第8話 探索
悶える飼主を放置して部屋から出る。
普段ならばワタシを独りで行動させたりしない飼主だが、今は周りが見えていない。自由に行動ができそうなこの機会を逃したくはなかった。
それに自分の感情を誤魔化す為に八つ当たりされないとも限らないしね……
飼い蛇の辛いところで、基本的に降りかかる火の粉は払えない。ワタシにできることは降りかかる火の粉をどうにか耐えるか、火の粉が発生しそうな場所から事前に逃げておくかのどちらかしかないのだ。であればワタシがとる方法は自ずと決まって来る。
ましてや、何かと精神的にしんどい事が多いこの日常の中で、癒しの時に繋がるかもしれない選択肢を選ばないなどあり得なかった。
いつになく軽い心持ちで大分見慣れてきた廊下を横切り、適当な窓の下で巨大化。口で窓を開けてあの女が祈っていた中庭へと身を乗り出す。
こういう時、蛇の体はとても便利だ。たとえここが二階でも、体をうんと伸ばせば中庭で自由に枝葉を茂らせる木や、壁沿いに生育する蔦などに絡まっていくらでも移動できるのだから。
あれ? もしかしワタシ、植物より不自由して――いえ、気のせいだわ、きっと。
ちらりと過った不本意な現実を振り払うように木を伝って地面に降りる。すると、木の影から声が聞こえてきた。
そっと覗き込んでみると、そこにいたのは先程の老人。しかし、それ以外に人のいる気配はなく、ただ話し声だけが木陰に響く。
「……いつも甲斐甲斐しく身の回りの世話をするばかりで女中のようであったが、どうやら進展があったらしい。今日はいつになく婚約者――というよりも恋人のようだったぞ。この様子なら準備は無用になりそうだ」
「ですが、今日だけで判断するのは早計といえます。急に進展があった事も気になりますし、まだしばらくは様子見が必要でしょう。祈り手は我々にとって欠かす事の出来ない存在なのですから」
「ならば、結論は保留ということか?」
「そうなりますね、今しばらくは。では、また次の視察の際に」
そこで話は終わったのか声が聞こえなくなる。間違いなく二人分の声が聞こえていたのに、ここにはいないことも間違いない。頭が混乱しそうだ。
「……とりあえず、今回の役目は終わりか。私としては楽をさせて欲しいものなのだが……まあいい。その時はその時だ。戻って研究を再開するとしよう」
急に面倒くさそうにする老人。すると――老人の体が崩れ出した。
驚く間もないうちに、頭から風に流され、砂のように姿が掻き消え空へと消える。一瞬にして人一人が跡形もなくなった光景にワタシの理解が追いつかない。
……な、なんなのよここは。殺したと思った飼主は生きてるし、女は不可思議な力を使うし、老人に至っては姿を消せる? どんな奇天烈人間の集まりだ。普通の人はいないの? もう訳が分かんない。
◆
あの老人の不可思議な言動を目撃してしまったせいで、何だか気味が悪くなり、ワタシは中庭から移動することにした。あのままあそこにいたら、理解できない不気味な存在に追いつかれて、ワタシの日常が崩壊してしまうように感じたのだ。
庭という空間から一刻も早く脱出する為、来た道ではなく素早く辿れる地べたを経由して、適当な出入り口から屋内へと戻る。そして、そのまま木張りの床をいつもより速い速度でしゅるると進み、二階へと戻る階段へとたどり着いた。
階段を一段一段昇るのは大変なので、手すりの親柱に身を絡ませて天辺を目指す。そこから手すりの握り部分を二階へと向けて登っていくと登るのも簡単なのだ。
時には木登りもこなす蛇としての能力を活かし親柱を登り切る。ただ、落ちるのが怖くて力が入り過ぎてしまったせいか、昇り切ると同時にコキっという音が鳴り、親柱が外側に向けて倒れだしてしまった。
お? えっえっー!?
焦るワタシをおいてけぼりに、重さに従って傾く視界。とっさの事に絡めた体をほどく余裕もなく、このまま床に叩き付けられると身構える――が、一向にその衝撃が来ない。
それをおかしく思い、恐る恐る周囲を探ると、ワタシが絡まっていた親柱が斜めになった状態で静止していた。どうやら、これ以上倒れ込むことはないらしい。
ただ、それと同時に一つのある変化にも気づく。階段の下とでも表せばいいのか、床と階段の踏み板――その間の空間に扉が出現し、それどころか勝手に開き始めていたのだ。
何よあれ……? あんなとこに扉なんてなかったわよね?
斜めになった体勢のまま、今までなかった扉の出現という珍事を訝しむ。
気味が悪くなって今日はもうさっさと部屋に戻ろうかと思っていたのだが、こうやって妙な事態に遭遇すると好奇心が勝ってしまう。
もしかしたら、なにか新しい印象的な出来事で感情を上書きしたかっただけなのかもしれない。でも、いずれにしてもワタシは目の前の出来事を見逃せなくて、見慣れぬ扉を潜る事を選択した。
体を床に投げ出し扉の前へと移動。そこから開いた扉の先を覗き込むと――石造りの階段が地下へと続いているのが分かった。
壁に備え付けられてた燭台の微かな明かりが照らす中、一段一段降りていく。けれど、何段下っても全くの無音で一切の生物の気配がしないこの空間に不気味なものを感じてしまう。
こ、来なきゃよかったかも……
思っていたのと違う状況に後悔の念が押し寄せて来る。気味の悪いものを忘れたくて不気味な目に遭っているとか……本末転倒としか言えないだろう。
戻ってしまうか、ここまで来たのだから行けるとこまで行ってしまうか。その二択で迷いはじめたワタシの下に――声が届いた。
「――っ――」
しかし、それはどこ物悲しくて、
「……」
悲嘆に暮れていて、
「っ」
湿っぽくて、
――誰かの泣き声だった。
全身にぞくりとした反応が走る。
薄暗い地下に響く誰かの泣き声。今までの蛇生で遭遇した事のない状況にワタシの精神が限界を迎える。
むり無理ムリっ! こんなとこ、もう一秒だっていれないわ!
体と精神の欲望に従って身を捻り方向転換する。向かう先はもちろんさっきの入り口。今ばかりはあの危険の付き纏う飼主のいる生活が恋しかった。
「――もう、どうしたらいいのよ!」
しかし、ワタシの出鼻は突然響いた大声に挫かれる。あまりにも大きく、あまりに悲痛なその叫びに体が驚き、その場に縫い留められたのだ。
「なんで上手くいかないの!? あそこまでしたのに! いつも精一杯してるのにっ! 誰も分かってくれないし、受け入れてくれない! なんでなんでなんで!」
慟哭とさえ呼べそうな叫び。それはそのまま続き、時には誰かへと対する不満であったり誰かへと対する切願であったり、誰かへと対する祈りであったりした。
様々な誰かへ対する叫び。それはワタシが理解できるものではなかったけれど、蛇であるワタシにも理解できることはあった。それはある人物の名前。この泣き叫ぶ声の主が上げる不満の対象に、ワタシのよく知る人物のそれが挙がっていたのだ。
「……くそっ――こんな事になっていたなんて……こうなっていることに気付けなかったなんて……僕は何をしていたんだ」
それは飼主の名前で――いつの間にかワタシのすぐ傍で力の入り過ぎた拳から血を流していたオスの名前だった。
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