第3章

第10話 飼主の考え

「うわ……なおまえ」

 開口一番、ワタシは飼主からごみを見るような目で蔑まれた。慣れてはきたけど、この飼主の暴言には泣きそうです。

「そんなこと言っては駄目よ。私達の為に集落の様子を探っていたのでしょう? そのせいでついた汚れなのだから、もっと労わってあげないと」

 

 うわああああん!


 不意に向けられた女の優しさに心の涙腺が一気に緩む。誰かに優しくしてもらえる事がこんなにも嬉しいだなんて……ワタシ、知らなかった。

「そう思うなら蛇の掃除はおまえに任せるよ。僕は汚いの駄目なんだ」

「なに言ってるの? こんな上、よく分からい何かでしている汚物、触りたいはずないでしょう。汚れ仕事も含めて飼主の責任よ」


 うわああああん!


 不意にぶつけられた女の本心に心の涙腺が崩壊する。同じ暴言でも優しくされた後に言われるとこんなにも辛く感じるだなて……ワタシ、知りたくなかった。

「ちっ……やっぱり僕がやることになるのか。嫌だけどしょうがないな。

 ――おい蛇、そこ動くなよ」

 涙が止まらないワタシに向かって飼主は嫌悪と命令を告げ、何かを投げつける。


 うぇぶっ!?


 弾けるような音が鳴ると共にワタシの体に濡れた感触が訪れる。なんと飼主はワタシに向かって水球を投げつけたのだ。


 ちょ!? いきなり何すんのよ! てか、あんた今どこから水だしたの? ちょっと教えなさい! 針ピンといい今の水といい、あんたポンポン人に向かってもの投げ過ぎなのよ! その根源叩き潰してくれるわ!


 突然の仕打ちにシャアシャアと抗議する。流石に飼主の為に働いていたのにこんな扱いを受けては怒髪天を衝くと言うものだ。蛇だから髪はないんだけども。

「ねえ、この蛇怒っているように見えるのだけど。あなた、いつもこんな雑な感じで扱っているの?」

「まあ、だいたいは。だって丁寧に扱う必要がないからなこの蛇は。匙加減さえ間違えなったら勝手に蘇るし」


 いい度胸じゃない飼主! ぞんざいに扱われるのはワタシのせいだっていう訳? ならワタシにも考えが――


「だからこんな事しても平気なんだよ」

 その飼主の言葉と共に感じたのは浮遊感。ワタシの体が床から徐々に浮き上がろうとしていた。

 

 な、何! 今度は一体なにをする気よ!?


 ワタシの心に焦りが生じる。それを裏付けるように飼主がまたも水球を出現させた。

「で、こうやってここに――放り込む」

 と水球に投げ込まれるワタシ。水が全身を覆い尽くし、ワタシから呼吸と体の自由を奪っていく。

 それどころか、ワタシが放り込まれた途端、水球が内側で渦を巻き始めた。それに引き込まれて上下左右ひっきりなしに景色が入れ替わる。全身の感覚という感覚が、余さずぐちゃぐちゃにされた。


 ばぁ、ばぁふぃふぁぼふぉふぁっ! ごばぼふぃふぁ!


 一欠けらの恩情もない飼主の所業の前に、貴重な空気がごぼごぼと泡となって逃げていく。もはやワタシには自分の呼吸を留めておくことすらできない。

「まるで、汚れた衣類のような扱いね」

「やめてくれ、服は雑に洗うと痛むだろ? 僕はこいつにそこまでの気を使ってやるつもりは毛頭ないんだ……と、そろそろ窒息の時間だな」

 飼主が軽く指先を振ると水球が割れ、ワタシはべしゃっと床に投げ出される。


 うぅぅ……溺れ死ぬまでの時間は計れるくせに、ワタシの気持ちは測れないってどういうことよ。

 やめてよね、そういう殺さないだけの配慮。扱いの悲惨さが無視できなくなるじゃない……


 頬を伝う雫。それが付着した水滴の残りであることを切に願うワタシだった。

「……思ったのだけど、あんな洗い方するなら初めに水をぶつける意味あったの?」

「え? ただの八つ当たりだけど?」


 うわあああああああああああああああああああん!!



「さて蛇、集落の様子はどうだった? ?」


 汚れた屋敷の掃除が終わった後に投げ掛けらた飼主の言葉。それにワタシは体で輪を作って肯定する。

 この飼主、ワタシにあれだけの所業を働いておいて、ワタシが通った跡も汚いから自分で掃除して来いと言い放ったのだ。その為、雑巾一枚を口にして床の汚れを拭いていた結果、外の景色もワタシの心も黄昏色だ。何がとは言わないが、しぼり汁を飲んでしまった恨み、絶対に忘れない。

「とりあえずは予想通りだな。やっぱり慈愛の鬼が祈り続ける必要はなかったんだ」

「何と言うか、複雑ね……慈愛の鬼の役目から解放されるのが嬉しい反面、最大の役目があってないようなものだったなんて……今まで必死に祈っていたのが馬鹿みたい」

「だから言っただろ。自分勝手の極みのような存在である鬼が、他人の為に何かするなんてできるはずがないんだ。本当は真面目にやる必要がないと考えるのが自然だろ」

 さも当たり前というように言い切る飼主。飼主たち種族の生態は知らないが、聞くだけでクズの集まりだと分かる。飼主みたいなのがまだ何人もいるのかと想像すると……うん、世紀末ね。

「でも、普通はそこまで思いきれないわよ? ワタシが祈りを辞めたせいで可能性もあったのに」

「多少はな。だけどあの時も言っただろ? 知った事かって。僕もおまえも含めて死ぬ可能性があったのは全員同じだ。今までお前ひとりに貧乏くじを引かせていた分、たったの一度くらいみんなではずれを引いたっていいだろう?」

 僕たちはあまりに寿命が長すぎる、と小さく呟く飼主。きっと女に伝える気は無かった言葉だろうが、ワタシはその音を拾ってしまった。

 思わず女の方を振り返る。聞くつもりの無かったワタシでも拾えたのだ。女の耳が同じように言葉を拾っていてもおかしくはない。

「……ばか」

 しかし、女は前髪で表情を隠すように俯き、小声で飼主を罵倒していただけで、聞こえている様子はない。お互が小さく呟くことで零れた言葉を彷徨わせたのだろうか。

「まあ、まだ様子をみる必要はあるだろうが、次の段階に進んでもいいだろう。

 ――これからは、おまえの好きになる奴を探さないとな」

「そ、そうね。約束通り協力してくれるんでしょう?」

「ああ、勿論だ。僕じゃない婚約者を必ずおまえに見つけるよ。いくら慈愛の鬼の祈り手としての役目が不要になったとは言え、この集落の長としての後継者は必要だからな。それに問題なのはこれからだ。約束を果たせたとはまだまだ言えない」

「……カミーナシータ様たちをどう説得するかね」

 飼主と女の間に暗い空気が満ちる。二人とも額に手を当てたり、腕を組んで唸ったりと頭を悩ませていた。

「正直、あの三長老の説得が一番厄介だ。まさか、を使ってまで僕とおまえの仲を成就させようとしてたなんて思わなかった。三長老の祈り手に関する執着度は異常すぎる」

「あなたを廃人にしてまで私の理想にしようと準備していたもの。下手な説明したらどんな目に遭わされるか分かったものでないわ。……もしかしたら、この私でさえも」

 重い雰囲気を纏わせたまま今後についての方策をああでもない、こうでもないと話し合う二人。飼主も女もワタシがこの屋敷に連れてこられてから一番よくしゃべっている。

 この間まで何かと険悪だった二人の仲がこうまで改善されるのだから、人間というは本当によく分からない。だってワタシの扱いはいつまでたっても改善される気配がないのだから。きっと蛇であるワタシには訪れない展開だろうけど、飼主との仲が改善されることを切に願う。せめて、命の危機がない程度には。

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