第4話 偽プロフィール vs 占い師

 扉が閉じられ、僧形の男性と対峙する。空調のきいた室内に、お香の匂いがただよっていることに織田は気づいた。

「そちらにおかけください」

 これが、複数の女性を庵に留めているという男か。

 緊張と渇きのせいでわずかしか出ない唾を、織田はごくりと飲み込んだ。


 織田は対面の丸椅子に腰をかけ、足元にある箱にバッグを入れた。

 男と向かい合う。目の下の隈が濃く、四十代半ばと聞いていたが、もう少し年上に見える。くっきりとした二重で黒目が大きく、愛嬌のある顔と言えなくもない。やや馬顔で、厚めの唇にほくろがあった。

「天野です。よろしく」

 男が目を見開いたまま口だけで笑顔を作る。

「織田と申します。よろしくお願いします」

 肩を縮めて一礼すると、天野は「では、観ていきましょう」と書類を取り出した。


 机の上の白い紙に何やら書いたり、使い古してぼろぼろになった本で調べたりしながら、考えこむ表情をしている。半分以上本当とはいえ、架空のプロフィールであることがばれたのではないかと気が気ではなく、汗ばんだ手をもぞもぞさせた。

 机の上には他に、カードの束や積み木のようなもの、箱、小さな燭台、それと数珠が置かれている。


「ああ、あなたは頭のいい人だね。知識や教養だけでなく、バランス感覚があり、大きく道を踏み外すことはない。相手に合わせるタイプだから、あまり争いごとにも巻き込まれない」

 天野が確かめるようにこちらを見ながら、笑顔で語りかける。織田が相槌を打つと、さらに先を続けた。「芸術的センスがある」等の好意的なことがほとんどだったが、肯定的な雰囲気を作ってマインドコントロールをしやすくする罠かもしれない。話し方がフレンドリーなのも、わざとなのだろう。


「さて、じゃあ本題に入るね。お仕事の悩み、と」

 始まった。織田は肩に力を入れて、身構えた。

「今は、何のお仕事をしてるの?」

 ここは嘘をつかないことにしている。

「編集です。大きな出版社の下請けで、企画本を作ったり記事を書いたりしています」

 天野は判読できないくずし字をいくつか書き、トントンと鉛筆で紙を叩いた。

「仕事運はいいですよ。あなたは芸術や学問的なことに関わる仕事に向いているから、適職でしょう。……人間関係は、問題ないですよね?」

 天野が意味ありげに微笑む。心理テクニックでよくある、否定型での問いかけだ。これなら、答えが「問題あり」でも「問題なし」でも、占い師の読みが当たった、と相手に思わせることができる。


「はい、問題ないです。人間関係はいい方だと思います」

「そうでしょうね。あなたは人運があるから」

 あっという間に、「今のは人間関係が良好だというこちらの予想を確認しただけ」になってしまった。たとえ「実は上司と仲が悪くて」と答えていても、「そうでしょう、だから聞いたんです」という流れを作っただろう。


「編集って忙しいんでしょう? 入稿前に徹夜とか、ドラマでよく言ってるし」

 いかにも雑談という風に軽い口調で、天野が話しかけてくる。

「はい。締め切り前はいつも終電ですね。泊まり込みもありますし」

「女性でも泊まり込みなんだ。女性用仮眠室とかあるの?」

「いえ、五人だけの小さな会社なので、みんな会議室のソファか、床で寝袋に入って寝てます」

 織田も、雑談的に応じる。このあたりは本当のことを言っても大丈夫だろう。

「寝袋まであるとは、用意がいいなあ」


 目を丸くする天野に、つい織田も話を進める。

「中途で入社したときに、社長から専用の寝袋をプレゼントされたんですよ。みんな色違いで持ってるんです」

 戦隊モノみたいだ、と天野が椅子の背もたれにそりかえり、手を打って笑う。

「ちなみに何色?」と訊かれたので「ピンクです」と答えると、「モモレンジャーだ!」とさらに笑われた。

「うん、モモレンジャー、いいね。上司から愛されているんだね。……しかし、入社早々寝袋支給では、びっくりしたんじゃないの?」

 少し真面目な顔に戻って、天野が言う。

「はい。でも、それで覚悟が決まったというか。きつい仕事ですけど、本が出ると嬉しいですし。モモレンジャー上等です」

 織田が答えると、「あなた、面白い人だ」と天野がまた笑う。


「でも、そんなに忙しいと、恋愛がうまくいかなくなりそうだね」

 天野が意味ありげに微笑む。恐らく鎌をかけているのだ。

 仕事の悩みといっても、そのせいでうまくいかないのは、人間関係、恋愛関係、金銭面、健康面と細分化される。消去法でひとつずつ潰して絞るつもりだろう。


「確かに、結婚するならそろそろ考えなきゃいけない年齢ですけど、今は仕事のことで頭がいっぱいでして」

 あまり興味がなさそうな口調で答える。

「おじさんからしたら、こんな若くてかわいい子が仕事に夢中で恋もしないなんて、もったいない気がするけどね。あ、最近はこういうこと言っちゃいけないんだっけ」

 案の定、天野は「今のは雑談」という風に受け流し、次の手を打ってきた。


「お給料には、満足していないのかな。今はよくても、将来的にそれで生活していけるか、とか」

 確かに将来の不安はある。ファルスの給料は、そんなに多くない。残業代込みの固定給で、深夜帰宅時のタクシー代や夜食代も、もちろん自腹だ。せいぜい八時くらいまでの仕事できっちり残業代をもらい、ボーナスも基本給の二倍以上あった前職が懐かしい。

 不安が顔に出たのか、天野がすかさず畳みかける。

「二十代も後半になると、『今だけよくてもいけない』って守りに入るよね。遅くまで働いて、一人家に帰ってふと、このままでいいのかなって思っちゃったり」


 織田は無意識にうなずいていた。我に返ると、少しだけ前のめりの姿勢になっている。本音の部分では、今の仕事を続けていけるのか漠然とした不安を抱え続けていた。試しに「これでいいのか」訊いてみたい。

「そうなんです。仕事は好きだし、周りともうまくやってるんですが、終電まで残業とか徹夜とか、そんな働き方を四十、五十になってもできるのか、苦労している割に給料が安くて、今はよくても老後は大丈夫なのか、いろいろ考えていると不安なんです。軌道修正するなら今の内に、と思うと焦ってしまって」


 自分は今二十五歳ということになっているから、最後の部分はごまかした。実際は二十八歳、十月には二十九歳になる。動くなら二十代の内が有利ではあるが、今の仕事を積極的に手放す気にはなれない。

 天野がうなずきながら、こちらを見ている。織田は駄目押しの言葉を発した。

「このまま今の仕事を続けても、大丈夫なのでしょうか」


 そうですね、と天野が書類に目をやる。

「さっきも言ったけど、今の仕事は適職だね。その意味では、下手な転職はしない方がいい」

 織田は思わず安堵のため息をついた。「辞めた方が身のため」と言われでもしたら、やはり気分が悪い。

「財運は困らない程度にはあるよ。周りが助けてくれるし、不自由はしないはずだ。あなた、人運があるから」

「ホントですか?」

 つい嬉しくて、口角があがってしまう。天野が微笑み返してくる。

「織田さくらさん。あなたはこのままで大丈夫」


 天野が一息ついて、ゆっくりと息を吐き出した。

「……と、普通の占い師なら言うでしょうね」

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