第14話 愛美との邂逅

 織田の怪訝な表情を読み取ったのか、天野が言った。

「携帯電話は、現在ここに滞在している陶子さんという方にとって悪影響を与えるので、厳重に管理しているのです。ご理解ください」

 悪影響ですか、と言うと、天野が腕組みをしてうなった。


「陶子さんは御主人を亡くし、精神的にかなり弱っています。夫があの世から電話をかけてくるのではないか、と片時も携帯を離そうとしなかったのです。しかも、無意識の内に夫の携帯から自分の端末に電話をかけ、あとで履歴を見て『夫から連絡があった』と喜んだりもします。気の毒な話ではありますが、悪循環は断ち切らなければなりません」


 言葉に詰まってただうなずくと、天野が背筋を正した。

「ですが、急に現実を見せても戸惑うだけです。徐々に馴らさなければ。だから、彼女に合わせて方便を使うことがあります。どうか、私のことを『嘘つき』と思わず、信頼していただきたい」


 黒目がちな天野の瞳にまっすぐ見つめられると、なぜか信用できる気がしてきた。

 織田は「わかりました、よろしくお願いします」と頭を下げた。


 しばらくして、夕貴が迎えに来る。天野に促され、織田は二人のあとに続いて離れを出て、二階建ての母屋へ向かった。玄関に靴が並んでいる。女物のパンプスが二つ。草履と男物のズック靴は、天野のものだろう。

 靴を脱いで、廊下を歩く。夕貴が右側の障子を開け、天野が中へ入る。「さくらさんもどうぞ」と促され、後に続いた。


 そこは、十二畳はある広い座敷だった。隅の方に机が立てかけられており、そばに織田のカバンが置いてあった。部屋の中央に、紺色の作務衣を着た女性が二人、正座している。


 ――愛美まなみさん!


 若い方の女性を見てすぐにわかった。


 司に見せてもらった写真通り、肩甲骨まである栗色の髪に、長いまつ毛、ネコのような目をしている。少しきょとんとした、警戒心のなさそうな表情も同じだ。

 ようやく彼女の姿を確認できて、安堵する。


「携帯電話を預かりますね。お財布も、念のため」

 襖を閉めた夕貴が、カバンの方へ歩み寄る。織田はあわててカバンから携帯を出し、電源をオフにして渡した。


 自由に連絡ができないのは想定していたし、仕方がない。夕貴は、座敷の隅にある金庫のダイヤルを回して開けた。

 中には、白い折りたたみ式携帯とスマートフォンが二つ、それに女物の財布が二つ入っている。携帯は、愛美のものと、陶子さんとその亡夫のものだろう。

 夕貴は携帯を所持しているらしく、タイトスカートの横ポケットから、スマートフォンがのぞいている。


 織田の携帯と財布が入れられ、金庫が閉まる。もう許可なく開けることはできない。金銭的な自由がなくなったことで、落ち着かなくなる。万一のことがあっても、電車やタクシーで逃げることができないのだ。


「さくらさん、こっちへ」

 下の名前で呼ばれたことに戸惑いながら、織田は夕貴のあとに続いた。


 天野と女性たちが、円を描くように座っている。夕貴の隣の空きスペースに、織田も正座する。座布団がないので、足首がごりごりする。

 腕時計を盗み見すると、十一時前だった。今頃、ファルスのみんなは 忙しく仕事をしているのだろうか。


 織田は、隣の女性をこっそり観察した。歳は三十代半ばくらい、化粧は薄いし、後ろで無造作に束ねた髪には艶がなく、全体的に生気が感じられない。ひとつ向こうの愛美が、ナチュラルメイクに見えて実は念入りに化粧をしているのと対照的だ。


「今日からしばらく滞在することになった、織田さくらさんです」

 天野が、織田を手で指し示す。織田は二人の女性の方を向き、「よろしくお願いします」と礼をした。

 隣の女性は「成瀬陶子とうこ」と、若い方の女性はやはり「香田愛美」と名乗った。今は会社に出勤しているが、もう一人「川辺亜矢」という女性もいるらしい。


「ここでの生活は、俗世でついた垢、猜疑心や利己心といった負の感情を落とし、魔に負けない自分になるための修行です。『私が私が』という我執を捨てるために、基本的にはさくらさん、陶子さん、愛美さんの三人一緒に行動してもらいます」

 天野が述べる。円陣といっても、夕貴だけは天野に寄りそうように座っている。彼女は別格なのだろう。


「あ、それから、ここでは下の名前で呼び合います。その方が親しみがわくでしょう? 私のようなオッサンは下の名前で呼んでも気色悪いので、除外しますが」

 いたずらっぽく笑う天野に、織田はほっとした。今日は厳しい表情しか見ていない上に、これからどういう生活が始まるのかわからないのが、不安だったのだ。


「一時的とはいえ、起居を共にするのですから、自分をさらけ出して親しくなり、我執をなくすきっかけにして欲しいですね。……せっかく三人いますし、自己紹介がてら、お互いの第一印象を言ってみましょうか。深く考えずに、直感で答えて。では、まずさくらさんについて」


 ぎょっとする間もなく、天野が自分の左にいる愛美を指名して、すぐに答えるよう促す。

「えっと……賢そう。運動神経が良さそう。それから……結構貯金してそう」

 外見の印象通り、おっとりした話し方だ。司はこういう女性が好みだったのか、とぼんやり思う。


 次に指名された陶子は「長女っぽい」と答えたあと、言葉に詰まってしまった。そこを天野が「思いついたことを早く答えて」と急かす。彼女は「たぶん独身」「男勝りかも」を付け足した。


 夕貴も指名された。彼女は笑顔できつい言葉を投げかけてきた。

「カレシいなさそう。男嫌いっぽい。愛想はいいけど計算高そう。……さくらさん、誤解しないでね。この先あなたのためになると思うから、あえてきついことを言っているんです。陶子さんも愛美さんも、自分が嫌われたくないから無難なことを言ったでしょう」


 二人がうなだれる。この自己啓発セミナーのような場から、織田は早くも逃げ出したくなった。


「頭が悪い子を見下してそう。プライド高そう」

「料理とかしなさそう。男女同権を掲げてお茶も淹れなさそう」


 もう一度天野に指名された二人が、容赦なく言葉の礫を投げつけてくる。ネタが尽きてくると「五年以上前の下着を平気で着てそう」というのも出てきた。


 なぜ初対面の人にここまで言われなければならないのかと、織田は歯噛みした。大体、愛美を助けるために危ない橋を渡っているのに、当の彼女から悪態をつかれるいわれはない。


「腹が立つでしょう。でもそれは、少しは身に覚えがあるからなのですよ」

 天野がゆっくりと言う。


「自分が他人からどう思われているかなんて、面と向かって聞ける機会はそうありません。どうしてそう見えてしまうのかを探り、少しずつ直していきましょう」

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