第11話 二度目

 今日も今日とて集落へ様子見。結果は異状なし。誰も死んではいませんでしたよ。……と、ここまでいいのです。問題はここから。さて、今日はどうやって家に入ろうかしら。

 先日、汚れているからと飼主と女からごみのような扱いを受けて以来、ワタシは帰宅の度に日々の難問へと直面する。因みに、この問題の正答率は今のところ零。難度が鬼畜仕様なのです。

 どれくらい鬼畜かといえば、汚れを落とそうと井戸に潜れば水が汚染されると首絞め制裁。ならば桶で汲んだ水で洗おうとすれば地面がぬかるむと針ピン。だったらやけくそで川に寄って綺麗にしてから帰れば遅いとシバかれる。


 すごいでしょう? ワタシまだ泣いてないのよ。ねえ、誰か凄いとほめてよ。


 もはや屋敷の玄関を見れば過去の記憶が強烈に蘇ってくる今日この頃。きっとワタシの精神はとんでもない勢いで鍛えられている。飼主の横暴を柳に風とばかりに受け流せる日も近いはずだ。

 それはそうとして。目下の問題は今日の帰宅手段。厳密には家に入る為に必要な清浄方法だけど、お家に足を踏み入れるまでがお出かけだ。間違ってはいない……はず。

 そのまま思考すること数分。

 蛇の小さな脳みそを振り絞って案を考えるが、一向に思いつかない。これはとてもまずい状況だ。もたもたしていると遠隔で首輪を絞められかねない。我慢が限界に達すると首を絞めたがる――飼主はそういう奴だ。


 あああっ……どうしよう。どうしましょう。どうしろうと?


 焦るワタシ。そこに誰かが近づいてくる気配を感じた。この歩き方は……女か。

「あら、やっぱりもう帰って来てたのね。そんな所でもたもたしてないで、はやく部屋に戻りなさい。あなたの飼主が痺れを切らし始めているわよ?」

 姿を見せた女から告げられる案の定な知らせ。それを聞いてますます焦りに拍車がかかる。


 ……もうこうなってはお仕置き覚悟で部屋に戻るべきかもしれない。針ピンとかなら躱せるかもしれないけど、首輪は逃げようがない。腹を括りましょう。


 どっちのお仕置きがまだましかという悲しい選択に決断を下す。

 意を決して汚れた身のまま、屋敷の敷居を跨ぐ。

 床に付く茶色い汚れ。ああ、またしぼり汁だ。

「……ちょっと待ちなさい。そのままの格好で戻ったらまた躾られるでしょう。私の為にしてくれた事でついた汚れなら、本来は私が拭いた方が良いものね。拭いてあげるからそこでじっとしてなさい。……本当は嫌だけど」


 え!? ほんとに?


 口の中に苦いものを感じていたワタシは、女から予想外の言葉に思わず歓喜する。本心ではやはり嫌がっているようだが、拭いてくれるなら気にしない。もし本当に女がワタシの体を拭いてくれるのなら、飼主のお仕置きを回避できるのだ。そんなこと、この僥倖の前にはどうでもいい。

 一度何処かへと歩いて行った女が手に布をもって姿を現す。その光景にワタシはお仕置きの回避を確信した。


 ありがとう女! これで、これで助かる――わっぶ!?


 他人から受けた初めての優しさに感動したのも束の間、女が手に持っていた布が雑に被され、あまつさえ踏みつけられた。

 尾の先端を靴で直に、胴体部分を布越しに思いっきり踏まれたワタシは変な声をもらして女を見上げる。すると女は真顔で見下ろし言った。

「絶対に動いちゃだめよ? 手と違って足の力加減なんて気にした事ないから、油断すると変な力の入り方してしまうの。もし動いて変な力の入り方したら……千切れるわ」


 なにが!? というかワタシの体拭いてくれるんじゃなかったの? なんでワタシ踏まれてんの? ねえってば!


「騒がないで! 気が散るでしょう。手で触ったら汚れてしまうからしょうがないのよ。靴なら汚れても気にならないし最悪捨てればいいからこの方法しかないの」


 いや、あるでしょう!? 手を洗えばいいだけのことじゃない。それとも何? ワタシの体には強力な細菌でも付着しているの? ちょっと答えなさいよ女! ……って止めて! 靴の裏でワタシの体をゴシゴシしないで! 痛いのっ。床と靴底に挟まれているせいか両方とも痛いのよ! それになんか床にめり込んでる気がするから! さっきからワタシの視界が埋まって行くの! ほんとに止めて! このままだと汚れと一緒に命も落ちちゃう!


「――あっ……」


 ぶちゃっという何かが潰れるような音と共に靴の動きが止まる。

 胴体の辺りから感じる濡れる感触。これはもう確信できた。


 ワタシ、どうやら踏み千切られたようです……



「ちゃんと生きてるんだよな?」

「それは間違いないわ。踏みつぶしちゃったけど、すぐに力を使って治せたもの」

「ならどうして蛇は目を覚まさないんだ?」

「治ったと言っても死にかけたのは事実だし、意識が戻るのに時間がかかってるんじゃないかしら」

 ゆっくりと浮上し始めた意識が飼主と女の声を拾う。様子を伺うに、ワタシはまた意識を失ったようだ。


 ワタシ、気を失いすぎじゃない……? 既に何度目かの意識喪失か分からなとかありえないでしょ。ワタシ、実は虚弱体質だったのかしら?

 

 微睡に似た意識の中で生まれてから今日までの記憶を振り返るが、そんな覚えは見当たらない。ぶつけられたり投げられたり、はたまた物理的に振り回されたりはしたけれど、それが原因ではないだろう。もしそうだったのなら、ワタシに起きている時間はない事になってしまう。

「……つまりはまだ待ちってことか。面倒臭さいな」

「そんなに待つのが嫌なら、外から刺激でも与えてみれば? そしたら目を覚ますかもね」

「なるほど。よし、とりあえずこれをぶつけてみるか」

 ぼすん。

 重量物が布に落ちるような音が立つ。いや、ようなというか、実際そうだった。重量物金槌寝床の上に落ちていた。


 ワタシがさっきまで寝ていたのに!

 不吉な気配を感じたから慌てて起きてみればこの仕打ち。死体に鞭打つとはこの事だ。いや、死んではないんだけどもっ。


「避けるなよ。あと起きるのが遅い。僕を待たせるな」

 あわや眠りが延長されかけたワタシに文句が畳みかけられる。


 おのれ飼主め……いつかすんごい目に遭わせてやるんだから、覚えてなさい。


 恨みのこもった目で飼主を睨んでいると女が徐に飼主とワタシの間に立った。

 ワタシに向けられた女の背中。その背は微かに震えていて、まるで怒りを堪えているようだった。

「ちょっと……いくらなんでもやりすぎよ。そんなもの投げて、当たっていたらどうするの? ――家が傷つくじゃない」


 ………………ええ。

 知ってた。

 分かっていたわよ。あんたがそういう奴だってことは!

 もう本当にやめてよね、希望を持たすの。飼主に対してはとっくに諦めていたけれど、あんたのことは多少、少し、ほんのちょっぴしだけど期待してたのに。あんたにはもう何も望まない。今日の玄関での仕打ちと今の言葉で確信した。女、あんたも大概飼主よ。


「大丈夫だって。いくら手元が狂ったとしても家に当てたりはしない。運動音痴のおまえと一緒にするな」

「だ、だれが運動音痴よ! 確かに人よりも運動は苦手かもしれないけど、あなたには言われたくないわ。――私よりひ弱なくせに」

「なっ――僕がひ弱なもんか! おまえの力が無駄に強いだけだろ! この宝の持ち腐れ系運動音痴が!」

「言うに事欠いて宝の持ち腐れですって? ちょっとあなた訂正しなさい。その口二度と失礼な事が言えないように割いてやるわ!」

 やいのやいのと口論が始まったかと思うと、女が飼主に襲いかかり口に指を突っ込んで引き裂こうとする。

 それを取っ組み合うようにして防ぐ飼主。しかし、いつかのように徐々に押し負けていき体がのけ反っていく。

「覚悟しなさい。私に協力してくれることは感謝してるけど、それでも許せないものってあるの。他人が気にしていることをずけずけと言うその口、お仕置きよ」

「――っ……まっ待てって一旦放――うぶっ」

 突然女がニコリと笑みを浮かべたかと思うと、飼主から一瞬力が抜けそのまま組み伏せられてしまう。

「このっ少しは、反省しなさい!」

「ふぁかった! ふぁかったふぁらはなふぇろ!」

 ふぉごふぉごと抵抗する飼主だったが、女の手は止まらない。ぐにぐにぐいぐいと飼主の口が引き延ばされていく。


 女! そこよ! そこをもっと強く引っ張るの! 飼主の口なんて耳の位置まで裂いちゃいなさい!


 自然と女の応援に力が入る。飼主がけちょんけちょんにされる姿など滅多にお目にかかれないのだ。心の底から応援するに決まってる。

 それにこれは嫌な奴と恨めしい奴同士の取っ組み合い。例え女が負けたとしてもワタシは胸が空く。どう転がっても喜ばしい展開になるとか最高ね。

 久々の自分だけが得をすると言う状況にワタシはもう有頂天。こんな思い、前の住処を出て以来だ。

「――何を、しているのかな?」

 だが、そんな羽が生えたような気持ちはすぐに終わった。

 たった一言。たった一度のその声がこの場を凍り付かせたのだ。

 全身に纏わりつく錘のような空気。それが飼主と女、そしてワタシの動きを縫いとめたのだ。

 ぎちぎちと無理やり強張った筋肉を動かしながら女が声の方を見る。そこにいたのは、

「ビレツ、カンダー……様」

 長い白髪を背中でまとめた鋭利な目つきの老人だった。

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飼主の婚約者が嫉妬してきます ひつまぶし @RAJIN

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