第5話 波瀾万丈な1日(後編)

 いちごワニ園の園長がどんな人かというと“紳士で謎めいた人”である。

 

 七三分けに整えられた灰色の髪、優しげな目尻をし、彫りの深い顔が特徴的なお洒落で魅力的な中年男性。

 英国紳士と見間違うほどのナイスミドルだが、その正体はいちごワニ園の園長である。


 動植物園の園長でありながら交流関係は広く、世界中のお偉いさんと仲が良いと聞いた時は誰もが耳を疑った。

 最初は冗談かと思ったが、実際にA国の大統領を連れてきて仲良く喋っている光景を目の当たりにし、“園長の正体は総理大臣”とか、“園長は裏世界の人だ”とか、色々な憶測が飛び交ったが、結局未だに謎のままである。


 父親の友人であったこともあり、園長と付き合いが長い晃ですら、園長の素性は知らない。本名すらもーー。



 園長室に来た晃は、目の前にいる園長と、彼の隣に立つ黒のライダースジャケットとチェーン付きでワインレッドのレザーパンツを履き、左耳にはカフスとピアスを付けた、ピンクのソフトモヒカンが特徴的なヤンキーっぽい青年を交互に見る。


「あの、園長。この方は…」

「彼は私の知人だよ。名前はーー」


 園長が紹介する前に、青年が自らを名乗る。


「初めまして。栗栖 桃太郎くりす ももたろうです。動物愛護団体で生態系の保全をしています」

「は、初めまして! 璃鳥 晃りどり あきらと申します。ワニの飼育を担当しています」


 桃太郎は手を差し出し、晃と握手を交わす。

 見た目に反して人当たりの良い桃太郎に、晃は胸を撫で下ろした。


(よかったー、いい人で。てっきりチ●ピラかと思ってしまった…)

 

 安心する晃に、園長が微笑みながら一言。


「晃くん。桃ちゃんのこと“チ●ピラ”かと思ったでしょ」

「ーーなっ!?」


 図星を指されて、晃は動揺する。


「そ、そんなことは…」


 否定できずどもる彼に、桃太郎は園長に注意した。


「からかうのはほどほどにしてください。困っているでしょう」

「だって、晃くん顔に出やすいから」

「あわわわ。す、すみません! 栗栖さん」


 晃はあたふたしながら、桃太郎に深々と頭を下げる。

 桃太郎は「気にするな」と告げた。


「見た目が派手だからな。勘違いされるのは慣れている」

「は、はあ…」


 一応自覚してたんだ…。晃は口には出さず、心の中でそう思った。

 互いの紹介を済ませたのを見て、園長は本題に入る。


「晃くん。忙しいなか悪いんだけど、桃太郎くんに園内を案内してもらいたいんだ」


 園長にガイドを頼まれ、晃は目を見張った。


「え!? 俺がですか! 俺、ガイドとかやったことないですよ…。それなら、スミス先輩に頼んだ方がーー」

「太郎くんだと相性悪いから無理だと思うなー。逆に晃くんは桃ちゃんと年齢が近いし、なにより君は人が良いから!」

「は、はあ…」

「そういうことで、桃ちゃんのことよろしくね!」


 園長の期待に満ちた笑顔に、晃は断れず、ただ頷くことしか出来なかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 晃が園長室に来る前、詳細でいうならば彼がクチヒロカイマンのエリアを掃除していた頃だ。


 桃太郎は既に園長室に来ていた。このいちごワニ園に落ちたとされる“サルガスの剣”について聞くためにーー。


「“サルガスの剣”はあなたが管理するこの場所に落ちてきた。すでに調べはついています」

「みたいだねぇ〜」

「あなたなら彼がどこにいるのか、おおよその見当はついてるでしょう」


 桃太郎はじっと園長を見つめるが、相手は飄々とした態度を崩さない。


「それで、桃ちゃんは“サルガスの剣”を見つけてどうするの?」


 園長の質問に、桃太郎は真剣に答えた。


「保護します。そして、“奴ら”に気づかれずに彼の故郷である蠍座に帰します」

「そっか…。じゃあ、もしも彼が“地球この星に興味を示した”場合、君は彼の意見を尊重するかい?」



 想定の問いに、桃太郎は意味がわからないと眉間にシワを寄せる。



「何が言いたいんですか?」

「桃ちゃん。“サルガスの剣”…さそり座の種族は“強敵を求めて本能のままに戦う”生命体だけど、人間と比べて高度な知能を持っている。つまり、君たちと同じく“知りたい”という感情があるってことだよ。特に“サルガスの剣”と呼ばれる個体は、他と比べてそれが異様に高い」

「彼が…人間に興味を持つと?」


 そんな馬鹿な…と桃太郎は半信半疑の面持ちになった。


「仮にそうであったとしても、彼を地球に居させるのは危険です。“サルガスの剣”の異名を持ち、なおかつ銀河の秩序を乱す強者では…」

「桃ちゃんは頭が固いね〜」


 桃太郎の話にうんざりした園長は、ふと良いことを思いつく。


「そうだ。桃ちゃん、気晴らしに園内を見学したらどうかな?」

「ーーは?」


 唐突な園長の提案に、桃太郎は訳がわからずポカンと口を開ける。

 そんな彼を気にせず、園長はあれこれ設定していく。


「仕事は動物愛護団体で生態系の保全をしているってことにして…」

「あの、なんで見学を…」

「ガイドは君と歳が近いあの子に頼もう」

「勝手に話を進めないでください!」


 桃太郎が声を荒らげれば、園長は唇を尖らせる。


「えー。“サルガスの剣”を拾った一般人に会いたくないの〜?」

「なに…」


 園長の言葉に、桃太郎は絶句した。


「一般人、に拾われたんですか?」

「正確にはうちで働いている飼育員だけど…」

「な・ん・で、それどご言わねぁんだが!!」

「桃ちゃん、口調が地元の方言に戻ってるよ」


 桃太郎は秋田弁で園長を怒鳴ると、ショックのあまり頭を抱えたまま力なくソファに座り込む。


「よりによって一般人…。地球外生命体エイリアンの存在は長年極秘どされでぎだのに…。遂にそれが全世界さ知られでしまうのがっ!」

「いや、それは大丈夫だと思うよ」


 平然と答える園長を、桃太郎は鋭い眼差しで睨みつける。しかし、相手は怯まない。

 園長は大丈夫だという根拠をはっきりと告げた。


「だって、拾ったのは私の親友の息子さんだから」

「……」


ーーんだんてなんだ!だからなんだ!


 桃太郎は心の中で叫んだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 そして今、桃太郎は園長の親友の息子さんである晃と共に園内を見学していた。


「えーっと、栗栖さん…」


 畏まった様子で声をかけてくる晃に、桃太郎は苦笑いを浮かべる。 


「桃太郎でいい。そっちの方で慣れてるから」

「そうですか。じゃあ、“桃さん”って呼んでいいですか!」


 晃が人懐っこい笑顔で言えば、桃太郎は(一気にフランクになったなー。まあ、桃ちゃんよりはマシか…)と思った。


「好きにしろ。ところで、晃くんはいくつなんだ?」

「28歳です。桃さんは?」

「俺は29歳だ」

「俺より桃さんの方が年上だったんですね。てっきり年下かと…」

「それも周りによく言われる」


 さて…と桃太郎は頭の中で考えを巡らせる。


(この璃鳥 晃って奴が“サルガスの剣”を拾った一般人みたいだが…。璃鳥…。どこか聞いたような…。まあいい。まずはコイツについて色々聞きだそう)


 璃鳥、という姓名に何か引っかかる桃太郎だが、それはひとまず置いておき、晃について聞くことにした。


「晃くんはひとり暮らしかい?」

「いいえ、兄貴分2人とシェアハウスしています」


 シェアハウス。その言葉に桃太郎の思考は一旦停止する。


「マジか…。一般人がさらに2人も…」

「桃さん?」

「いや、なんでもない。しかし、男3人で暮らすのは大変なんじゃないか?」


 桃太郎は気を取り直して晃に問い返せば、晃は「そんなことはない」と返す。


「結構楽しくやってますよ。でも…」

「でも?」

「片方の兄貴分はカッコイイんですけど、性格が悪い。自分でご飯作らないで人が作った物を勝手に食べるし…。もう片方の兄貴分は良い人なんですけど、オカンかってぐらい小言が煩くて…」


 晃がうんざりしたように肩を落とす。

 そんな彼に、桃太郎は微かに笑った。


「そうが。んだども、おもしぇんだべ」

「ーーへ?」

「あ…」


 うっかり方言で喋ってしまい、桃太郎は失態したとばかり顔を逸らす。


「やっちまった…」

「桃さん。もしかして、秋田出身?」


 晃が出身地を問うと、桃太郎は頷いた。


「ああ、そうだ。普段はなるべく出さないようにしているんだが、気が緩んだり、ついカッとなったりすると、うっかり出ちまうんだ。直らねぇもんだな…」


 まいったなー…と呟く桃太郎に、晃は首を傾げる。


「別に変じゃないですし、俺は気になりませんよ」

「ん…。そっか」


 変じゃないと言われ、桃太郎は照れくさそうに頬を掻いた。


「変でねぁが…」

「はい。クロよりはまだーー。あ」


 晃は慌てて口を塞ぐ。


「クロ?」

「か、飼っている猫です!」

「ちゃぺど一緒にされるのは心外だ」

「ごめんなさい!」


 不機嫌な顔つきになる桃太郎に、晃は必死に謝る。

 一方、桃太郎は晃が“クロ”と呼んでいるのは猫ではなく、“サルガスの剣”ではないかと予想した。


(銀河の秩序を乱すほどの力がある“地球外生命体エイリアン”に名前をつけるとは…。危機感がないのか、ただのばかなのか…)



 桃太郎は呆れるも、それを顔に出すことはなく、晃に連れられ植物園の方へ向かった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 その頃、クロは晃のリュックサックで大人しくしていた。


『むー…。アキラが帰ってくるまで昼寝でもしていようかと思ったが、なかなか寝つけないな』


 暗い中で寝るには申し分ないリュックサックの中だが、弁当箱の上に乗っている状態なので、キャットハウスのようにフカフカではない。また、陽射しがないので温もりはなく、僅かに寒いのだ。


『これは毛布とやらを入れてもらわなければ…』


 昨日、陸が毛布を出しているのを見て、クロは気になってそれに飛び乗った。その時の感触は忘れられない。自分の寝床とは違うモフモフ感は心地良く、ついウトウトしてしまった。ーーすぐ陸に退かされてしまったのは無念である。


 クロはリュックサックの隙間から外の様子を窺う。

 人の目では真っ暗にしか見えないが、クロにははっきりと見えている。


『またロッカーを切ったら、アキラに怒られるな』


 クロが暇を持て余していた矢先、ロッカーの鍵が開く音が聞こえてきた。


『アキラが帰ってきたのか?』


 そう思ったクロだが、なにか違和感を覚える。


 アキラはボソボソ喋る者であったか?

 今日の朝、“モミジ”という者と喋っていた時は明るく元気な声だったはずーー。


 クロは目を瞑って神経を鋭敏させ、耳を澄ませる。

 聞こえてくる声は、晃ではなかった。


「誰も来ていないな」

「ああ。連れ出すなら今だ」


 連れ出す? いったいなんの事だ?


 クロが疑問を抱いた直後、突然リュックサックが動きだした。ーー正確にいえば持ち上げられたのだ。


『な、なんだ!?』


 突然のことにクロは困惑する。リュックサックを持った人物は走っているのか、そのせいで中は上下に揺れ動く。


『なにが起きてーーグハッ!』


 2つの弁当箱がクロの顔面に直撃する。

 クロは外でなにが起きているのかわからず、弁当箱に何度も顔面をぶつけたせいで気を失った。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 いちごワニ園の従業員用の駐車スペースで、蒼斗は缶コーヒーを飲んでいた。

 そこへ1台のバイクがやってきて、彼の目の前で停車する。

 一瞬誰だと思った蒼斗だが、ヘルメットを脱いだ相手の顔を見て目を丸くした。


「おお、克晴じゃねえか」

「よお、蒼斗。休憩か?」


 バイクから降りた克晴は、蒼斗に軽く挨拶をしてから尋ねる。

 蒼斗はその問いに肯定して頷いた。


「まあな。お前は? 今日は動物たちの健康診断じゃねえぞ」

「仕事が早めに終わった…というより“あんたは働きすぎ。ちょっとは休みなさい”って院長に言われて帰された」

「ああ…。お前はご指名が多いからな」

「その言い方はやめろ。ホストじゃあるまいし…」


 うんざりした様子の克晴に、蒼斗は(お前、昔からモテるだろ)と心の中でツッコむ。


 肩まで伸ばした青い髪をオールバックにし、長いまつ毛のタレ目、すっと通った鼻筋できれいに整った外人寄りの顔立ちをした長身のイケメン。性格に難はあるが、頭が切れる克晴は老若男女にモテるのだ。

 学生の頃から黄色い声を送られていたが、それは三十路になっても続いているようである。


「うちの女子飼育員(1名除く)の間でも話題になってるぜ」

「そうか…」

「嫌そうな顔すんなよ。お前もそろそろ結婚とか考えた方がいいんじゃねえか」


 蒼斗にこの先のことを聞かれ、克晴は目元に手を当ててため息混じりに言う。


「お見合いは、してる」

「え、してたのか。初耳だぞ」

「大体は見合い相手が一方的に話して終わる。“わたし、あなたのためにお料理教室に通ってるんです。いつも忙しいあなたのために栄養管理はしっかりしようと…”って言われてさ、蒼斗はなんてコメントする?」

「へー、そうですかぁー」

「そうなるだろ? お前の自己主張やら将来妄想はどうでもいいんだよって言いたくなる…」

「克晴。お前、苦労してんだな」


 ほとんどのお見合いが苦痛だったらしい克晴に、蒼斗は同情を寄せた。

 克晴は一旦気持ちを落ち着かせてから、話題を変える。


「まあ、俺より晃の方が心配だけどな」

「おっ。弟分を心配するなんて珍しい」

「いや、あいつさ…ガチで色恋沙汰に関しては疎いぞ」

「知ってる。未だに紅葉の想い、気づいてねえから」

「もみじ? ああ、“紅蠍べにさそりのクレハ”のことか」

「お前、その異名で呼ぶからアイツ怒るんだろ」


 紅葉のことを“クレハ”と呼ぶ克晴に、蒼斗は注意した。

 そんなの知るかと、克晴は鼻で笑う。


「別にいいだろ。あっちだって俺のこと“狂犬きょうけん”って呼んでくるんだから」

「売り言葉に買い言葉だな…」

「“蒼桜あおざくら”と恐れられた龍は随分落ち着いたみたいで」

「妻子持ちになればなー。それで、お前はなにしに来たんだよ、克晴」


 蒼斗に此処に来た目的を聞かれ、克晴は思い出したように顔を上げる。


「あっ、忘れるところだった。晃から預かっているもの貰おうと思って来たんだ」

「預かりもの?」

「おう」


 晃本人の前でなら「クロを引き取りに来た」という克晴だが、蒼斗の前ではそれは言えず…。


「メールしても反応なくてな。晃、忙しいのか?」

「ああ。なんか、園長に頼まれてガイドやってるみたいだぞ」

「ガイド? 晃が…。なにそれ、超冷かしたいんだけど」

「本当に性格悪いよな、お前…」


 呆れる蒼斗に、克晴は「冗談だ」と返す。


「じゃあ、更衣室まで案内してくれねぇ? 晃のロッカーから預かりもの持っていくから」

「弟分のロッカーだからってよ、プライベートってもんがあるだろ」

「アイツにプライベートってあるのか?」

「あるだろ〜」


 色恋沙汰に疎くても、晃にだって見られたくないものはある。…多分。

 あまり自信はないものの、そう断言した蒼斗は克晴を連れて管理事務所に入る。

 その時、中から出ようとしていた飼育員2人とぶつかった。


「あっ、悪い…」


 蒼斗は謝罪するが、ふとひとりの飼育員が持つリュックサックが目にとまる。

 それは、朝ーー晃が背負っていたリュックサックと同じデザインをしていた。


「ちょっと待てよ」


 思わず蒼斗はリュックサックを持つ飼育員の腕を掴む。


「そのリュックサック。俺の後輩が使っているのと似ているが、気のせいか?」


 蒼斗が低い声で聞いた瞬間、リュックサックを持った飼育員が彼を突き飛ばす。


「ーーおい!」


 蒼斗はそいつを捕まえようとするも、もうひとりに腕を払われてしまう。


「くそっ!」


 植物園エリア側の方へ逃げていく怪しげな飼育員たち。

 蒼斗と克晴は全速力で、彼らを追う。


「待てや! この盗人がぁああああッ!!」


 ドスの利いた声で叫ぶ蒼斗に、克晴は(“蒼桜”の龍は健在だったか…)と思う一方、怪しい飼育員たちに疑問を抱く。


(本当にただの盗人なのか? 晃の財布の中身なんてたかが知れて…。まさかーー)


 嫌な予感がし、克晴はズボンのポケットからスマホを取り出した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 植物園エリアにて。晃は桃太郎に様々な熱帯植物を紹介し説明していた。

 そのとき、晃のスマホが鳴りだす。ポケットから取り出してみれば、画面には着信で富井 克晴とみい かつはるの名前がーー。


「すみません、桃さん」


 桃太郎に断ってから、晃は電話に出た。


「はい。なんでしょうか、克兄。俺、今忙しい…」

『お前のことはどうでもいいんだよ』

「ちょっ!? 電話してきておいて、それはないでしょう!」

『お前のリュックサック、盗まれたぞ』

「ーーえ?」


 リュックサック、盗まれた。


 意味がわからず、晃の頭の中は真っ白になる。


『俺は盗んだ輩を蒼斗と一緒に追跡中。お前、今どこにいるんだ?』

「植物園エリア…」

『盗んだ輩もそっちに向かってる。待ち伏せして捕まえろ』


 克晴はそう告げて、一方的に電話を切る。

 彼の発言に、晃は衝撃のあまり立ちつくす。


「どうしたんだ、晃くん。顔色が悪いぞ」


 そんな晃を心配して桃太郎が声をかけるが、反応がない。

 なぜなら、晃の頭の中では2つの言葉がぶつかり合っていた。


(クロ…財布…クロ…財布…クロ…財布…)


 リュックサック盗まれた。その中にはクロと財布が入っている。

 クロは“地球外生命体エイリアン”。悪い奴に捕まったら大変だ。

 財布も大事。まだ3000円入ってたはず…。


 2つの言葉がごちゃまぜになっていくなか、晃の視界に自分が使うリュックサックとよく似た物を持った飼育員たちが通り過ぎるのを見る。

 直後、晃は全速力で彼らのあとを追った。


「俺のクロ財布ぅぅううううッ!」

「黒財布?」


 晃の絶叫に桃太郎は唖然となるも、先程見た飼育員たちに不審を抱く。


「誰だ、アイツら。従業員リストにいなかったはず…」


 まさかなと思いつつ、桃太郎もあとに続いた。



 逃げる偽飼育員たちを捕まえるべく、晃は必死になって走る。


「俺の、大事な、クロ、財布、返せぇぇえええっ!!」


 返せと言われて、相手が素直に返すはずがない。

 晃の走る速度がだんだん落ちていき、呼吸が乱れて苦しくなる。

 偽飼育員たちと晃との距離が開いていく。もう無理かと晃が諦めかけた時だった。


「なにしてるの!? 晃くん」


 紅葉の声が聞こえ、晃は顔を上げる。

 偽飼育員たちが逃げる先、植物園エリアの出口付近に紅葉が立っていた。

 晃は深く息を吸うと、ありったけの声をふりしぼって叫ぶ。


「紅葉ちゃん! そいつら、どろぼおおおおおッ!!」


ーー泥棒。


 それを聞き、なお偽飼育員のひとりが持つリュックサックを見て、紅葉の目が据わる。

 彼女は眼鏡を外し、偽飼育員たちの前に立ち塞がると、リュックサックを持つ方の側頭部目掛けて華麗な蹴りを食らわせた。

 リュックサックを持つ偽飼育員が倒れると同時、その後ろにいたもう1人の下腹に拳を叩き込んだ。

 一瞬の出来事に晃はポカンとなるも、すぐわれに返って一言。


「紅葉ちゃん、強いんだね…」


 感心して褒め称えられた紅葉は、晃と目が合うと顔を両手で覆い隠し叫ぶ。


「ああぁぁぁぁッ! やっちゃったぁぁあッ!」


 つい昔の癖が出てしまったと、紅葉は後悔する。

 そんな彼女を、晃は心配した。


「どうしたの? 紅葉ちゃん」

「晃くん! さっき見たのは無かったことにして!」


 紅葉が両手を合わせてお願いすれば、晃は戸惑う。


「え? でも、かっこよかったよ」

「かっこよくてもだめなの! 忘れて!」

「う、うん…」


 紅葉の気迫に押され、晃は頷くことしか出来なかった。

 一安心した紅葉は偽飼育員の手から落ちたリュックサックを拾い、それを晃に差し出す。


「これ、晃くんのリュックサックでしょ?」

「うん。ありがとう、紅葉ちゃん」


 晃は紅葉からリュックサックを受け取ろうとした矢先、やられたはずの偽飼育員のひとりが起き上がる。

 そして、瞬く間に晃を羽交い締めにし、彼のこめかみに拳銃を突きつけた。


「動くな。動くとどうなるか、わかっているな」

「ーーえ?」


 突然のことで晃は固まるも、こめかみに当てられている物を横目で見て息を呑んだ。


「あの…それ…モデルガン…ですよね?」


 恐る恐る晃は、偽飼育員に質問する。

 偽飼育員はそれに答えず、代わりに近くの大木へ引き金を引く。

 風船が破裂したような大きな音が、植物園内に響き渡った。


「本物、ですね…」


 銃口から流れる硝煙を見て、晃は拳銃が“モデルガン”ではないことを理解する。

 一方の紅葉は、晃が人質にされているため手も足も出せなかった。


「卑怯だぞ、アンタ…」

「目的のためなら我々は手段を選ばない。さあ、お前の持っているそれを渡してもらおうか」


 偽飼育員は紅葉が持つリュックサックを顎で指す。

 しかし、紅葉はそれを拒んだ。


「素直に渡すわけないだろ。これは晃くんのリュックサックだ」

「我々にとっては重要なものだ」


 互いに睨み合う2人を他所に、晃は(俺のリュックサック、5000円もしないんだよね)と場違いなことを考えていた。

 頑としてリュックサックを渡さない紅葉に、痺れを切らした偽飼育員は怒鳴り声で彼女を脅す。


「いいから寄越せ! この男の頭を吹っ飛ばーー」


 偽飼育員の言葉が途切れる。

 生い茂る木々の間から躍り出た桃太郎が、相手の持つ拳銃を蹴り飛ばしたからだ。

 拳銃が宙を舞うなか、桃太郎は裏拳で偽飼育員の顔面を叩く。相手が怯んだのを見逃さず、反転して頭上に踵落としを食らわした。

 脳天をやられた偽飼育員は目を回して地面倒れる。

 そして、宙を舞っていた拳銃は、桃太郎の手に収まった。


「間一髪だったな」


 力が抜けてその場に座り込む晃に、桃太郎は冷静な態度で言うと、拳銃に安全装置セイフティーをかける。


 動物愛護団体の人がなんで拳銃の扱いに慣れてるの?


 晃は疑問を抱くが、敢えてツッコミは入れない。目の前で気を失った偽飼育員たちに手錠をかける桃太郎の様子を見て、(実は桃さんの本業は警察官なんだ)と思うことにした。

 緊張感が解け一息つく晃に、紅葉が駆け寄る。


「晃くん、大丈夫? 怪我してない?」

「うん。大丈夫」


 晃が笑顔で頷けば、紅葉は胸を撫で下ろす。


「良かった…」

「心配かけてごめんね、紅葉ちゃん」


 晃と紅葉は互いを見つめ合う。そこへ…。


「なんだお前ら。いつの間に進展してたのか?」


 聞き慣れた気だるげな声が耳に届き、晃は顔を上げる。そこには悪戯っ子のような表情を浮かべた克晴がいた。


「克兄!?」

「植物園エリアまで来た途端、銃声が聞こえたって客が大騒ぎしてな。中に入るまで苦労したぜ。客の対応なら蒼斗がしてるぞ。もう少ししたら警察も着くだろう」

「そっか…」


 お客さんに危害が無くて良かったと安堵する晃。

 対して紅葉は鋭い眼差しで、克晴を睨みつけていた。

 そんな彼女に、克晴は怯む素振りすらなく、涼しげな顔で返す。


「何か不満そうだな、クレハ」

「晃くんの前でその名で呼ぶのはやめろ。狂犬」


 克晴と紅葉の間に不穏な空気に、晃は困惑する。


「か、克兄? 紅葉ちゃん?」

「晃。盗られてる物はないか、リュックサックの中を確認してこい」

「はい…」


 克晴に命じられ、晃はリュックサックを紅葉から受け取ると、足早に2人から離れていった。

 晃の姿が見えなくなると、克晴は小馬鹿にした態度で紅葉を見下ろす。


「良い雰囲気を台無しにして悪かったなぁ、“紅蠍のクレハ”」

「本っ当だよなぁ。よりによって、晃くんの前で昔の俗称出しやがって…。面白がるのも大概にしろよ、狂犬」


 かつて“紅蠍のクレハ”という異名で有名だった紅葉と同様、克晴も学生の頃は“狂犬”という異名を持つヤンキーだった。危険性は紅葉と蒼斗を上回っていたらしい…。


 苛立っている紅葉に、克晴はため息混じりに告げる。


「つうか、さっさとあのばかに告白しろよ」

「晃くんをばかって言うな! 告白しようにも、まだ心の準備が…」


 顔を赤くしてモジモジする紅葉に、克晴は(乙女か!)と心の中でツッコむ。



「まあいい…。これは兄貴分である俺からのアドバイス。晃はかなりの鈍感だ。アイツからの告白は期待するな」

「ーー肝に銘じておく」


 克晴からの助言を、紅葉は素直に受け止めた。

 それに満足したのか、克晴は彼女に背を向ける。


「頑張れよ、恋する乙女」

「う、うるさいっ!」


 紅葉が喚くと、克晴は愉快だとばかりに笑った。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 植物園にあるお手洗い場へと移動した晃は、人がいないのを確認してリュックサックを開ける。

 中は揺らされたせいでグチャグチャになっていた。


「クロー。大丈夫かー」


 晃が小声で呼びかければ、財布と弁当箱の下敷きになっていたクロが顔を出す。


『ナ、ナー…(ひ、酷い目にあった…)』

「はあ〜、無事で良かった」


 財布の中身も確認し、晃はクロと財布が無事だと知って肩を楽にしていると、克晴がやってきた。


「クロは大丈夫か?」

「弁当箱の下敷きになってたけど、大丈夫みたい」

「そうか…」


 克晴も安心すると、真剣な顔で晃に話しかける。


「晃。あの盗人たち…。これはまだ予測の段階だが、肯定として考えた方がいいかもしれない」

「克兄?」

「いいか、よく聞け。拳銃をだしてきたってことは、奴らはただの盗人じゃない」

「それってーー」


 晃の中で嫌な予感が膨れ上がる。

 それを察しつつも、克晴は意を決して告げた。


「奴らの狙いは間違いなくーークロだ」

「ーーッ!?」


 晃の脳裏に過ぎったのは、陸と口論になった時、克晴が放った残酷な言葉。


『“地球外生命体エイリアン”であれ、そうじゃないであれ、クロは珍しい生き物だ。頭のイカれた研究者たちにとって格好の“実験台”。体の外側だけじゃなく、内側まで徹底的に調べるぞ。生きたままな』


 想像しただけでおぞましくなる。

 晃は無意識にクロを抱きしめていた。

 急に抱きしめられたことに、クロは首を傾げる。


『ナー? ナナナ(どうした? アキラ)』

「クロ…。お前は俺が守るからな」

『ナナ?(守る?)』


ーー守る。


 その言葉の意味を、今のクロには知らなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 その頃、いちごワニ園を離れた桃太郎は人の気配が全くない広場で、仕事の同僚である金髪美女ロサ・ブランカことコルキスと待ち合わせた。


「桃ちゃ〜ん、おまたせぇ!」

「だから桃ちゃんって…。お前、なに持ってんだ?」


 右手を大きく振りながら小走りで近づいてきたコルキスに桃太郎は呆れつつ、彼女の左手に持っている物に目が留まる。


「これ? あたしのお・や・つ」


 コルキスが可愛らしく言うも、桃太郎はパッケージを見て愕然となった。


「ハムスター用のおやつじゃねえか! さてはお前、ペットショップに行ったな!」

「別にいいじゃない。美味しいわよ、さくさくコーン」

「そういう意味じゃなくて!」


 呑気にさくさくコーンを食べるコルキスに、桃太郎は頭を抱える。


「はあ…。まあいい。とりあえずコイツらを連行するぞ」


 桃太郎が偽飼育員たちを連れていこうとした時、そのひとりが不気味に笑いだす。


「我々を尋問するのか。無意味だ」

「どういうことだ?」


 桃太郎は相手の発言に訝しむも、その表情を見て言葉を詰まらせる。

 偽飼育員たちは怯えているのか、目から大量の涙を流していた。


「任務は失敗した! 遂行出来なかった我々は“処分”される!」

「あの人は中途半端を嫌う! 全ては完璧でなくてはならない! そう、自分が頂点トップにーー!」


 突然、偽飼育員たちの言葉が止まる。

 桃太郎が気づいた時には、彼らはすでに事切れていた。


「くそっ!!」


 桃太郎は悔しさで、地面に拳を叩きつける。

 その時、偽飼育員の首元から何かが飛び出してきた。


「桃ちゃん!」


 いち早く“それ”に気づいたコルキスが、桃太郎の襟を掴み、後ろへ引き寄せる。

 一瞬何が起きたのか、桃太郎はわからなかったが、先程自分がいた場所を見て目を開く。


 そこには、金属で出来たさそりのロボットがいた。

 それは生き物と同じように尻尾とハサミを掲げ、威嚇のポーズをとっている。


「なんだ!? コイツはーー!」

「桃ちゃん、伏せて!」


 コルキスは拳銃を取り出すと、蠍に向けて発砲する。

 1発目は避けた蠍だが、2発目は避けられずいとも簡単に壊れた。

 桃太郎とコルキスは警戒しつつ、動かなくなったそれを観察する。


「ロボット…? それにしてはよく作られてる」

「そいつが彼らを殺したのよ。尻尾のところを見て。針みたいなのが出てるわ」


 コルキスに指摘され、桃太郎は尻尾の部分を注視した。確かに注射針のようなものが出ている。


「本部に持ち帰って調べてみるか…。それから、仏さんたちは司法解剖にまわせ」

「わかったわ」

「あと、長官に“宇宙局の社員リスト”を出してもらうよう要請してくれ」

「宇宙局の社員リスト? なんでそれが必要なの?」

「……」


 敵はいったい何者なのか。


 なぜ、“サルガスの剣”を狙うのか。


 その理由はわからない。


 ただ、唯一わかったことはある。


 偽飼育員のひとりが、事切れる前に告げた言葉ーー。


「あの人は中途半端を嫌う。全ては完璧でなくてはならない。自分が頂点トップに…」

「桃ちゃん?」

「“あの方”の出番はなければいいが…。コルキス、下手したら今回の山は銀河の秩序を乱す騒動になるかもしれないな」


 茜色に染まった空を睨みながら、桃太郎はそう呟いた。


 

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