2 告白
化粧が乱れることも構わず、半ば無自覚でしなだれ掛かってきたルナを、セレティ妃は柔らかな腕で受け止めた。図書館学校のころ、ヴァジエーニ王子とセレティ妃の婚礼の儀に招待された折、王妃に優しく話し掛けられたことを、無性に思い出した。セレティ妃はヴァジエーニ王子が持っているのと全く同じ優しさを持っていた。子供だったルナは知らず知らずセレティ妃に敬愛を抱くようになった。その王妃が、今、目の前にいるのだ。ヴァジエーニ王に顔を合わせる前に、セレティ妃の肩で、涙が溢れた。
「セレティ様、お会いしたかった」
「わたくしもですよ、ルナ。さぁ、ヴァジエーニ王が貴女をお待ちです。行きましょう」
セレティ妃は子供の手を引くようにルナの手を引いて、執務室の奥の寝室へ案内した。
寝室は質素で、壁に据えられた本棚と、壁際に寄せられたテーブルやソファー以外に、目立った調度品はなかった。
入って右側の壁に王の寝台があり、高い柱から垂れる赤地に金刺繍の天蓋は捲られ、柱に括り付けられていた。一人で寝転がるには大き過ぎるその寝台に、痩せ細ったヴァジエーニ王は体を横たえ、目を閉じていた。
ルナはセレティ妃に手を引かれ、王の枕元に寄った。
「ルナ、よく来てくれたね」
無音の空気に吸い込まれそうになるほどか細い声で、ヴァジエーニ王はルナに声を掛けた。顔を歪めて布団の下で腕を動かしていたが、やがて諦めたように、ふっと小さな溜め息をついた。
「せっかく来てくれたのに、すまない。体が痛くて動かせなくてね。このままで許しておくれ。立派になったね、ルナ。会えて嬉しいよ」
消え掛かるヴァジエーニ王の言葉を一つ一つ聞いているうち、元気で若かったころのヴァジエーニ王子の姿が忘れがたく脳裏に蘇り、あのころの面影を残したまま病魔に襲われた現在のヴァジエーニ王の痛ましい姿に、ルナはただ呆然と王の顔を見つめるばかりだった。こんなに痩せ細った王の姿を、ルナは頭のどこかで否定したかった。
王が必死に腕を動かすので、セレティ妃は王の意を汲み、布団から腕を出してやった。そして、ルナに顔を差し出すよう促すと、布団から出した王の手を、ルナの頬につけてやった。その細い手に、セレティ妃も柔らかい手を重ねる。
王は満足したように、微笑んでルナを見つめた。
「いつも、薬をありがとう。君の薬は本当に優しくて、痛みに苦しむ私の心身を良く癒してくれた。ありがとう。私はルナの薬が大好きだよ」
ルナは感極まって目を閉じ、ヴァジエーニ王の手を、セレティ妃の手もろとも固く握った。崩れ落ちそうになるのを耐えて、ルナはただ首を横に振り続けた。
「ルナ、私の最期の言葉を、聞いてくれるかい?」
ルナは熱く潤む目をそっと開いた。
「私は君に、どうしても謝らなければならないことがあるんだ。君にはとても酷いことをした。決して許されることのない罪だ。本当に、すまなかった」
ルナは寝室の片隅に強烈な悪意を感じ取り、王や王妃の手を握ったまま、その片隅に溜まる闇を見た。瞼の熱はさっと引いた。
「……気が付いたんだね。そう、あそこには、影が蠢いているんだ」
ヴァジエーニ王はルナと王妃の手の中で微かに指先を動かした。
「よく聞きなさい、ルナ。君は森の中で得体の知れない何者かに襲われただろう。あれは……君を襲ったのは、他ならぬ私自身なんだ。本当にすまなかった」
ヴァジエーニ王の言葉はルナの頭を上滑りしていった。部屋の片隅の影が、明確な意思を持って、ゆるりと立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます