後編 ありがとう
ルナたちは黒髪の青年をベッドに寝かせ、看病に当たった。大きな傷はルナたちでは手当てできないので、使い烏のクレーを町医者のルット老医師のもとへ飛ばし、処置を頼んだ。
手当ての済んだ青年は夜になって目を覚ました。顔色を確かめ、具合を訊ねると、彼は虚ろな目でルナを見た。
「あなたが助けて下さったんですね。ありがとうございます。まだ、頭がくらくらします」
数年前に会ったダンとは思えないほど、彼は紳士的で礼儀正しかった。どこか乾いたようなあの口調も鋭い目線も、今の彼にはなかった。目の前にいるのは、やはり『ダン』ではないのだ。
「私はルナだ。あなたは?」
「申し遅れました。私はロードと言います。運悪く悪漢に絡まれてしまい、上手く逃げることもできず、手負いになりました。ルナさん、ご迷惑をお掛けして申し訳ない。助けて下さってありがとう」
「無事助かってよかったな。明日も医者が来るから、今夜はここでゆっくり休むといい」
「ご迷惑ではないでしょうか」
「下手に森を歩かれてまた倒れられでもしたら看病もやり直しになる。よくなるまでここにいなさい」
「ありがとう。……私は今、森の中にいるのですね……」
彼は独りごちると、また目を閉じて緩やかな呼吸になった。
自らの痕跡を残せない『ダン』の宿命が、ロードの姿に重なった。
ルナは灯りを弱くし、部屋の真ん中をカーテンで区切った。重症人を放ってはおけないので、ルナはカーテンの向こうで一晩待機する。
今までも色々な人に出会ってきた。一人一人それぞれが宿命を背負っていた。
椅子に座り机の上のランプの火を見ていると、色々な人を思い出した。
みな、元気でいるのだろうか。穏やかに暮らしているだろうか。心細くはないだろうか。
ルナの深慮は明け方まで続いた。
翌日の診察が終わると、周囲が止めるのも聞かず、ロードは小屋を立つと言った。
一晩の間に彼と交わした会話は多くはないが、事実や本音はほとんどなかったと言っていいだろう。感謝の気持ちと早く立ちたいという言葉だけが、恐らく彼の数少ない本音だ。
「ルナさん、ノクスさん、エクラさん、お世話になりました。みなさんお元気で。さようなら」
三人に見送られ、ロードは手負いのまま旅立っていった。朝日と木蔭の重なりが彼の姿を隠していった。
客人を見送りふっと溜め息をついたとき、ロードが呑まれていった光と影の中から、一人の子魂が掛けてきた。やはり十歳くらいの子魂だった。
一心にルナを見つめ、こちらへ駆けてくる。
「ルナ!」
子魂は力の限り、ルナの腰へ抱きついた。
「助けてくれて、ありがとう。本当は僕のお兄ちゃん、ルナのことが大好きなんだよ。だから、怪我をしたとき、真っ先にルナを思い出した。ルナに会いたくて、一生懸命、森へ来たんだ。お兄ちゃんは何も言えなかったけれど、本当は、本当は、いっぱいありがとうを言いたかったんだよ」
ルナは子魂を固く抱いた。
「それを伝えるために私のところへ来てくれたのか? ありがとう。私も君のお兄ちゃんが大好きだよ。これからも、お兄ちゃんが危ない目に遭わないように、守ってあげてくれ。私はいつでも君たちの味方だ。ずっとそばにいる。忘れないよ」
子魂はルナの腕の中から顔を上げた。元気な中にも寂しさが滲む、切ない笑顔だった。
「僕、もう行かなきゃ」
――ありがとう、ルナ――
ルナの腕の中で、子魂は姿を消した。
朝日は真っ直ぐ天から注ぎ、柱のような霞になって森を照らした。
きっと他の兄弟たちと手を繋ぎ、自らの行くべき場所へ、昇っていったのだろう。
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