3 出立前夜

 人間と幽霊の結婚がおかしいのなら、アルミスを殺して幽霊にしてしまえばいい。――そう言い放たれて、レムの縄状になった長い髪を首筋に巻かれそうになってから、アルミスはこの森には来られなくなってしまったのだった。定期報告会も、それまではお互いの住まいを交互に行き来していたが、アルミスが森へ来られなくなったので、ルナが北の山へ行く決まりになった。今回はどうしてもアルミスにこちらへ来てもらう必要があったので、レムには小屋に近寄らないよう厳命し、森の巡回を頼んだ。

 アルミスは魂を抜かれたように、急にげっそりした。

「はあぁ……まさか幽霊に好かれるなんて、思ってもみませんでしたよ……」

 アルミスは人生の疲れを吐き出すように、大きな溜め息を吐いた。

 夜になるとルナとアルミスはお茶を飲みながら出立前の静かな時間を過ごした。幼い頃から気が合い、『きょうだい』と称されるほど仲が良かった二人は、今でも変わらず良い友だった。お互い災禍で家族を亡くし、どこか痛みを分け合えることも、理由の一つだったのかもしれない。

「――王都へ行くんですね、僕たち」

 アルミスは遠くを見るような目で呟いた。

「ルナさんにもあるんでしょう? ヴァジエーニ様との秘密の思い出」

「懐かしいな。あるよ、私にも」

「僕もそのことを思い出してしまって、胸が詰まりました。あの聖獣の様子だと、ヴァジエーニ様ご自身もどうなっているか……」

「そんなに悪いのか?」

「ええ。悪いです。長年聖獣を観察してきましたが、あんなに痩せ細った聖獣は見たことがありません。覚悟をしておいた方がいいでしょう」

 そう言いながら、アルミスは深刻な顔をして手元に視線を落とした。

「……みんな僕の前からいなくなってしまうな……。家族も、ヴァジエーニ様も、じいちゃんだって、順番からいけば、僕より先にいってしまうのだろうし……」

「アルミス、墓参りは行くのか?」

「ああ……」

 アルミスは困ったようにこめかみを掻いた。

「気が向いたら行きます。王都へ着いたら何があるか分かりませんし、墓地へ寄っている余裕だってないかもしれませんし」

 アルミスは立ち上がって、すっかり闇に包まれた出窓の外を眺めた。

「僕は結局、一人になってしまう……」

 ルナは飲みかけのお茶の表に視線を注いだまま、アルミスに何も言葉を掛けられなかった。

「おっと」

 アルミスは何か目覚めたようにはっとして、いつもの調子に戻った。

「すみません、ルナさん。こんな大事なときにつまらないことを言いました。忘れてください」

「……いいよ。気にしないでくれ」

「もう休みましょう。明日から、長い旅が始まりますから」

 ルナは頷いて、手早く茶器を片付けた。他人の本音ほど忘れがたく、胸に残るものはないだろう。家族全員を災禍で亡くし、孤児になったアルミスの心の傷が、ふいに露になった瞬間だった。友として何もできない無力さが、ルナを呑み込んでいった。

 翌朝、弟子の二人に見送られ、ルナとアルミスは南の草原へ向かった。しばらく会えないノクスとエクラを、ルナは固く抱き締めた。

「ノクス、エクラ、体に気を付けるんだよ。危ないことをしてはいけないよ」

「私たちのことは大丈夫よ、ルナ。気を付けていってらっしゃい」

「おかみさんたちもいてくれるし、心配しないで」

 ルナは二人の顔を交互に見つめた。ノクスもエクラも、小屋へ来たときには頭がルナの腰の高さにあったのに、今ではすっかり同等の高さになっている。二人とも成長したのだなと改めて感じさせられた。

「行ってくるよ」

「行ってらっしゃい! ルナ、アルミスさん!」

 エクラの元気な見送りの声が、ルナとアルミスの背中に届いた。

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