第1章 赤紫色の目

前編 ルナの小屋

 朝日が射す森の中で、ルナはそっと屈み込み、どくだみに手を伸ばした。

 初夏になり、森のそこかしこで白い総苞片が開いている。お茶として飲むこともでき、煮炊きをすれば食べることもできる。皮膚の薬としても使える。ルナは森の恵みをいただき、篭に入れていった。

 森は穏やかだった。

 三時間も歩けば活気の溢れる町があるが、急坂も多い険しい道のりを辿り、こんな深いところまで人が立ち入ることは滅多にない。

 篭一杯に薬草を集めたルナは、自分の住む小屋へ戻っていった。

 黒いローブを羽織り、腰まで伸ばした黒髪を揺らし、鋭い眼光で人を見る。そんなルナのことを、魔女として恐れる人もいた。魔力もないのに薬の力を使い、人々を操る魔女なのだ。そんな噂まで立てられているらしかった。薬草使いの彼女が作るのは人を癒す薬であって、惑わす薬ではない。

 妙な噂が立つものだと、ルナは苦笑いした。

 彼女の小屋は信頼の置ける木こりに建ててもらったものだった。元々独り暮らしで小さな小屋だったが、二人の弟子を引き取った時に建て増しをし、三人暮らしでも窮屈しない小屋になった。

 二人の弟子はどちらもまだ十代の若者で、ルナとは親子ほどの歳の差があった。

 小屋の居間に入ると、朝食の準備をしていたエクラが「ルナ、お帰り」と元気に声を張ってルナを出迎え、もう一人の弟子のノクスも静かに「お帰り」と言った。

 エクラは篭を覗き込むと目を輝かせた。

「わぁ、どくだみね。綺麗」

「虫除けの薬にしようと思って少し採ってきた。ノクス、食事が終わったら早速取り掛かるからよろしく頼むよ」

 少年はこくりと頷いた。

「その前に朝ご飯よ」

 居間と一続きになっている台所からスープのいい匂いがした。

「エクラ、ありがとう。食事にしようか」

 ルナは篭を置くと、にっこり微笑んだ。

 三人はこの森で穏やかに暮らしている。朝には薬草を摘んで製薬の作業をし、午後には思い思いに休憩をして過ごす。気が向けばみんなで小屋の手入れをした。

 時たま、訳ありげな客人が訪れることもあるが、どの客人も大抵静かに去っていく。

 木漏れ日と雨音、星空に包まれながら、小屋の日常は過ぎていった。

 そんな森の中でも折々不審なことは起こる。そんな時、ルナの心にはざわめきが走った。大抵予兆なく突然起こる。この日もそうだった。

 朝食を終えてノクスと共に製薬の作業をしていたルナは、突然、胸にざわめきが走るのを感じた。それまで穏やかだった森の空気が一変し、風もないのに木々の枝葉がびりびりと震えるのを感じる。

「ノクス、何か来たぞ」

 繊細なノクスにも何かが近づいて来ていることが分かった。

「一体何だ?」

 奇妙な邪気だった。胸が騒ぐ。ノクスも落ち着きなく手を止め、ルナを見た。

 ルナは製薬室を出て居間の出窓から外を眺めた。一見、見慣れた木々が立っているだけで、変わったものは何もない。

 台所の片付けをしていたエクラもルナと一緒に窓の外を覗いた。

「どうしたの、ルナ」

「妙な邪気がする」

「邪気?」

 ノクスも製薬室から出てきた。ルナと共に外を窺う。

 ルナは弟子二人に言った。

「ノクス、エクラ、私は少し様子を見てくる。お前達はここで待っていなさい」

 ルナは無鉄砲な人ではないが、無策で邪気へ飛び込んでいくのは危険なことだ。ノクスは首を横に振る。

「行っちゃ駄目だ、ルナ。危ないよ」

 ルナは微笑んだ。

「心配はいらないよ。すぐ戻る。留守を頼むよ」

 ルナはそう言い残すと、二人を小屋へ残し、朝日の輝く森へ出た。

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