第2話 マインドコントロールかも
こわばった表情で、坂口
「たすけて、って……
うろたえながら社長席の受話器を取ろうとする司を、津島が制する。
「落ち着きましょう。もうすでに、親御さんが警察に相談はされていますよね。それに、この手紙には『大丈夫』とあります。警察は民事不介入を掲げているから、これだけでは動いてくれないでしょう」
「でも、早く助けないと……」
津島がうなずく。
「ですから、もっと情報を集めるのです。私も、知り合いの事件記者やライターに聞いてみます。最近、気になる噂を耳にしたので。織田さんと司さんは、ネットで調べてみてください」
そう言うと、津島は椅子を引いて自分の席に戻り、名刺ホルダーを繰って電話をかけ始めた。
「私たちも手がかりを探そう。まずは、この『じねんあん』が何なのか、だね」
織田は、津島と背中合わせにある自分の席へ行き、インターネットに接続した。検索サイトに「じねんあん」と入力し、エンターキーを押す。結果欄の上位には、「自然庵」という文字が続く。どうやら、漢字表記はこれらしい。
「自然って書いて『じねん』って読むんだ」
織田がつぶやくと、司が後ろから覗き込みながら言った。
「じねんっていうのは、仏教用語なんだ。真理である法が人為を介さずそのままに存在している、という場合にも使うけど、
検索結果には、葬儀社や自然派食品レストラン、健康サークルなどの名前が並ぶ。ヒット数は、漢字表記でやり直しても三千万件にも及び、絞り込みが必要だ。
「そうなると心配なのは、彼女が怪しい宗教団体に絡め取られたんじゃないかってことだ。きちんとした智慧もないのに『じねん』のうわべだけ振りかざす奴に、ろくなのはいないよ。『あるがまま』を『ありのまま』でいいって意味だと勘違いするしね」
眉根を寄せてしゃべる司の横顔を盗み見る。神主の立場から、インチキ宗教には言いたいことが山のようにあるのだろう。
織田は封筒の消印にある地名を加えて検索し、候補を順に見ていった。
「その情報、もっと詳しく教えてください」
背後の津島が何かつかんだようで、電話の相手と話しこんでいる。聞き耳を立てていると、電話を切った津島がコロ付きの椅子に座ったまま、織田の席まで滑ってきた。
「
津島が得た情報によると、自然庵を営むのは、四十代半ばの男性で、しかるべき寺で修行し、僧籍もあるらしい。
当初は病気平癒の加持や、
「彼は、女性客の何人かを庵にとどめ、共同生活をしているようです。数は不明ですが、外出自由の人もいて、スーツを着て毎朝出勤し夜に庵へ帰る女性が目撃されています」
マインドコントロールという言葉が浮かんだ。先入観を持ってはいけないが、男性一人と女性数人の共同生活というのは、普通ではない。
検索ワードに「加持」「占い」を加えると、それらしきホームページがヒットした。
庵主 天野浄心
津島の情報通り、占いと加持を二大看板に掲げている。
占いで人々の悩みや不安の原因を探り、
司がまじまじとホームページを見つめる。
「愛美ちゃんはここにいるんでしょうか」
恐らくは、と言って津島が腕組みをした。司がディスプレイに見入ったまま拳を握りしめる。
「胃癌が治ると喧伝するとか、まともなとこじゃないですよ。すぐに連れ戻さなきゃ!」
「はいどうぞ、と帰してくれる相手ならいいですがね。何か方法を考えないと」
沈黙が流れる。焦りと心配のせいか、落ち着きなく体を揺らす司を見ていると、なんとかしてあげたい気持ちになる。織田は、そうだ、と手を打った。
「占いのお客を装って、庵に潜入するのはどうでしょう。うまくいけば、愛美さんとコンタクトが取れるかもしれない」
司の顔が明るくなる。
「それだよ、織田さん。さっそく僕が」
「でも、男性客だと警戒されないかな」
格好つけたいというのもあるが、ごく軽い気持ちで織田は口にした。
「よければ、私がサクラになろうか」
司が何か言うより先に、津島が即答した。
「いけません。ミイラ取りがミイラになったら、どうするんですか」
「大丈夫ですよ。警戒していけば、洗脳されませんから」
津島がため息をつく。
「貴女って人は。この前入稿した『オトナのための心理学教室』に、自分で書いたでしょう。人の脳は、危機にさらされれば自分自身にすら嘘をつくものだ、と。ストックホルム症候群などは、その典型です。自分は絶対大丈夫と思っている人ほど、あっさりと足元をすくわれるんですよ」
ストックホルム症候群とは、人質が犯人に好意を抱いたりする自己欺瞞的心理操作だ。犯人に反抗的であるより好意的である方が生存確率が高くなるため、無意識のうちに犯人へ愛情を感じるようになると言われている。ちなみに無事救出されたあとは、その偽の愛情は憎しみに変わる。
「でも、このままじゃ愛美さんが……」
「よし、話は大体睡眠学習で聞いた!」
織田の言葉をさえぎって、寝ていたはずの坂口社長が現れた。トレードマークの丸眼鏡を指で押し上げて格好付けてはいるが、仮眠スタイルのランニングシャツと短パン姿だから威厳もへったくれもない。
「オダサク、よく言った! それでこそファルスの社員だ」
社長は織田
「明日はそのジネンアンとやらの潜入取材に行ってこい。土曜だからちょうど休みだろ。休日手当と占い代の実費、それに昼飯代くらいは出すぞ、司が」
坂口、と津島が言うのを、社長が制する。
「オダサク、『オトナのための心理学教室』を書いたんなら、あっさり敵の手に落ちることはないよな。しっかり潜入取材してこい。うまくいけば、週刊誌に記事を売れるかもしれん。このところ、赤字続きできついんだよ」
狙いはそれかと思いつつも、織田は大きくうなずいた。
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