第5話 占い師のターン
天野の表情が急に変わった。目を見開き、まばたきをせずにじっとこちらを見つめている。もちろん、先ほどまでの人懐こそうな笑みは消えている。部屋が薄暗いので、顔に妙な陰影ができているのが不気味だ。
「どういう、ことでしょう」
上目づかいで、織田はおずおずと訊ねた。天野は考えこむように腕を組み、目を閉じている。
「さくらさんは、この
占い師など星の数ほどいるのに、なぜここに来たのか。一応の答えは用意してある。
「はい。友人から、占いで悪い結果が出ても、
天野が目を開く。
「では、加持がどういうものか、とりあえずはわかりますね」
大体は、と答えると、天野は腕をほどき、机の上で指を組んだ。
「それを聞いて安心しました。自然庵は占いを行ってはいますが、私の本業は行者です。実際に出家して僧籍もあります。ここから先は、占いではなく加持の分野になります」
織田がうなずくと、天野はざっと自分の経歴を語り始めた。
天野は、二十代後半まで普通の会社員として勤めていたが、あるとき難病にかかった。病院を転々としても治らなかったのに、密教行者から加持を受けたところ、嘘のように健康になった。
感銘を受けた彼は、会社を辞めて出家し、某宗派の本山で十年間修行した。しかし、本山の僧侶ですら加持をパフォーマンス的なものと捉え、その効果を信じ切っていないことに失望し、山を下りて自宅で加持を修し始めた。
様々な種類の加持を修したいので、次はインターネットのSNSや掲示板で悩み相談に乗って相手と仲良くなり、恋愛成就や開運祈願の加持を勧めてみた。だんだん依頼も入るようになり、加持の効果もあがってきて、今に至るという。
「長々と話してしまいましたが、やっぱり現代の人たちは加持の効果を本気にしていない。気休めのおまじないくらいに思っている。昔は、病気になったらまずは加持を修したし、政敵を倒すにも必ず加持だったんですよ」
今までの明るい口調ではなく、少し低めの落ち着いた声でゆっくりと話す。『源氏物語』の加持のシーンや、源平合戦時に敵を呪う修法が行われた記述などを思い出し、織田は相槌を打った。
「今からお話しするのは、行者であり特別な『眼』を持つ私から見たことです。だから、一般には通用しないし、あなたが信じる信じないは自由です」
織田は唾を呑みこんで、身構えた。
「占いでは仕事にまつわる運がいいし、実際職場でもうまくいっている。なのに、なぜあなたは不安なのか。それは、何かがあなたの邪魔をしているのを、敏感に感じ取っているからです」
新興宗教がよく言う「先祖の祟り」パターンだろうか。織田は次の言葉を待った。
「我々はそれを、『魔』と呼んでいます」
神秘系の単語が直球で来たよ!
織田が戸惑っていると、天野が落ち着いた声で続けた。
「といっても、マンガに出てくるような人格を持った悪魔を指すわけではありません。もっと漠然とした広義のものです。お釈迦様が瞑想されているときに、マーラ、つまり魔が邪魔をしようとした、と仏典にはあります。これは、心の中の煩悩のことです。眠りたい、お腹いっぱい食べたい、という誘惑で修行を台無しにしようとする。その正体が、魔です」
仏典を出されると、説得力が出てしまう。織田はうなずいた。
「レベルの高い行者や霊能者なら、この魔を見ることができます。……有名なアニメ映画に、古い家の中を
かわいらしいアニメキャラが魔に近い、と言われると、ギャップは大きいものの、身近に思えてくる。
「あのアニメを作ったのは、魔が見える人なんでしょうね。……つまり、魔は特別なものじゃないんです。そこらじゅうに、当たり前にいる。よく、魔が差す、と言うでしょう。あれは本当に、魔に憑かれて予想外の行動を取ってしまうんですよ。だから、彼らも被害者なんです。かわいそうに」
漠然とした煩悩が魔だと言っていたのに、いつの間にか霊的な塊ということになっている。納得できないでいると、それが表情に出ていたのか、天野がかぶせてきた。
「簡単に言うと、人間の煩悩を助長したり引き出したりするエネルギーのようなものです。よく、『自殺の名所の崖下を覗いていたら、なんだか吸いこまれそうになった』とか、『あの人と一緒にいるとなぜか体調が悪くなる』という話を聞くでしょう。ああいう、正常な判断力を狂わせる磁場のようなものが、魔です」
生返事をすると、天野がさらに畳みかける。
「部屋の中で、誰かが喧嘩をしていたとします。たとえ喧嘩が終わってから、そのことを知らずに部屋に入ったとしても、なんとなく空気が悪いのを感じるでしょう。まだ残っている怒りの気が伝わるからです。このように、負の感情というものは、その場や人に残って他人に悪影響を与えます。負の連鎖を起こして増大もします。これが磁場、つまり、魔なのです」
わかったようなわからないような気分になり、織田は「そうなんですか」とうなずいた。
天野は机の上の箱からロウソクを取り出し、燭台に挿してマッチで火をつけた。マッチ棒の持ち方が、実家の法事に来ていたお坊さんと同じ三本指で固定する方法だったので、本山で修行したのは本当なのかな、と織田は思った。
薄暗い部屋で朱色の炎がゆらめく。半眼でこちらを見ていた天野が、口を開いた。
「あなたの近くに、魔がいます」
ロウソクの火が上方に向かって大きく伸び、外炎が数回瞬く。
「運の強いあなたにはなかなか近づけないから、少しずつ影響を与えて弱らせようという魂胆です。だから、うまくいっているはずの仕事に不安を覚える。……徹夜中に、誰もいない椅子が動いたり、物音がしたりしませんでしたか? または、誰かにつけられていると思ったことは?」
実はネタに詰まったときのため「ストーカーに悩まされている」という裏設定を用意していたのだが、まさかリンクするとは思わなかった。どきりとした一瞬で、目や唇の動きを読まれてしまったらしい。
「覚えがあるのですね」
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