2 寂しがり屋の幽霊
エクラが木こりのおかみたちに愚痴をこぼした通り、この森には女の幽霊がいる。長い黒髪で顔のほとんどを隠し、高い鼻と薄い唇だけを闇の中にぼやっと浮かばせて、夜の森を徘徊している。ルナが身に付けているものと同じような真っ黒なローブを羽織り、足はすうっと透けている。一般的な幽霊と同じく、この女幽霊も昼間には活動しない。薄い月明かりの下で、『寂しいのよぉ、寂しいのよぉ』と、呻きながら歩いている。
前夜、ルナが木こりたちと賑やかに過ごしているのを目撃してしまった幽霊は、ますます寂しさを募らせて、この寂しさをどうしようかと考え込んでいた。いっそ誰かを呪ってしまいたい、みんな不幸になってしまえばいいのにと、何もかも投げ遣りに恨み深く呟いているのだった。
木こりたちが帰り、森には静寂が戻った。この寂しさを思う存分ルナにぶつけてやろうと、幽霊はすうっと浮き上がり、ルナの小屋へするりと入っていった。
自室で読み物をしていたルナは、幽霊の気配を読み取り、にこりと微笑んだ。
「よく来たね、レム。いらっしゃい」
女幽霊・レムは、わっと泣き出し、ルナの膝へ縋った。
『ルナぁ、私は寂しいのよぉ。どうして私を一人ぼっちにするのよぉ。ひどいじゃないのよぉ』
女幽霊はわんわん泣いた。
「悪かったね、昨日は騒がしかったろう。もう誰もいないから安心しなさい」
子供のように泣きじゃくる女幽霊の頭を、ルナはそっと撫でた。
『みんな私を気味悪がって悪口を言うのよぉ。仕方ないじゃない。私は幽霊なんだから。生きてる人間みたいに綺麗になんてなれないわよぉ。キィーッ! 何さ! みんな生きてるからって偉そうに! 生きてる人間が一番偉いだなんて誰が決めたのさ! 私だって……私だって……!』
女幽霊は泣いたり喚いたり忙しかった。
ルナは髪用の香水の瓶と櫛を手に取ると、膝に突っ伏す女幽霊の背中を撫でた。
「髪を解かそう。さぁ、そこへ座りなさい」
ルナに促されるまま、女幽霊は椅子に座った。ルナは彼女の背後に回ると、長い髪の先端と櫛に香水を付けて、冷たい髪を解かした。幽霊の髪に触れるなど滅多にないことだが、ルナは慣れた手付きでその髪に触れた。幽霊に嗅覚があるのかどうかも怪しいものだが、少なくともレムは当たり前のように香水を嗅いだ。
流れる髪に櫛を当てると、髪と櫛の境目に月の光が溜まった。櫛の歯の一つ一つに玉のような光が乗り、一本の光の筋を描いていた。
『ああ、いい匂いがするわぁ。ルナはやっぱり私を裏切ったんじゃなかったのねぇ』
レムは寂しがり屋なので、構ってやらないとすぐに不貞腐れて、『呪ってやる』だの『不幸にしてやる』だの禍々しいことばかり口にしてしまう。案外心の不安定な幽霊だった。ルナはよく心得て、レムの言葉を微笑みで受け止める。
「寂しい思いをさせてすまなかったな。今日は朝までいなさい。もう誰も来ないから」
『ルナぁ、いい匂いねぇ。ぐすっ。何だか泣きたくなってしまうわぁ』
「遠慮なく泣けばいいよ。よく泣けば気分も晴れる」
『ぐすっ。ぐすっ』
髪を解かされながら、レムは肩を揺らした。
「ほら、綺麗になったよ」
艶を放つ髪先を見せてやると、レムもその髪を指先に乗せ、わぁ、と感嘆を上げた。
『ありがとぉ、ルナぁ。嬉しいわぁ』
「レムには笑顔がよく似合うよ」
レムの顔はほとんど髪に隠れて本当は笑顔など見えないのだが、ルナは躊躇なく彼女を褒めた。レムも何だか本当にルナに明るい笑顔を見せているような気になって、恥ずかしげに肩をすくめた。
『ああ、嬉しいわぁ、嬉しいわぁ。いい匂いねぇ』
レムは髪先を撫でながら、満足したようにすうっと姿を消した。幸せに満たされたので、森へ帰っていったのだ。
ルナは窓から森を見ながら、香水と櫛を片付けた。
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