後編 雨
日が落ちてから森を歩くことは禁忌とされている。長年森に住んでいるルナも、人命に関わること以外で日没後に森へ出ることはない。どうしても夜の森を出歩かなければならないときは、女幽霊・レムの力を借りる。森へ来た客人もまた、夜の森は歩けない。森へ出入りできるのは、太陽が昇っている間だけだった。
話が終わり、小屋を去ろうとするクランテを、ルナは一旦呼び止めた。
「私もちょうど森の巡回の時間だ。そこまで送ろう」
一人で帰るつもりだったクランテは、その思い掛けない申し出に、ぼんやりとルナを見た。ルナはにっこりと笑った。
二人はすぐに支度をして小屋を出た。夕暮れ前の淡い輝きが木々の間から長々と漏れてきていた。
「クランテは一人でこの森に来たのか?」
「近くの町までは家の者と一緒に参りました。ルナ様は人の気配を読める方なので、余計な気配はない方がよいかと思いまして」
「随分私たちのことに詳しいが、自分で調べたのか?」
「はい。家の者に協力をしてもらって。――実は、ルナ様のお留守のときに、小屋の近くまで来たこともありました」
ルナはくすくすと笑った。
「おやおや。随分偵察が堪能なお嬢さんなんだな」
「森に一歩入ったときから闇の力を感じました。胸がどきどきしました。闇の魔力を持った魔法使いが、本当にいらっしゃったんだと思って」
「ノクスはいい子だよ。いい子なんだが、見ての通りの内気でね。心を開くのは大変だぞ」
「よいのです。わたくしはお会いできただけで、それだけでよいのです」
「これからは私がいても遠慮なく小屋へ来ればいいんだよ。もう、隠れる必要はないんだ」
「ありがとうございます、ルナ様――」
クランテはルナから視線を外してどこか遠くを見るような目をした。晴れていると思っていた空にはいつしか雷鳴が轟き、突然、辺りの雑草に雨粒が当たった。町へはまだ随分と距離がある。
「雨だ。引き返そう」
「ですが――」
ルナはローブを外すと戸惑うクランテの肩に掛けてやった。
「雨が降っているときはなるべく森を出歩いてはならないことになっている。出直そう。一晩泊まっていきなさい」
「ルナ様、こんなことをしては濡れます。わたくしは帽子があるから平気です」
ローブを返そうとしたクランテの肩を抱き、ルナは小屋へ引き返した。ルナのローブと腕に包まれたクランテは、その何気ない体温に、ふいに胸を揺さぶられた。
「…………ルナ様、わたくしは…………」
「今日は疲れただろう。遠慮せずに休んでいきなさい」
クランテはルナの腕をそっと掴んで頬を寄せた。
「……本当はずっと、心細かったのです……」
帽子の下でぽつりと呟くクランテに、ルナはそっと言った。
「頑張ったね、クランテ」
クランテは小さく頷いて、ルナに導かれるまま、小屋へ戻っていった。
彼女の言う『家の者』が町で待っているというので、ルナは手紙に細かく事情を書き、使い烏を飛ばした。
クランテは疲れ切った様子で客室へ上がり、ほんの少しの夕食を口にし、すぐに眠りについた。
翌朝には雨も上がり、クランテの言う『家の者』が、小屋まで迎えに来た。身綺麗なその紳士は、クランテに遣える老執事とのことだった。
クランテの出立も、ルナ一人で見送った。
「気を付けて行きなさい、クランテ。またおいで」
クランテはルナの胸に抱きついて額を擦った。
「ルナ様、お世話になりました。優しくして下さってありがとう」
クランテは柔らかい笑顔を浮かべてルナに手を振り、森を去っていった。
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