第20章 王都へ

1 異変

 北の山に住むアルミスは、天気のいい夜にはいつもバルコニーに出て、景色の一番奥に大波のように続いている山脈を見ていた。大型の聖獣が好んで通るルートなので、聖獣の姿が見えたら望遠鏡で観察をする。アルミスは黒縁眼鏡を光らせて険しい顔をし、北の空を見つめていた。涼しい風が時折アルミスの青銀の髪を揺らした。いつも翼を遊ばせに来るヴァジエーニ王の聖獣を待っていると、今夜も西の空から東の空へ、銀色の聖獣はやってきた。

「来た」

 アルミスは望遠鏡を覗いてヴァジエーニ王の聖獣グリフォンを見た。やはり、グリフォンは痩せ細り、あれだけ力強かった翼も肉を失って骨張っていた。

「じいちゃん、やっぱりおかしいよ」

 アルミスは望遠鏡から目を離すと隣のカロン老師に言った。遠目に見るといつも通り力強い飛び方のようにも見えるが、望遠鏡を通すと肉体の急激な衰えは顕著だった。気配の読めるカロン老師も鋭い目でグリフォンを見守った。

「ヴァジエーニ様に何かあったに違いなかろう。王と運命を共にする聖獣グリフォンがあのような姿になるなどただ事ではない」

「みんなに知らせないと。僕、手紙を書いてくる」

 アルミスは望遠鏡の片付けもそこそこに部屋へ戻っていった。

 自分の生きている間、激動ではなかった時代などあっただろうか。この世には数多くの思惑が行き交っている。その多くが、誰にも見つからないよう、秘密裏に交わされている。誰にも窺い知ることのできない水面下で、世の中は変わり続けている。

 カロン老師は飛び去っていくグリフォンに人生の過去を重ねた。

「ヴァジエーニ様、おいたわしや……」

 カロン老師はアルミスの片付け忘れた望遠鏡を部屋の中へ運んだ。

 図書館学校に通った古い仲間たちに手紙を書き終えたアルミスは、急に昔のことを思い出し、ペンを持ったままぼんやりした。

 アルミスたちが図書館学校に通っていた頃、ヴァジエーニ王はまだ王子で若かった。王子は図書館学校に来る子供たちを毎朝出迎え、夕方には見送った。ときには授業中に教室に潜り込み、空いた席に座って子供たちと授業を聞くことさえあった。子供たち個人とも積極的に交流したので、みんなヴァジエーニ王子との秘密の時間を胸に隠し持っていた。アルミスもそうで、大人になってもその一時が頭に焼き付いて忘れられなかった。

 授業が終わった夕方、アルミスは一人で木製のビー玉転がしの塔を組み立て、ビー玉を流して遊んでいた。塔を五つも立て、ゴールも五ヶ所作ったのに、ビー玉が行き着く先はなぜか一ヶ所だけだった。五つのゴール全てに満遍なくビー玉を転がしたかったアルミスは、途方に暮れて肩を落とした。

「ビー玉転がしかい? アルミス」

 背後から透き通った声がして、アルミスは驚いて振り向いた。にこりと笑ったヴァジエーニ王子がアルミスを見ていた。

「私も転がしてみていいかい?」

 アルミスが頷くと、ヴァジエーニ王子はアルミスの隣に寄り添うように座り、ビー玉を流した。

「面白いルートだね」

 そう言われたが、アルミスは泣きそうな顔をして首を振った。事情を知ったヴァジエーニ王子は、色々な部品を手に取ってアルミスに言った。

「部品を組み換えて、色んなゴールに行けるよう、試してみよう」

 それから二人は三十分ほど、夕日の光の中でビー玉の塔を組み換え続けた。結局、アルミスの納得いくような結果は得られなかったが、ヴァジエーニ王子に孤独を癒してもらったアルミスは、もう不貞腐れなかった。

 今思えば、ヴァジエーニ王子は知っていたのかもしれない。ビー玉転がしの塔は、そういうものなのだということを。

 アルミスは荒々しく眼鏡を外すと、机に突っ伏した。

「……ヴァジエーニ様は、お優しかったな……。こんな僕にまで……」

 疲れた頭を腕に乗せて、アルミスは溜め息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る