第6話 飼い蛇の行方

 すうぅぅぅぅぅぅぅ――はあぁぁぁぁぁぁぁ。


 空気が美味しいって素晴らしい。

 飼主の機嫌が最悪になったあの日から数日。ワタシは既に舌の臭いから解放されていた。

 あの直後、飼主は自分が言った通りに部屋に戻ったワタシに消臭剤――もとい、消臭のりらしきものを使い臭いをとってくれた。


 ……でもあれの原料だけはいただけない。だって色が紫だったのよ? 考えないようにはしているけど、まともなものじゃないはずだわ。臭いを付ける時もとる時も普通の物を使えない飼主。流石変態だ。飼主には異常者の烙印を進呈しよう。


 それはそうと、以降ワタシは呼吸を満喫している。空気の味を噛みしめ、空中に漂う匂いを楽しみ、嗅覚ヤコブソンと語らう。とても充実した楽しい日々だ。

 しかし、それももうじき終わるだろう。なぜなら、ここ最近飼主が何かに勤しんでいるからだ。

 もちろん、機嫌が悪いよりは遥かに良い。八つ当たりで標本される可能性もあるワタシには飼主の機嫌の良し悪しは死活問題。だけど、かと言って飼主がなにかしだすのもそれはそれで怖い。基本、ワタシの行動を見て楽しむだけの飼主が動くとなると悪い予感しかしないのだ。

「――よし、完成だ」


 ……ほら来た。


 言っているそばから何かをやり遂げた飼主。ワタシの警戒心が音を鳴らす。

 それまで向かっていた机から立ち上がり、寝床で平穏な最後の呼吸を楽しんでいたワタシの前で飼主が立ち止まる。

「蛇、おまえにこれをやるよ。嬉しいだろう?」

 そう言ってかざされたのは、ワタシの胴体ほどの直径をした銀色の輪。ワタシには飼主が何をしたいのか分からない。

「ん? これが何か分からないのか? こいつはこうするんだよ」

 戸惑うワタシを見た飼主が手を伸ばして来る。そしてそのまま片手でワタシの体を掴み、空いた方の手を使って輪を嵌めた。

 スポっと音が聞こえそうな勢いでワタシの頭を潜る輪。でも、ひっかかる所のない蛇の体なので、当然のように尾まで通り過ぎそのまま落下する。

「おい、受け止めろよ」


 理不尽!?


 思わず絶叫する。いまだに飼主の意図が掴めないのにこの無茶振りとか……飼主こいつ、さては会話下手くそね? きっと自分のやりたい事が第一で相手の気持ちを考えられない自己中野郎なんだわ。……あっ、最初からか。

「なんかおまえの視線がむかつくな……そんな奴にはこうだ」

 しまったと思うのも遅く、拾った輪を再度ワタシの頭に潜らす飼主。そして、それが胴のところに差し掛かった瞬間、輪がぎゅっと絞まった。


 こきゅぅぅぅぅぅぅっ!

 器官が、気管が絞まる! ワタシの中の管という管がへし折れちゃうぅぅぅ!


 飼主の暴挙に悲鳴をあげるも、当然のように手――否、輪は緩まない。容赦なくワタシの中心へと喰いこんでくる。

「苦しいか? 苦しかったら謝意を示してみろ。そしたら緩めてやるよ」


 できるかあ! こっちとら気道絞められてんの! 極まってんのよ? どうやって謝れって言うのよ。声出すどころじゃないの。何をするにも呼吸は要るの。そんなことも分からないからあんたは変態なのよ。この首絞め狂がっ!


 盛大な罵倒で反意を示すが、所詮は心の声。飼主のほの暗い笑顔も食い込んでくる輪っかも引っ込む気配はない。

 継続的に輪は狭まり、短くなる直径に反するようにワタシの舌がデロンと伸びる。


 も、もうそろそろ解放されないのかしら? いい加減ワタシ限界なんですけど……?


 既にして濁りだしている気がしてならない目で飼主を見上げる。すると――

「……流石にもう死にそうか? つまり、外傷による致命傷は回復できても窒息には効果がないと言うことか。うん。また一つ新しい事が知れたな」

 とても無邪気な笑顔で笑ってた。


 ――この鬼っ! 悪魔! 人でなし! 蛇の命使って実験してんじゃないわよ! 狂ってる狂ってるとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。あんたみたいなやつを何て言うか知ってる!? 外道って言うのよ外道って! あんたは畜生にも劣る狂人よ。まともに死ねると思うなよ!


 飼主の新しい発見と同時に呼吸を取り戻したワタシは、シャアシャアと未だかつてない勢いで罵倒する。

 もう飼主の事は人とは思わない。この前自分でも鬼がどうとか言ってたし、ワタシはもうあんたを鬼と思う事にする。人扱いなんて今後一切してやるもんか。

 はあはあと荒れた息を整え、落ち着いたところで自分の体を探る。


 息も戻ってるし臭いも分かる……体だって動いてるから……大丈夫か。


 スーハーしゅっしゅビタンビタンした結果、変な後遺症とかはなさそうなので安心する。これで全部元通り……だ?

 安心しようとした矢先、頭と胴の間辺りに違和感を感じる。

 恐る恐る尻尾の先端を伸ばして違和感の辺りを摩ってみると固い感触が。触った感じ何となく冷たいし……これってまさか。

「どうだ? 気に入ったか? それは蛇、おまえの為に作った首輪だ。伸縮自在でその上、どこに行っても僕におまえの居場所を教えてくれる優れものだ。すごいだろ?」


 な、なんて余計なものを作ってくれたの。嫌がるワタシに無理やり首輪を付けるだけじゃ飽き足らず、監視趣味まで併せ持つなんて……流石、外道に恥じぬ行動ね。欲望が無限大すぎるわ。


「いやー苦労したんだぞ。しょっちゅう巨大化する蛇でも使えるようにしたり、躾の機能を組み込んだり。

 だけどな、行き詰っても僕は諦めなかった。だって、蛇には絶対それが似合うだろ? おまえ、尻尾振ったり口で荒い呼吸したり蛇というより犬みたいだからさ。だったらもう首輪は必須だろ?」


 ――な、なんですって!?


 飼主の言葉に驚愕する。

 思い返すのは先日の出来事。確かにワタシは意志が通じない苛立ちを尻尾で表現したり、女の鼻に舌の臭いを分からせようと吐息を繰り返していた。つまり、それは――


 ワタシが原因!?

 ワタシの動作が飼主に犬を連想させたってこと? そ、それじゃあ今やさっきの状況も自爆ってことじゃない。何よそれ……ワタシはただ必死なだけだったのに。それなのにこんな目に遭うなんて……

 ――いったい、どうすれば良かったのよ!



 はいはい。犬が通りますよー

 追跡機能つきの首輪を嵌められた犬が通りますよー

 ちょっと体が細身で手足が見えないかもしれないけど犬ですからねー

 しっかりしつけられてるから噛まないので安心安全ですよー


 ごつ……

 いじけながら部屋の中をズルズルうねうね進んでいたら壁にぶつかった。棒でなくて悪かったわね。

 ……いじいじが止まらない。

 自分で色々やっておいてなんだけど酷いと思う。なんかもう、やっていることが拗ねた子どもだ。

 でも、しょうがなのよ。すでにもって蛇の誇りはズタズタ。ワタシを何とか支えていた心の支柱がぽっきり折れてしまったので、全てがどうでもよくなってしまった。ワタシ自身、持ち直せる気が全くしない状況だ。

「さっきから生気にかける動きばっかりだな……どうだ? 気分転換に外に散歩でもしに行くか? 今なら外に連れて行ってもいいぞ?」

 あまりのワタシのいじけっぷりに飼主でさえ気遣うような事を言ってくる。だけどそこはやはり飼主。さも当然のようにワタシを犬扱いしてとか言ってくる。優しさと見せかけて貶めて来るとか……油断も隙もあったもんじゃないわね。

 コンコン。

 とるべき手段もわからないまま飼主を貶し返していると、飼主の部屋の戸が叩かれる。これは、来客かしら?

「――しまった。もうそんな時間かっ。

 待ってろ! 今開けるから! ……くそ、蛇の首輪に時間を取られて忘れてた。あとでお仕置きだからな」


 え、えぇ……


 もはや横暴としか言えない言葉をワタシに投げ捨て、飼主は部屋に散らかった物を片していく。

 よく分からない標本の残骸はゴミ箱へ。

 床に転がっていた謎の道具は棚の中へ。

 落ちていた針ピンはワタシに向かって――


 危なっ!?


 間断なく執行されたお仕置きを辛うじて躱し、飼主の舌打ちを受け流す。

 躱せたから良かったようなものの、心臓のバクバクが止まらない。蛇に冷汗流させるとやめて欲しいんですけど。

 近頃すっかり慣れてしまった肝が冷える感覚。それに得も言われぬものを感じていると、飼主が粗方片づけを終え、来客の待つ扉を開けた。

「……お邪魔します」

 視線が無言で交錯した後、入室したのは飼主の婚約者であるあの女。仲の良くない二人が、相手の部屋をわざわざ訪ねて来るなんてとても意外だ。

「それで、今日はどうするんだ?」

「今日いらっしゃるのはカミーナシータ様だから、この部屋で一緒にいるだけで良いと思うわ。頑張ってしましょう?」

「そうか。なら、いつもみたいにするぞ。あとは適当に会わせておいてくれ」

「ええ。なら、何か用意でもして時間を潰させてもらうわね」

 二言三言言葉を交わしたあと、再度机に向かう飼い主とお茶の準備をする女。不思議なことに女の手に迷いはなく、何処に何があるか把握しているようだった。

 しばらくして湯が湧き、女が飼主の机のすみにコトリとお茶をおく。

 湯気の立つそれに見向きもせず、ひたすら標本作成を続ける飼主。女はそれを見てため息をつき、ふと此方に視線を向けた。

「そう言えば、この蛇を拾ってしばらく経つけれど、何か興味を惹かれたりはしているの?」

「ああ、勿論。でなけゃわざわざ生かし続ける意味ないだろ?」

「……その興味が尽きたら飾るっていうのはどうにかならないの? であるあなたがそう振る舞うのは分かるけど、共感が難しいわ」

「だったら、お互い様だな。僕もおまえの在り方には共感――と言うより理解ができない。共感しようなんて発想、そもそも鬼が抱くことじゃないからな」

「……いつカミーナシータ様がいらっしゃるかわからない状態でその議論をするつもりはないわ。この話は止めにしましょう」

 女の言葉を最後に空気が重くなる。

 この二人、口を開ければ喧嘩になるし、時たま意味のわからいないことを言うし、本当になんなのだろうか。ワタシだったら鬱憤が溜まってこんな生活、すぐに嫌気が差す。


 ――はっ! だから飼主は怒りっぽいのね。日々の生活で溜め込んだものをワタシ相手に発散させてすっきりしているんだわ。蛇相手にしか溜まった物をぶちまけられないなんて、なんて哀れな存在なのかしら。


 カチャ――

 同族に相手をしてもらえない飼主に同情していると、扉が開く小さな音が部屋に響いた。

 扉を開けて入ってきたのは一人の老人。白髪で皴の目立つひろいおでこは、とても分かりやすい特徴と言えるだろう。

「久しぶりだな。では早速だが、君たち二人の仲の良さを見せて欲しい。それをもって今回も判断することにしよう」


 ……はぁ?  

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