3 嵐が去れば猫と戯れ
猫とともに寛いでいると、玄関の扉が荒々しく開かれ、開けっぱなしだった応接室のドアからも、客人の影が見えた。よく太った六十ほどの男で、肉のついた頬を上げて笑っている。短めに刈られた白髪が綺麗に七三に分けられていた。ルナを見ると、よい強請り話を見つけたと言わんばかりに腹を揺らして笑い、背後にいるエンデルをからかった。
「ご婦人とは珍しい。君の奥方かね」
「そんなわけないだろ」
エンデルは太った男を押し退けて応接室を通り過ぎ、奥の台所へ入っていった。男は机越しにルナと向かい合って座ると、台所のエンデルへ大声を飛ばした。
「なかなか綺麗な人じゃないか。君がいらないというのなら、私がもらって帰ろう」
「よせよ。そいつを下手に扱うと命を取られるぜ」
「おやおや、随分恐ろしいご婦人なんだね」
男は腹を揺らして笑った。
エンデルはコーヒーカップを持って戻ってくると、男の目の前に荒々しく置いた。
「おや、悪いね、いただくよ。――いや、これは随分と濃いように見えるが……」
男は怪しげにカップを見つめると、恐る恐る一口啜り、すぐに顔をしかめた。
「君、わざと濃く出したね。客人に対してなんて仕打ちをするんだね」
「何が客人だ。さっさと出て行け」
怒気を帯びるエンデルの声色に従い、男は大人しく席を立った。彼はピアスだらけのエンデルの耳に頬を寄せ、いかにも内密らしく静かな声で念を押した。
「それではエンデル君、例のもの、よろしく頼むよ。チップは惜しまないからね」
「仕事はきちんとする。心配しないでくれ」
「さすが私の信頼する技師だ。あんなことができるのは、君だけだよ」
男は豪快に笑いながらエンデルの小屋を後にした。
エンデルは生気を抜かれたようにぐったりと溜め息を吐いた。レディーもルナの膝の上で機嫌悪く唸り声を上げる。
『うるさい人だったわね。わたくし、あの人のこと好きじゃありませんわ』
「少し乱暴な人だったな」
ルナは慰めるように優しくレディーの背中を撫でた。ジェントルは辛抱強く座り続け、文句の一つも言わなかった。エンデルはうんざりした顔のままルナに言った。
「ルナ、せっかく来てもらったところ悪いんだが、ちょっと仕事が入った。行ってくる」
「なかなか忙しくて大変だな。私は大丈夫だ。気にしないでくれ」
「くれぐれも外には出るなよ。いくら気配が読めるとはいえ、お前はここでは『客人』なんだからな」
「心配しないでくれ。この子たちと一緒に少し休んでいるから、大丈夫だ」
ルナが微笑むと、エンデルは遣り切れないように目を伏せ、ピアスを光らせながら、応接室を出て行った。
本当に静かな、しんとした空気が戻った。ルナは隣に座るジェントルの顎を撫でた。
「君たちのごはんの時間は、きちんと決まっているのか?」
ジェントルは尻尾を揺らしてルナを見上げた。
『まぁまぁ決まっているよ。時間になったらエンデルも戻ってくるよ』
「君たちの主人は忙しくて大変だな」
『たまたまだよ。いつもはもっとまったりしてるんだ』
「そうか。今日は災難だったんだな」
ジェントルを撫でていると、レディーが目ざとくそれを見つけ、ルナの手の甲をぴしゃりと打った。
『第一配下のルナ、わたくしのことも撫でなさい。ジェントルばかりずるいわよ』
ルナはくすくすと笑った。
「レディーは甘えん坊で仕方のない子だな」
『な、なんですって! わたくし、甘えてなんかいませんわ!』
「じゃあ、ジェントルを撫でていてもいいか?」
『駄目です。なぜならあなたはわたくしの第一配下だからです』
ルナとジェントルは思わず顔を見合わせて笑った。
「参ったよ。レディーには敵わない」
レディーの顎を撫でてやると、ふわふわの白猫はとろけるようにルナの膝の上で潰れ、気持ち良さそうに『にゃあ……』と鳴いた。
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