第5章 ビンテージヒューメルン
前編 三十三番目
ルナは人の気配を読むことが得意だ。自分に害をなす者や、特殊な血を持っている人の気配を鋭敏に感じ取る。しかしその能力も万全ではなく、無害な人や老人などの気配を読むことは苦手だった。針のように鋭い洞察力も、あまりに無邪気な人の前では空回りをし、人生を長く重ねた人には軽くかわされてしまう。
その日訪ねてきた貴族風のこざっぱりした老人も、気配らしい気配もなく、突然ルナの小屋へ現れた。栗色の髪の娘も連れていたが、何の気配もしなかった。七つか八つくらいの、まだ幼さの残る少女だ。好奇心のままに、真っ直ぐルナを見つめている。
「ルナ様ですな。わたくしどもは旅の者です。ぶしつけなお願いで申し訳ないが、もしよろしければ、我々を一晩泊めていただけないでしょうか」
老人は帽子を取ると、恭しく頭を下げた。隣の娘も彼に倣って頭を下げた。
「少々訳ありでしてな。人目を避けたいのです」
老人は娘を一瞥した。人目を避けたいのは彼女のためらしかった。
ルナはドアを大きく開け、二人を招き入れた。
「この小屋は悪意のない人を拒みません。どうぞお入り下さい」
「恩に着ます」
老人は頭を低くしたまま小屋へ入った。栗色の髪の娘も彼に続いた。幼いせいなのか何かぎこちなく、世間慣れしていない娘のようだった。
客人を見てエクラがもてなしのお茶を出そうとしたとき、老人が一言添えた。
「丁寧なおもてなし、ありがとうございます。ただ、この娘は飲食を致しません。どうぞ、お構い無く」
「じゃあ、紳士様の分だけご用意しますね」
「ほっほっ。紳士様とは、恐れ入りますな。ただの老いぼれですぞ」
「あら、ご謙遜を。素敵な紳士様ですわ。いい葉っぱを選ばなくちゃ」
踊るようにキッチンへ消えていくエクラの後ろ姿に、老人は暖炉の火のような暖かい笑い声を立てた。
「よいお嬢さんですな」
「あの娘は私の弟子です。ご覧の通り、明るく素直ないい子です。私の家族のようなものです」
「ほっほっ。よいご家族ですな。この娘も、私の本当の娘のようなものですよ」
老人は栗色の髪の娘を見た。
「血は繋がっていないのですか」
「いやいや、この娘はヒューメルンです。『入れ替える』ことを前提に作られた、ビンテージヒューメルンです」
ルナは思わず娘を見た。
入れ替えることを前提に作られたビンテージヒューメルンは産業革命の頃に隆盛になったとされるロボットだ。愛好家の間で密かに試作が繰り返され、様々な型の人形機械が生み出されたと伝えられている。極一部の人たちの間で内々に作られていたものなので、資料も少なく、きちんとした文献ももちろんない。ルナも昔の旅人が残した紀行文の中に、たった一ページだけその存在を仄めかす記述を見たことがあるだけだ。実在するかどうかさえ分からない。本当にビンテージヒューメルンなら、栗色の髪の少女が生み出されてから二百年は経っているはずだ。
老人はルナの反応を見ると、一人納得したようにうなずいた。
「さすがルナ様は博識ですな。この娘は二百年以上前に作られた子です」
「……失礼ですが、朽ちたりはしないのですか」
「世界中あちこちに代替可能な部品がありましてな。どうにかなっております」
「技術者も多くはないでしょう」
「幸い、わたくしどもの血を引く物好きな若者がちらほらいましてね。私に万が一のことがあっても、引き継ぐ若者が決まっております」
ビンテージヒューメルンの娘はきょとんとした顔で老人を見ていた。老人はふと思い出したように、自己紹介をはじめた。
「おや、申し遅れました。わたくしはニックと言います。この娘はアザリア。休眠期間も大分あったのですが、このボディに宿る、三十三番目の娘です」
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