三つのお願い
増田朋美
三つのお願い
三つのお願い
今日は、のんびりした、暖かい日で、いよいよ春到来か、と、思われる日だった。こういう時こそ、新しい服が欲しくなったり、可愛らしい服を着てどこかへ出かけてみたくなる季節だった。
今日は、とりあえず、暖かいから、とりあえず、冬物の長襦袢をしまおうかあ何て、杉ちゃんが考えていると、インターフォンがピンポーンとなる。
「ハイハイ。何だよ。」
と、玄関のドアを開けると、二人の女性がいた。いかにも、金持ちそうな、母親と娘とすぐにわかる親子である。
「あの、どなたですかいな。」
杉ちゃんが言うと、
「ああ、佐藤と申します、ここでお和裁をやっているそうですが、間違いなかったかしら?」
と、母親の方が言った。
「まあ、和裁というか、着物の仕立てをやっております。」
と杉ちゃんが言うと、
「それでは、一寸、お願いなんですけどね。」
と、母親が、いきなりそういうことを言った。
「はあ、お願いとは何でしょう?とにかく中に入ってくれ。」
と、杉ちゃんは、二人を中に招き入れる。
「まあ、座ってくれや。」
杉ちゃんは、にこやかに言った。
「で、今日は、どういう訳でここに来たんだよ。」
「それではですね、直ぐに申し上げます。この反物を、振袖に仕立ててください。」
と言って、母親が、一枚の反物を見せた。
「はあ、これですかあ。之、どう見てもただのポリエステルに、ボタンの花を、プリントしただけじゃないかよ。」
と、杉ちゃんは、布を見た。
「だからこれを、振袖に仕立ててください。これであれば、十分、きれいな振袖になるでしょう。」
「そうですが、、、。」
確かにその反物は、赤い地色に、紫などでボタンが入った、派手な着物でもあった。でも、どこか物足りない、そこらへんの安物という気がする。
「あの、お前さんたちは一体何をするつもりなんだ?振袖を。」
と、杉ちゃんは、頭をかじった。
「結婚式とか、それとも、どこかの大学の卒業式とか?」
「ええ、成人式なんです。今、19歳ですけど、来年の冬に成人式があるもんですから。そのための振袖を作っていただきたい。」
と、母親は言った。
「そうですか。成人式に着るには、この生地はちょっと、頼りなさすぎます。こんなポリエステルの、ペーペーの生地ではなく、ちゃんと正絹の振袖を作るべきじゃないのかなあ。」
と杉ちゃんが言うと、
「正絹って、そんな高いもの、家にはありませんよ。私は、着物なんて、一枚も持ってないし、売ったってどうせ、10円とか、100円くらいにしか、ならないんでしょ。それくらいしか価値がないんだったら、こんな着物何て着せるのも、一生に一度か二度でしょうよ。ですから、こういうポリエステルの布で十分じゃありませんか。」
と、母親は答えた。
「だけどねエ、成人式は一生にしかならないよ。そういうことを踏まえてだなあ、ちゃんと仕立てた方がいいんじゃないのか。こんな安っぽい着物、娘さんにはちょっと、可哀そうに見えるけど。」
「でも、あたし達はこれでいいと思っているんです。どうせ成人式何て、ただうるさいだけだし、みんな振袖を着てくるから、とりあえず同じ形をしているものを用意させたら、いいと思ってるの。あたし達は、それでいいと思います。どうせ成人式何て、大した事はないんですから。」
と、娘は言った。
「そうだけど、成人式を祝うための振袖だったら、こういう記事は避けた方がいいよ。それよりも、ちゃんと、娘さんに、しっかりと正絹の振袖着せてやればいいじゃないかよ。正絹、金がかかるなら、リサイクルショップで買ってもいいだろ。とにかくな、こんな、ポリエステルのこの布を、振袖なんかに仕立てるのは、一寸お断りです。」
杉ちゃんが、そういうと、娘も母親も、嫌そうな顔をした。
「それでは仕立ててくださらないという事ですか。」
「ええ、だって事実、無理だもん、こんな生地で振袖作るのは。だったら、リサイクルで、正絹の振袖を買った方がいい!」
「まあ、嫌ねえ。あんな安物を買うなんて。それよりも、新品の布をできるだけ安く仕立ててもらうほうが、いいんじゃないかと思っていたのに。それにこの柄、結構この子も気に行っているんですよ。」
と、母親が言った。
「好きなのはまあわかるけどさ、これ、京友禅でも何もなく、ただのプリントしただけのもんだぜ。ただ、和風の布だからだと言って、其れでよさそうっだと思って其れで持ってきたんでしょ。それを、振袖にして楽をしようというのは、一寸困りますなあ。其れって、本当に、娘さんの事、大事に思っているのかな?」
杉ちゃんがわざとそういうことを言うと、
「まあ、嫌な和裁士ねえ、客に対して、文句言うなんて、変な人!もうこの人に、振袖を頼むのはやめた方がいいかしらね。別の和裁の先生に頼みましょうか。じゃあ、行きましょ。」
「そうね、おかあさん。あたしも、シッカリしたところに頼んだほうがいいと思うわ。」
と、彼女たちは椅子から立ち上がりそそくさと立って部屋を行ってしまった。反物だけが、テーブルの上に残った。
「あの人、佐藤さんって言ってたけど、住所も電話番号も明かさなかったなあ。どうやって返せばいいのかな。まあ、とりあえず、そのうちに取りに来るだろう。」
杉ちゃんは、その反物を、仕方なく桐たんすの中にしまった。
その次の日。
杉ちゃんが、縫物をしているとまたインターフォンがピンポーンとなった。
「ハイハイ、どなたですか?」
と声をかけると、またおかあさんと娘と思われる、二人の女性が、立っている。
「あの、こちらでは着物の仕立てを、やってくれるという事を知り合いから聞いたんですけれども。」
昨日の母子よりは、なんだか控えめな様子の親子だが、一寸おどおどしていて、なんだか大丈夫かなという雰囲気を持っていた。
「まあ、どうぞ。上がってくださいませ。」
と杉ちゃんが言うと、彼女たちは、
「宜しくお願いします。」
と、部屋の中に入ってきた。
「で、今日は僕に何の用があってきたんだよ。」
と、杉ちゃんが聞くと、
「ええ、こちらの着物なんですけど、、、。」
と、母親がいって、ビニール袋の中から、一枚の着物を取り出した。結構派手な柄の訪問着だった。
「はあ、これが何ですか?」
「ええ、お願いなんですけど、この着物ですが、もともと私の振袖だったんですけれども、、、。」
と、母親はもったいぶってそういうのである。
「ああ、それがどうしたんですか?」
「はい、結婚した時、袖を切ってしまったのです。結婚してからも使えるように、訪問着として使えるって、呉服屋さんにいわれたので。」
と、母親は言った。
「で、切った先の袖は持っているのですが、これをもとに戻して振袖にすることはできませんでしょうか?」
「はあ?何を言っているんだ。振袖の袖を一度切ってしまうと、元には戻せないよ。」
杉ちゃんは素っ頓狂に言った。
「そうですけれども、新しい振袖を買えるほど、御金がありません。それなら、これを使った方が、合理的かと思いまして。切った袖の先は、ちゃんと保管してあるんですが、、、。」
「じゃあ、その先っぽを見せてもらえませんかね。」
と、杉ちゃんが言うと、彼女は、ビニール袋の中から、袖の先を取り出した。
薄いピンク色の、桜の花がちりばめられた、可愛い感じの着物である。一応、訪問着として使えるタイプだったのだろう。袖の先には柄が入っていない。ちゃんと訪問着の絵羽模様として桜の花が配置されているが、それにしても地味な振袖で、一寸隣にいる娘さんには似合わないような気がした。
「まあ、お前さんには似合わないな。これを着るのはあきらめろ。ほらハンプティダンプティの歌を知っているか。一度われた卵は戻せないよな。着物だって其れと同じだよ。振袖は一度袖を切ると、元には戻せないの。」
杉ちゃんがそういうと、娘さんもおかあさんもがっかりした顔をしていた。
「だけど、うちにはお金がなくて、新しい振袖を買うほどお金がありません。」
と、娘さんが、母親をかばうように言った。
「いや、今なら大丈夫だ。振袖何て、リサイクルで買えば、数千円で買えちまう。本当だよ。嘘だと思うんならちょっと覗いてごらん。着物なんてね、今は需要がないから、そのくらいの値段しかつかないのさ。」
と、杉ちゃんが、そういうことを言った。
「そんなあ、振袖が、数千円でかえるというのですか?」
と、母親はびっくりした顔をしてそういうと、
「おう。買えるよ。一体振袖を何に使うんだ?成人式か?結婚式でもあるのか?」
と杉ちゃんが定型文のように聞くと、
「ええ、成人式と、あと彼女の友人の結婚式のときに、着用したいと本人が言っております。」
と、母親は答えた。
「其れじゃあ、ある程度、着物を着こなすこともありそうだ。それでは、余計にお母ちゃんのを着るのは、一寸似合わんな。お前さんの似合いそうなものを、お前さんが自分で自由に選んで、お前さんの世界を作るといいよ。それにこのピンクの着物は、振袖としてきられれば、確かに若い奴にも着られるんだけどさあ、一寸、彼女に着せるには、地味すぎるな。そうじゃなくて、リサイクルで買えば安く手に入れられるんだから、新しい振袖を買いな。」
杉ちゃんはできるだけ、にこやかにそういうことを言った。お母さんも、娘も、そういう事なら、それでいいわね、と顔を見合わせて、それを確認した。
「でも、リサイクルって昔の振袖でしょう?これより華やかなものはあるかしら?」
おかあさんはそれが心配らしい。
「いや、そこは大丈夫だよ、とんでもなく派手な着物だって、平気で数千円で売っているんですからね。其れはきっと大丈夫。」
「ほかの子と、変に隔たったりしない?」
おかあさんはまた聞いた。
「まあ、そういう事もあるけれど、帯を変えるなりすれば、ちょっと個性的な演出ができるぞ。着物なんてね、帯次第でいくらでも変わるんだからな。」
「そうなのね。おかあさん、あたしは、地味な方が好きだから、心配しなくていいわよ。」
と、娘がそういうことを言った。
「いや、成人式とか、結婚式であれば、ちゃんと華やかなものを着たほうがいいよ。しっかりした着物を選んで、楽しい成人式にしてね。その顔じゃ、赤とか、朱とか、そういうやつがいいよ。そして、花柄の大きなものを選ぶと顔が映えるよ。」
杉ちゃんに言われて彼女は、そうねと言った。
「そうですね、そうすることにします。あたし、もともと顔には自信がなくて、振袖を着るにも似合うものがないだろうなと思っていたけど、、、。」
娘さんは、にこやかにというか、一寸はにかんでそういった。はにかみ屋さんだったようだ。彼女はにこやかに笑うと、地味な顔であっても本当に可愛い人だなと思った。
「それでは、そうします。このピンクの着物は私が着ることにして、娘には、別の着物を買ってみることにしますよ。今日は、親切なアドバイスをしてくださって、ありがとうございました。」
と、彼女たちは杉ちゃんに一礼して、お暇しますと言って椅子から立ちあがった。彼女たちは、にこやかに部屋を出ていく。きっとこれから、杉ちゃんのアドバイスに従って、新しい着物を買いに行くことだろう。そして、成人式はもっと、可愛い格好で出席できそうである。
おかあさんは、そのピンクの着物を持って行ったので、今回の杉ちゃんのテーブルには、何も残らなかった。杉ちゃんは、今回は忘れ物しないでくれてよかったな、と、テーブルを、雑巾できれいに拭いた。
またその次の日。杉ちゃんが、食事の片づけをしていると、インターフォンがまたピンポーンとなった。また何かあったのかと杉ちゃんが受話器を手に取ると、
「あの、ここで、着物の仕立て直しをしてくださるそうですね。」
と、中年の女性の声。なんだまた仕立ての依頼にやってきたのか。と、杉ちゃんは、急いでテーブルを拭き、中に入ってくれるように言った。またおかあさんと娘の二人連れだ。三日連続で、同じ形態の二人ずれに会ったことになる。しかし、今回の二人連れは、一寸様子が違う。大きな紙袋をもっているが、それは母親ではなく、娘が持っているのである。
「まあ、座ってくれたまえ。今お茶淹れるからよ。」
と、杉ちゃんは二人をテーブルに座らせる。
「で、今日は、何の用で、こっちへ来たんだよ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ええ、こちらの着物なんですが。」
と母親が言った。と、同時に、娘が、一枚の着物を紙袋から取り出した。総絞りに、朱い花が描かれた見事な着物である。でも、それは少しサイズが小さかった。多分、子供用の着物なのだろう。
「これをどうしろって?」
「ええ、これを成人式で着ていきたいんですよ。これ、七五三用に仕立てたものなんですけど、13歳くらいまで着られるようになっているというので。」
なるほど、つまり、13参りにでも使えるように、わざと大きめに仕立ててあるという事だ。今はあまり多くないが、昔は、ある程度成長しても着られるように、余裕を持って仕立ててあるという事である。
「まあ、娘はこの通り、小柄な子ですし、13歳のころから、余り背も伸びませんでしたので、一寸仕立て直せば着られるんじゃないかと思うのです。ちょっと直していただけませんでしょうか。」
と、母親が言った。
「そうか、じゃあ、寸法を測るから、立ってみてくれ。」
と、杉ちゃんは言った。はいと言って彼女は、急いで立ち上がった。
「それでは、一寸その着物を羽織ってみてくれるか?」
彼女はその通り着物を羽織った。母親は、13歳のころから、余り背丈は変わっていないというが、彼女は結構身長があるので、対丈として着たほうがよさそうだった。
「とりあえず、肩あげを解けば、裄丈はかろうじて大丈夫だな。あとは、身丈は、一寸短すぎるから、家にある別の布を入れて、長くしよう。よし、大体検討ついたから、脱いでみてくれ。」
と、杉ちゃんは、彼女達を再びテーブルに座らせた。
「其れじゃあ、今回は、肩上げを解くことと、別布で身丈なおしな。まあ、完全な振袖としては使えないが、小紋だと思って楽しんでくれ。」
「ちょっと待ってください。小紋になってしまうんですか?振袖としては使えないんでしょうか?」
と、娘さんがいきなりそういう事を言い出した。
「ああ、もちろん、これは、小紋になるよ。総柄だし、袖も、2尺で、普通の着物よりもちょっと袖の長い小紋という事になるな。二尺だから、振袖としては使えない。」
杉ちゃんがそういうと、
「じゃ、じゃあ、成人式に使うという事は出来ないんでしょうか?」
と、娘さんが言った。なんだか、杉ちゃんの方がびっくりする。
「ええ!成人式に着るつもりだったの!」
「そうなんですよ。」
と、母親が、一寸体を小さくして、そういうことを言った。
「まあ、それは無理だよ。だって、袖は伸ばすことはできないもん。だからこの着物は、小紋という事になる。成人式には、別のものを買ってこれはやめた方が、いいんじゃないかと思うんだか、、、。」
「でも、私、大学の先輩に聞きましたけど、色無地という柄のない着物で成人式に出たという例もあったそうですね。小紋ではだめなんでしょうか?」
と、彼女が聞いたので、杉三はすぐに、
「ダメだよ。色無地は礼装だから使えるが、小紋は、礼装じゃないもん。カジュアルな着物だから。そういう時じゃなくて、気軽な友達の集まりとかそういう時に着るもんだ。」
と答えた。
「そうだったんですか、そんな事まるで知りませんでした。それでは、せっかく姉にいい報告ができると思ったのに、、、。」
「お姉さんがいたのかい?」
と、娘さんに杉ちゃんが聞いた。
「ええ、あたしが幼い時に、事故で死んでしまいましたけど。この着物は、姉の形見としてずっと残していたもので、あたしが大人になった時、これを着るからって、約束していたんです。」
「はあなるほど。そういう事だったのか。だけど、着物のルールというのは、守ってもらわなきゃいかん。いくら何でもみんな、振袖だとは思うよ。それをたった一人、小紋で出席するのも、おかしいと思うけど。」
娘さんのそういう話に、杉ちゃんは、一寸面食らってそういうことを言った。確かに、小紋というモノは、着物の中でもカジュアルな着物である。式典とか、結婚式など改まった場所には着てはいけないことになっている。
「でも、姉の形見なんです。姉がいつまでもそばにいてくれるように、これで成人式に出たいです。なので、私の寸法に直してください。」
と、娘さんは、そう懇願した。それを見ると、よほどお姉さんの事が好きだったのだろうな、という事が読み取れた。
「姉は、この着物に一度も袖を通すことなく死んでしまいました。だから、せめて妹の私が着てあげようって、誓いの言葉を立てたんです。その私が、成人式を迎えるにあたって、姉の形見を着ることを、どうしていけないのでしょうか。」
「お願いです、御金はいくらでも払います。上の子が浮かばれるように、着物を直してください。」
娘さんと母親は、二人とも頭を下げて懇願した。
「そうだねえ。着物のルールでは、間違いであるが、着物のお直しはしますよ。出来る事なら、小紋なので成人式以外の事に着てほしいけど、まあ、今時だから、文句言う人も少ないだろうな。」
杉ちゃんは、二人ににこやかに笑った。
「ありがとうございます!よかった、これで、お姉ちゃんも、心配が一つ減るんじゃないかしら。」
「そうね。しっかり着てあげれば、あの子も成仏できるわよ。」
おかあさんと娘さんがそういう事を言いあって、にこやかに笑いあっていた。二人とも、望みが叶ってよかったという感じだ。
「じゃあ、このお着物お預かりしますから、一週間したら来てくれる?」
と、杉ちゃんが言うと、彼女たちは、はい、と喜んでくれた。こうなると、杉ちゃんも、着物のルールとしては間違っているが、それでもいいやと思う様になった。
一週間して、母子はにこやかに笑って、古くて新しい着物を受け取った。同時に、あの冷たい母娘が忘れて行った反物は、立派な小紋の着物になっていた。
三つのお願い 増田朋美 @masubuchi4996
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