第一幕

第3話 潜入! 自然庵

 翌日、織田朔耶さくやは坂口司と一緒に、自然庵じねんあんの最寄り駅に降り立った。

 典型的なベッドタウンで、駅の南側は住宅街だが北側は山になっており、民家はまばらにしかない。自然庵は山の中腹にある。周りは畑ばかりだから、助けを求めようにもいちばん近い家まで距離がありすぎる。だから、愛美まなみは手紙を出したのだ。


「じゃあ、僕はここで待ってるけど、織田さん本当に大丈夫?」

 司が心配そうに訊いてくる。そうはいっても本気で止めようとしないのは、幼なじみの愛美が心配だからだろう。

「ダイジョブダイジョブ! その代わり高くつくからね。お昼ご飯はおいしいものおごってよ~」

 軽口を叩いて、織田は司に手を振り、坂道を歩き始めた。


 電車の中で司から聞いた話を思い出す。

 司の住む地域では地区ごとに集団登校することになっており、上級生である司は、寝坊しがちな愛美を家まで迎えに行くのが常だった。彼女もよくなついており、「司兄ちゃん、ネコ見せて」と神社の境内に遊びに来ていたそうだ。中学二年のバレンタインに、司は愛美から手作りチョコをもらう。大事に取っておいたのに、若き日の坂口社長が勝手にチョコを食べてしまって、大喧嘩をしたらしい。

 中学生の頃に手作りチョコをくれた女の子って、大人になっても忘れられないし、なんなら今でも好意の対象なんだな。

 妙なことに感心しながら、織田は自然庵までの道のりを覚えつつ歩を進めた。


 少し先に広場があり、白いビニール屋根のテントが設営されている。やぐらは紅白の布や提灯で飾られており、「おんはら祭」というプレートがかかっていた。地元住民による祭のようだ。広場の奥に千木ちぎ鰹木かつおぎのある建物が見える。あれが神社だろう。

 七月の強い日差しと坂道のせいで、汗が噴き出てくる。慣れないパンプスのせいで歩きにくいし、同じく着慣れないスカートが足にまとわりついて閉口する。


 長い坂をようやく上りきったところに、自然庵はあった。

 舗装道路を右に折れて竹藪を通ると、小さな門が見えた。案内板には、自然庵という屋号の横に「加持かじ、占い、各種承ります。庵主・天野浄心」とあり、電話番号やホームページアドレスが書かれている。

 織田朔耶さくやは汗を拭き、腕時計で時間を確かめた。予約時間の八分前だ。会社で借りて来たボイスレコーダーのスイッチを入れ、バッグの中に隠す。


 前もって考えてきた偽名と住所を、頭の中でおさらいする。

 神道の祈祷もそうだが、加持の場合も、名前と住所を明らかにすることで願主を特定し、神仏からの加護、場合によっては呪いを送るという。だから、念のために偽名を使用するのだ。

「馴染んでいないとバレるから、本名に近い方がいい」という司の提案で、苗字はそのままにして名前だけを一音変え「織田」にした。住所は、まったくの偽物だと調べれば判ってしまうので、「俺のアパートのを使っとけ。万一呪われても跳ね返してやる」という言葉に甘えて、社長の住所を拝借する。生年月日は、実際より三年若い設定だ。


 私は織田さくら二十五歳、と自分に言い聞かせて、織田は門をくぐった。

 左手に二階建ての民家、右手に平屋の離れがある。離れの方の玄関が開いており、「どうぞお入りください」という手書きの紙が、柱にピンで留められているのが見える。織田は砂利の中の飛び石を歩き、離れの建物へ向かった。

 中に入る。古ぼけた下駄箱の上に、額に入れた仏画が飾ってある。ありふれた古民家いった印象だ。念のため天井を見回したが、特に監視カメラなどはない。


「ごめんください」

 呼びかけると、パタパタという足音が近づいてきた。壁の向こうから、若い女性がひょいと顔を出す。長い髪がこぼれ落ちて、宙に垂れさがる。

「ご予約をいただいていた、織田さくらさんですか?」

 女性は顔立ちも声も若く、大学生くらいに見える。はい、そうです、と返事をすると、脇のスリッパ立てから一足取って並べてくれた。

「どうぞ」

 微笑む女性の顔は、まだあどけなさが残っているのに、きつすぎるアイシャドウや赤い口紅で塗りたくられていて、ちぐはぐな印象を受ける。織田は靴を脱いで上がり、やはり板についていないタイトスカートの後姿を観察しながら後に続いた。

 彼女も、共同生活を強いられている女性達の一人だろうか。


 六畳間へと通される。真ん中に応接机と座布団、壁際に事務机とパソコン、ファックス電話が置いてある。ここで自然庵の管理をしているのだろう。

「少々お待ちください」

 女性が出て行く。

 足音が遠ざかったのを確認して、織田はバッグから携帯電話を取り、カメラ機能を呼び出した。監視カメラが仕掛けてあったらと不安に駆られながらも、事務机の写真を撮る。「顧客名簿」「宿曜」「四柱推命」といったファイルの背表紙が見える。

 できれば中身も撮りたかったが、足音がしたのであわてて携帯をバッグに入れ、スカーフで中が見えないようにする。額ににじむ汗を、タオルハンカチで拭き取った。


 襖が開き、先ほどの女性がお盆にお茶を載せて入ってきた。

「ここは坂の上だから、暑い中を歩いて来られるのは大変だったでしょう。どうぞ」

 グラスが目の前に置かれると、氷がカランと音を立てた。急に喉の渇きに気づく。が、同時に嫌な話も思い出した。ある宗教団体は、見学者に幻覚剤を混ぜたお茶を飲ませた上で、恐ろしい映像を見せて洗脳していたという。

 しかし、ここで飲まないのは不自然だ。織田は少しだけ口に含んでハンカチを当て、お茶を染みこませた。変な味はしないし、いきなり幻覚剤など使わないだろうが、用心のためだ。


「受付をしますので、こちらに必要事項をお書きください」

 女性が書類とペンを目の前に置く。住所、氏名、生年月日、出生時刻、出生地、血液型と、ほぼ基本的な記入事項だ。織田は、打ち合わせ通りに架空のプロフィールを記入した。「特に占って欲しいこと」の欄には、仕事について、とだけ書く。

「お仕事についての悩み、ですね」

 回収した書類に目を通しながら、女性が言う。受付の段階で詳しく話を聞いておいて占い師にこっそり告げ、さも占断で当てたようにふるまうパターンは、昔からある。ここは引っかかったふりをしてぺらぺらとしゃべり、あとで「当たってます、すごい」と感嘆してみせた方がいいのだろうか。迷っていると、女性は微笑みながら言った。

「これから先生に占っていただきますが、あまり硬くならず、気軽にお話してくださいね。ふとした雑談から、本当の問題が見えてくることもありますし」


 少々お待ちください、と言って、女性は書類を持って部屋を出て行った。いよいよだ、と織田は深呼吸して気持ちを落ちつけようとした。

「どうぞ、こちらへ」

 襖が開いて、女性が顔を出す。織田はバッグを持って立ち上がった。女性の後について短い廊下を歩き、ドアの前で立ち止まる。


 女性がノックすると、「どうぞ」と男性の声がした。僧籍のある行者というから、もっと重々しい声を想像していたが、やや高めで軽い感じがする。

 女性が扉を開けて、目で促す。織田は「失礼します」と言って、中に入った。

 四畳半ほどの薄暗い部屋の中央に、テーブルセットがある。


 壁にかかった曼荼羅まんだらの前に、剃髪して黄色い法衣を着た男性が座っていた

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