後編 鍵

 夕食後、慣れない食卓に疲れたエンデルは部屋に戻るなり横になったが、夜中になってもなかなか寝付けず、上手く鎮められない頭を持て余したまま部屋を抜け出した。廊下の窓から外を見ると、ライトアップされた王邸の前庭が見えた。庭を覆う芝が細く輝き、王邸本館の白い壁はライトに眩しく反射している。

「エンデル君」

 エンデルが部屋を抜け出す気配に気が付いたのか、世話役のビアンカも部屋からひょっこり顔を出した。

「寝付けませんか?」

「まぁな」

 ビアンカもエンデルの隣に立って前庭を見つめた。

「……エンデル君、本当にお久しぶりです。皆さんが王都を出られてから、私はあまり皆さんとは会わなかったから。懐かしいです」

「娘さん、放ったらかしにしといていいのか? 家で待たせてるんだろ?」

「いえ、私の実家にお泊まりなので、案外うきうきしてました。心配はいりません。普段から泊まり込みの仕事も多いですし」

「大変だな、ビアンカも」

「エンデル君はルナちゃんと会わなかった時期もあったのでしょう? どのくらい会わなかったんですか?」

「十年くらいかな」

「そんなに会わなかったんですね」

「会う理由もなかったからな」

「そうですか……」

 ビアンカは十年の厚さを噛み締めるように切ない笑顔を浮かべ、それ以上追求しなかった。

「私はゴードン君とだけは日常的に顔を合わせてたんですが、酒癖が悪くてなかなか相手をするのが大変で」

 エンデルは呆れたように顔をしかめた。

「あんなオヤジ。放っとけよ。足蹴にしちまえばいいんだよ」

 情け容赦のないエンデルの台詞にビアンカは苦笑いをした。

「オヤジって、エンデル君……」

「本当のことだろ?」

「……そうですが……」

 夜気を照らすライトは芝に当たってぼんやり緑に染まっていた。

「……私たちも、いい歳になったということですね……」

 エンデルは何も答えずに窓の外を見ていた。

「……エンデル君、訊いてはいけないことだったら申し訳ないんですが……」

 ビアンカは声を潜めて言った。

「『鍵』って、ご存知ですか?」

 エンデルは顔色を変えてビアンカを見た。

「お前、どうしてそれを」

 図星を突いたビアンカはいたずらな笑みを浮かべた。

「知っていますよ。エンデル君とゴードン君が、鍵たる資格を持った存在だと認められていたこと。つい最近のことだそうですね」

 エンデルは視線を逸らした。王邸に仕え、酒飲みのリーダーのそばにいれば、余計な話も耳に入ってくるのだろう。

「俺も知らなかったんだよ、そう言われてること」

「ヴァジエーニ様がこのタイミングでお二人にその称号を授けたのも、何か意味があったのでしょうね。でも、本当は私にも、鍵の称号が何なのか分からないんですよ。だから、安心して下さい」

 ビアンカはにっこりと笑った。

「それにしてもエンデル君、本当にたくさんピアスを開けたんですね。改めて見ると、びっくりするわ」

「俺はリーダーの呪い焼けの方がよっぽどびっくりするんだけど」

 ビアンカは声に出して笑った。

「確かにそうですね。あれは酷すぎると私も思います。毒と冒険がゴードン君の恋人みたいなものですから、注意したって聞いてはくれないんですけれどね」

「馬鹿につける薬はないってことだろ」

「またそんなこと言って」

 エンデルは微笑むと、窓から背を向けた。

「そろそろ寝るよ。明日も忙しそうだからな」

「そうですね。それでは、お休みなさい、エンデル君」

 エンデルはビアンカにひらひらと手を振ると、自分の部屋へ戻った。

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