第24章 いつもの森
前編 本当の名前
森へ帰ってから、ルナは上の空でソファーに座り込むことが多かった。セレティ妃から託された硝子のコップを眺め、自分が王都で見てきたものは全部夢だったのではないかと、ぼんやり考えた。セレティ妃は大丈夫だろうか。想像もできない悲しみに、襲われているのだろうか。ルナはソファーに凭れて目を閉じた。
ルナの胸に、硝子の割れるような激しい痛みが走ったのはそのときだった。ルナは発条のように立ち上がり、森の中の気配を読んだ。
ルナは森へ飛び出した。
レモン色の日差しが斜めに差し込み、木立を打っていた。ルナは見通しのきかない木々の隙間を、あちこち目を凝らしながら小走りに進んでいった。
一際大きな樹木の前に出ると、ルナは胸を高鳴らせて立ち止まった。
その樹木の裏から、灰色の髪の細身の青年が姿を現した。澄み切った青い目をして、薄い唇を結んでいる。
「――ダン」
ルナは彼の名前を呼んだ。
「ルナ」
彼はふらふらとルナに歩み寄ると、涙を浮かべてルナの肩に凭れた。ルナは憔悴した彼を抱き止めた。
「俺のこと、覚えててくれてたんだな。あのとき名乗った偽名まで」
「忘れるわけないよ。竜の血を持った人のことなんて」
彼の持つ竜の血の気配は、過去に彼と会ったときに感じた気配と何も変わらなかった。ただ、今の彼の体の中にはもう一つ、強い力を放つ魂が宿っていた。ルナは鳥肌が立つのを感じた。
「ダン、お前の体の中に、竜神様がいらっしゃるのか?」
彼は頷いた。
「そうだよ。父さんは寿命が来て体が果て、魂だけ俺の体に入った。この世に最後に残ったたった一人の子供だから、俺のことを守りたいのだと言っていた。もう、加護がなくても、父さん自身が俺を守ってくれている」
彼はルナの背中に腕を回して強く抱いた。
「――俺、わけが分からないよ。父さんもいなくなった。子魂も随分犠牲にした。そうまでして生きなきゃいけない理由が分からない。俺一人のために、たくさんのものが犠牲になった。目の前からみんないなくなっていく。――耐えられない」
ルナは彼の灰色の髪を何度も撫でた。
「辛かったな、ダン。お前の人生は本当に過酷なものだし、今までよく頑張ったよ。無事でいてくれて嬉しい。私はお前を忘れたことはなかったよ。元気でいるか、何も困ったことはないか、ずっと心配だった。本当に無事でよかった」
彼はルナをそっと離した。
「ルナ、俺の本当の名前は、セオルトだよ。正真正銘、俺の本当の名前だよ」
「そうか。セオルトか。綺麗な響きの、良い名前だな。その姿も、嘘偽りのない、本当の姿のようだな」
セオルトは頷いた。
「いつか本当の自分を明かせたらいいと思っていた。素性を明かすことは決してやってはならないことだと分かってはいたけれど、本当のことを、ずっと言いたかった」
ルナは切ない笑顔を浮かべた。
「教えてくれてありがとう。私も本当のお前に会えて嬉しいよ」
「ルナ、今まで色々と助けてくれてありがとう。甘えてばっかりでごめん。もう、父さんが守ってくれるから、旅はしなくてよくなった。俺は生まれた里に帰るよ。待っていてくれる人もいるから」
「そうか。幸せになってくれ、セオルト」
二人は微笑み合って手を握った。
「ありがとう、ルナ。君のこと、忘れない」
「私も忘れないよ、セオルト。お前に会えて本当に良かった」
セオルトは頷くと、ルナの手を離した。
「さようなら、ルナ」
ルナも頷いた。
「気を付けて行くんだよ、セオルト。元気でな」
セオルトはレモン色の日差しの中で笑顔を浮かべると、ルナのもとを去った。
彼の背中が消えていく森の日差しを、ルナはいつまでも見つめていた。
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