第7話 豹変
あまりの妄言に困惑しているワタシをよそに、女はニコリと笑顔を浮かべて飼主の横に立つ。
「……」
急に距離を詰められて居心地が悪くなったのか、座る位置を直す飼主。だが女はそんなこと関係なしに飼主の顔を覗き込む。
「もうっ、
「――っ」
うっわ……
ワタシの驚愕と飼主の息をのむ声が重なる。
いったい今のは何だ。あの女の豹変ぶりに付いて行けない。もしかして、女の方も何かしらの変態性を隠し持っていたのかしら。……変態同士の婚約者。ある意味お似合いではあるけれど……きついわね。
「あ、今どきってしたでしょ? 可愛い……えいっ!」
「な――ちょ、なにする気だ!?」
女の二面性は更に狂気を増し、遂には飼主に横から抱き着く。
先ほどまでの雰囲気から考えればあり得べからざる光景であり、飼主からすれば予想外の一撃を受けたようなものだろう。特に親しくもない間柄で急に距離を詰められた驚きも相まってか、飼主は顔を赤くしながら女に怒鳴った。
「おまっ、おまえ一体何考えてんだ!? 顔が近っ――じゃなくて、今標本してんだ! 危ないだろ!」
「でも、こうでもしないと私のこと見てくれないじゃない。怪我したって私がいくらでも治せるんだから、邪魔するのは当然でしょ?」
怒る飼主を完全に無視して、座っている飼主の膝の上に乗りかからんばかりの勢いで密着する女。
「分かった! 分かったからもう離れろ! あ、暑苦しいんだよ!」
鼻と鼻が触れ合いそうなほどだった女の肩を掴んで無理やり距離を空ける飼主。女はそれに逆らうように手を掴んで抵抗する。
拮抗する女と飼主の力。しかしそれは僅かな間のことで、飼主はすぐに押し負け始める。
「くそっ……相変わらずの馬鹿力が……」
抗う腕をぷるぷるさせながら、徐々に詰まっていく女との距離に焦る飼主。その様で、口調だけは偉そうなのがとても滑稽といえよう。
……なんか飼主が良いようにされているのって見てて気分がいいわね。よし、女、もっと飼主をいじめちゃいなさい。ワタシに変わってお仕置きするのよ!
普段は見れない飼主の姿に何故だか興奮する。きっと今までの溜飲が下がり過ぎて、想いが振り切れてしまったのだろう。
そんなワタシの期待に応えるように女がついに距離を詰め切り、飼主の耳元でそっと囁く。
「――抵抗したって無駄なんだから。さあ、私だけを見て?」
「――、――っ――!」
やっふううううう!
一切逆らえなくて屈辱が限界に達したのだろう。飼主の体温が振り切れて言葉を紡げなくなっているのがはっきり分かった。こっちはもう狂喜乱舞。有頂天だ。
ざまあ見なさい飼主! 他人の目がある中異性に屈服されて良いようにされるなんて、なーんて恥ずかしいのから。これが天罰よ。ワタシで遊んだばちが当たったのよ。これに懲りたら少しはワタシの扱いを顧みなさい、この変態っ!
「ふむ、恙ないようで大いに結構。もう十分だ。これにて今回の視察は終わりとする。
……とは言え、いくら婚約者同士でも、人前でそうも密着するのはいただけないな。ベルリックが恥ずかしがっているように、姫も恥じらいを意識しなさい。今後は淑やかに睦まじくだ。良いね?」
注意を受けたからか、飼主の膝から降りて女は居住まいを正す。もっと無様な飼主の姿を見ていたかったワタシとしては落胆を隠せない。
「――はい、わかりましたカミーナシータ様。では、また次の時に」
「ああ、それでは失礼する」
結局、部屋に入ってからほとんど動かないまま老人が退室する。それを見届けてため息をはく女。スタスタと飼主から離れ、近づく様子がないことから、もうあの二面性はなりを潜めたようだ。
「じゃあ、私も部屋に戻るわね。今日はお疲れ様」
未だ恥辱に震えている飼主に一言告げて女も部屋から出ていく。流石に飼主に追い打ちをかけて楽しむ趣味はないようで、どこぞの変態とは違うらしい。
しかし、ワタシはこの機を逃さない。例え変態と言われようと、こんな次がいつあるか分からない飼主の弱った場面を見逃す手はない。何か直接手を下してしまうと仕返しが怖いのでやらないが、恥にまみれた飼主の顔を記憶に収めて、時たま思い出すくらいは許されるだろう。
ずっと部屋の隅で見ているだけだったワタシは喜び勇んで飼主の座る机に昇り、ハスハスと期待に胸を膨らませてその顔を覗き込む。そして――
「なんなんだよ。いつもと全然違ったじゃないか。どうして――あー! もういったい何がどうなってんだ!?」
顔を真っ赤にして叫び散らすその様子に違和感を感じた。
え……? 飼主、あんたって怒ってるのよね?
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