後編 対峙
ルナは黒いローブを翻しながら森を小走りに進んでいった。背中の長い黒髪が朝日に打たれて艶めいた。
邪気は自分の居場所を誇示するように強い気配を放っている。
一人でいるのだろうか。それにしても奇妙な気配だ。仄かに魔力を感じる。相手は魔法使いか。だが、魔法使いではない、何か別の悪意も感じる。どういうことなのだろうか。ルナは辺りを見渡しながら、慎重に足を進めていった。
木立で視界が遮られる中、ふと目の前の木の裏から何か足音が聞こえ、ルナは立ち止まった。細い影が揺らめいている。
息を殺してそちらを伺っていると、やがてその木の裏から一人の男が姿を現した。二十代前半の若い男に見える。痩せた体にロングコートを着込み、帽子で顔の上半分を隠している。ぞっと鳥肌が立った。ただの男ではない。
男はルナの目の前に出ると、細い頬に不気味な笑みを浮かべた。
「ああ、さすがルナ様だ。私の気配に気が付いて、自ら出向いて下さった。わざわざ来ていただかなくても、私の方からお伺いしたのに」
どこで嗅ぎ付けたのか、相手はルナの名前まで知っていた。
彼の赤紫色に光る目を見た瞬間、ルナは全てを悟った。
――この男、魔法使いを呑んだのか?
男はルナの驚く顔に満足して、その独特の目を光らせた。
「私がどんな悪事を働いたのか、見抜いて下さったようですね」
男は悦楽を隠さなかった。むしろ見せびらかすように笑っている。
ルナは髪が逆立つような怒りを抑え、静かに言った。
「お前、とんでもないことをしたね」
咎められても男は平気な顔をしていた。
「炎の魔法使いを呑みましたからね」
「なぜこの森に来た」
「おや、わざわざお訊きにならなくても分かるでしょう。この森にも魔法使いがいるではないですか。とても美しく、強い力だ」
ノクスのことか、とルナは眉を顰めた。
「滅多にない、闇の魔力だ。ぜひお会いしたいものですね、その魔法使いさんにも」
ルナは呆れたように目を閉じた。
「炎の魔法使いだけでなく、闇の魔法使も欲しいか」
「闇の魔力は幻とまで言われた稀少なものです。ぜひ、味わってみたい」
「お前、その少女をどうするつもりだ」
「私の呑んだ魔法使いのことですか? 貴女には何でも分かってしまうのですね。呑まれた者の性別や年齢までお見通しとは。これはお見逸れしました。貴女が匿っておられる闇の魔法使いさんの素性も、少しは知りたいものですね。どんな方なのか、ご紹介いただけませんか」
ルナはその言葉には答えず、男の腹を見つめた。
「もう一度訊く。その少女をどうするつもりだ」
彼は赤紫色の目を激しく光らせた。
「このまま腹の中へ匿っておくつもりです。彼女の力は私のものだ」
ルナは彼の体躯を探るように眺めると、僅かに憐憫を含んだ声色で言った。
「お前のその痩せた体と赤紫色の目、魔力中毒者だな」
彼は驚いたように目を見開いた。
「なるほど。そんなことまで見抜いてしまうのですね。驚きました」
男は独特の目を隠すように、帽子の鍔を深々と下ろした。
ルナは彼の中に感じる炎の魔法使いの少女に向かって声を掛けた。
――しばらく辛抱しなさい。時は必ず来る。
ルナの声は捕らわれの少女に届いたようで、彼女が首肯するのがルナにも分かった。
彼は身を翻し、肩越しに別れの言葉を残した。
「では、名残惜しいですが、そろそろお暇します。闇の魔法使いさんへ、どうぞよろしくお伝えください。いつか必ず貴方の魔力をいただきますと。お会いできて光栄でした、ルナ様」
彼は墨絵のような影になり、森の奥へ消えた。
ルナは彼の気配が消えるまで、森の中に立ち尽くした。
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