第9話 らしくない
「僕が、必ず助ける」
ワタシを虐める時とは全く違う、決意の滲んだ口調で飼主は呟き、止めていた歩みを再開する。その雰囲気にのまれてワタシもその後に続いて行った。
すると、すぐに階段は終わり、ひとつの扉の前に辿り着く。そこで聞こえてくるのは女の嗚咽。扉越しでも聞こえるそれは、間違いなく誰かの助けてと言う悲鳴だった。
決意を固めるかのように瞳を一度閉じた飼主が、目を開くと共に扉を開ける。
軋む扉。その音が異音となって嗚咽が悲し気に残響する部屋に混じり込んだ。
「――だれ!?」
異変に気付いた声の主から誰何が挙がる。けれどそれに答える声はない。当然だ。答える必要がない。だってお互いに相手の名前は知っていたのだから。
驚きからだろう。大きく目を見開いた泣き声の主――婚約者の女と、飼主の視線がぶつかる。そして、頽れたまま驚愕に固まる女に向かって飼主が口を開いた。
「おまえが泣く姿は初めて見たな」
「っ!」
息を飲む女。慌てて涙を拭いその痕跡を消そうとするがもう遅い。頬についた滴の跡が、腫れた目の赤さが、何よりも頽れるその姿が感情の限界を示していた。
「誤魔化すなよ。僕はもう見逃してなんかやらないからな」
「ご、誤魔化すって何よ。私には誤魔化すことなんて何も――」
「慈愛の鬼でいることが辛いんだろ?」
女が再度息を飲む。否、言葉を失った。
呼吸すらも忘れたかのように微動だにしない女に対して飼主は一度口を閉じるが、何かを振り払うかのように身振りを付け、勢いに乗せて言葉を発する。
「どうした? 何も言い返さないのか? またいつもみたいに僕に言われる筋合いはないって言えよ。婚約者相手でも許せないことがあるって言って見せろよ!」
真っ向から女に向かって声を張り上げる飼主。いつもであれば口論になっている展開だ。だが、女は口を何度も開くが言葉にならず、反論が紡がれることはなかった。
「無理だよな? 言い返せるわけなんてないものな。僕たちはあくまでも鬼。もてあます寿命を自分にとってどう愉快に過ごすかしか興味のないヒトデナシだ。
だから、時間のかかる困難こそ喜ぶし、自分さえよければそれでいいから周囲の理解なんて気にしない。それが、そんな存在が上手くいかない事に頭を抱え、自分のやってきたことに対して認めて欲しいだなんて言うはずがないからな」
そこまで口にすると飼主は一度言葉を止め、膝をついて女に目線を合わせた。
「……今までおまえは、慈愛の鬼として生き方を貫いていると絶対に譲らなかった。僕が何と言おうと、僕がどれだけ否定しようとだ。
でも、気付いていたか? おまえの反論はいつもどこか歪で、鬼としての筋が通っていなかったんだ。だから、おまえが慈愛の鬼でいることを受け入れきれてないのはすぐに分かった。それなのに、おまえは本心でもない鬼の在り方を振る舞い続けていて、僕はそれが嫌で仕方がなかった――おまえ一人に全てを押し付けていることが」
女の肩がぴくりと跳ねて、その瞳から涙が零れる。どうやら飼主の言葉が琴線に触れたらしく、それを悟った飼主は女の肩を掴んで訴えた。
「――なあ、頼むから言ってくれ。おまえにもあるはずの本心から望む在り方を。僕たちの命なんてどうでもいい。それを僕に言ってくれるなら、必ず助けになってみせる。例えどんなに自分勝手な理屈でも、どれほど我欲に塗れた願いでもそれが鬼の在り方だ。おまえだけが我慢をする必要なんてどこにもない。
――だから、どうか言ってくれ。僕はもうおまえが自分を偽る姿なんて見たくないんだ!」
それが最後の一押しになったのか、女の表情が歪み、流れる涙が一気に増える。
そして女は言った。飼主が望んでいたその答えを。
「……もう、嫌なの……私はもう
お願いよ、私を助けて。私に、私にたった一人の誰かを愛する時間をちょうだい!」
「――任せろ。おまえの願いは僕が叶える」
◆
「もっと早く動けなくて悪かったな」
飼主が眠る女に向かってそっと呟く。
あれから女は飼主の前で泣き崩れ、疲れてしまったのかそのまま寝てしまった。今は飼主に支えられてその胸に抱えられている状態だ。
それにしても、今の飼主は何と言うか飼主らしくない。あの身勝手の極みのような飼主が、女に対して慮るようなことを言ったばかりか、こうして申し訳なさそうな顔を向けているのだ。正直、別人と言われた方が納得できる。
それでも目の前の飼主が飼主である事に間違いはない。
だって、だって――さっきからワタシの首輪をぎゅうぎゅう締め付けてくるのだから!
なんでよ! 今回ワタシなんにも飼主の不興を買うようなことしてないはずよ!? それなのに首輪絞めるとかなんの八つ当たりよ!
「蛇、今回はお手柄だったぞ。こいつがあんな状態になるまで追い詰められていたなんて、気づいていなかったからな。もし、もっと気づくのが遅れていたらと思うとぞっとする」
だったらこの首輪緩めなさいよ! はやくっ! 今すぐに! さもないとワタシの首がもげちゃうから!
「でもな、蛇のせいで僕は思いがけない傷を負ったんだ。いくらお手柄だったとしてもこれだけは頂けない。ほとんど不死身の僕にこんなにも深い傷を着けた事、ただじゃ済まさないからな」
それっきり黙り込んでしまう飼主。
何故か悲壮感を漂わせて決意したような顔をしているけど意味が分からない。だって飼主には外傷が見当たらないもの。傷なんてどこにも見当たらないのに傷ついたような雰囲気出されても、ワタシの苛立ちが増すばかりだ。もういい加減にして欲しい。
着々と絞まっていく首輪の感触から意識を逸らしながら、ワタシは理不尽を嘆き続けた。
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