを待った。
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