2 散髪
いつもはエクラの方が町へ帰るが、今日はエクラの姉のソラが森へ来た。産後しばらく森へは来られなかったが、もうそろそろエクラの様子見も兼ねて森へ行きたいという申し出に、ルナたちも喜んでソラを迎えたのだった。
「ソラ、久しぶりだな。体はもう大丈夫なのか?」
「はい、もうすっかりいいです。ご無沙汰してしまって申し訳ないです」
「元気になったのなら良かった。私も一度、ソラの子に会いたいよ」
エクラもにこにこと自慢げに胸を張った。
「ミーリーちゃんはすっごくかわいいのよ! 目に入れても痛くないくらいなんだから!」
エクラは姉の持ってきた荷物を解いて、散髪の準備をした。ルナも改めてソラに言った。
「ソラ、今日はよろしく頼むよ」
「お任せ下さい。まずはどなたから始めましょうか?」
「お姉ちゃん、ノクスからお願い!」
エクラは部屋の隅で息を殺していたノクスの背中を押し、椅子に座らせた。町から持ってきた鏡に、ノクスの顔が大きく写った。ソラはノクスの背後に回ると、上半身に大きなカバーを掛け、首回りにタオルを挟んだ。
「ノクス君、今日はどうしましょうか?」
「えっ、いや……」
鏡越しにソラに微笑まれ、ノクスは狼狽した。どうしましょうかと訊かれても、返事ができない。人馴れしていないノクスにとって、散髪は苦行だった。鏡越しに見るソラの微笑みが優しければ優しいほど、ノクスの頭は焦って混乱した。ノクスがなかなか返事をしないので、ソラは鏡越しに訊ねた。
「いつも通りにしておきましょうか」
「……あ、お願いします……」
ノクスは鋼のように硬い返事をした。その様子を見守っていたルナとエクラはくすくすと笑った。
「ノクス、緊張してるね」
「そうだな」
町で理容師をしているソラは、時々こうして森へ来て、三人の髪を整えてくれた。一番時間が掛かるのは、はにかみ屋のノクスだった。無口なノクスの意を汲みながら髪を整えていくのは難しい仕事なのだろうが、ソラは嫌な顔一つせず、穏やかに微笑んで鋏を入れていった。髪形のことなど少しも分からないノクスは、全てをソラに丸投げしている。初めから終わりまで鎧を着たように肩に力を籠め続け「楽にしてくださいね、ノクス君」というソラの声掛けにも、ぎこちなく頷いた。
「さぁ、終わりましたよ。お疲れさまでした」
短く揃えられた新しい髪型を見ると、ノクスは照れ隠しのように頭を撫でた。
「あ、ありがとうございました」
ぎこちなくお礼を言うと、ソラはにっこり笑った。
「どういたしまして、ノクス君」
ノクスにとってはこうした何気ない挨拶のやり取りも、大きな人生経験だった。一つの冒険を終えた冒険家のように、ノクスはふっと肩の力を抜いた。
ルナも椅子に座り、長い髪を手のひら一つ分、短くしてもらう。
「ルナさんの髪は本当に綺麗ですね。切るのがもったいないくらいです」
「ありがとう、ソラ。あまり長いと鬱陶しいのでね、よろしく頼むよ」
「はい」
ソラはいくつもピンを取り出し、ルナの髪を小分けにして留めていった。髪を湿らせ、櫛で梳き、指に一束だけ挟むと、三、四回、鋏を動かして切っていく。短い切れ端が、はらはらと床に落ちた。
「ソラ、今は体調はどうなんだ? 幼い頃のように、悪くなったりはしないか?」
「はい、もうすっかりいいです」
鋏の音の中でソラは答えた。
「小さい頃は体も小さくてすぐに熱が出てしまって、ルナさんにもたくさんお世話になりました。体が大きくなったので、すっかり熱も出さなくなって。どうして小さい頃はあんなに病弱だったのか、自分でも分からないくらいです」
ルナは鏡に向かって笑った。
「それは良かった」
心地よい鋏の音が、耳に響いていた。
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