第2話 あくまでも蛇ですから

 傷は治っても体力は戻らず、ただ意識だけで二人を見る。

 ワタシを助けた女の見た目は子ども。黒目黒髪で特徴といえば髪の長さくらいか。腰まで届く髪が揺れている。

 一方で男の方。見た目は女と同じで黒目黒髪。髪は短くいたって普通。でも、なんだかこっちは――危なそう。

 地面に倒れるワタシに被さるように顔を近づけ、くまなく全身を舐め回す。鼻息も荒いし、目はギンギンだし、体温も上がっている。さっきも何か妙な事言ってたし、助かった筈の体からの危険信号がとまらない。

「こんな白い蛇は初めてだ。この森にはいなかったよね。それとも新種? でもまあいいやそんなこと。とりあえずもって帰って処理しなきゃ。きっと飾ったら栄えるだろうなぁ」

 処理?

 飾る?

 栄える?

 凡そ助けた蛇にかける言葉とは思えない。冷汗が止まらない。体温がどんどん下がっていく。蛇なのに、ワタシ蛇なのに!

「助けたかったんじゃないの?」

 そこで女が待ったをかけた。ワタシには女が神に見える。助けてください我が神。今なら全霊で信仰を捧げます。

「助けたかったよ。死んじゃうとおまえの力でも綺麗にできないだろう?」

「私のじゃなくて神様の力。それからこの力はあなたの我が儘を満たすためにあるんじゃないの。自分勝手な欲望の為に使わせないで。蛇皮の掃除くらい自分でしたらいいでしょう」

 それから力とやらについて言い争う二人。その会話の中にワタシの身を案じる言葉は見当たらない。信仰はここまでだ。


 侘しいです。


 死にかけて身じろぎ一つできないワタシの心から端的な感情が溢れて言葉になる。どこかにワタシの命を救ってくれる神はいないのですか?



 抵抗する力のないワタシはなす術もなく虫かごに詰められ、二人にどこかの屋敷に連行された。

 道中で集落らしきところを通り過ぎ、その奥の一際大きな屋敷に迷わず入ったところを見るに、ここが二人の住処らしい。

 玄関を潜り階段を登った先にある一室。その前で無言で女と別れ男だけが部屋へと入る。

「今日もいらいらしたな……あいつ、あんな生き方して、何が楽しいんだ?」

 女と別れて早々、文句を口にする男。女が向かったであろう方を睨む男の目は訝し気で、同じ種族同士とは思えない不理解の色が濃く浮かんでいる。

「……やめよう。せっかくを見つけた気分が台無しになる。不快なことは忘れて楽しませてもらおう。な?」


 

 何が『な?』よ!

 瞳孔開き気味に舌なめずりとかしないで! 恐怖しか感じないから。お前は蛇か! たった今蛙の気持ちが分かったわ! 蛇なのに! 蛇はワタシなのに……っ


 透明な籠の中でぶるぶる震えるしかない。虫かごが振動しているのが自分でも分かる。さっきまで疲労で身じろぎ一つできなかったのに。こんなに動けるなら捕まる前から動けよワタシの体。


 いいえ、待つんだワタシ。ここは発想の転換だ。

 震える事しかできないなら、もっと震えてやればいいじゃない!

 振動の大きさで抵抗を示してやる。

 見ていろ人間の男! 追いつめられた鼠は食われるだけじゃないんだから!


 一先ずはワタシを閉じ込める虫かごから脱出しようと全力で震える。


 ブルブル、ブルブル。


 ちょっとだけ揺れた。まだ震えが足りない。こうなったらもっと震えるしかない。

 思い出せワタシ。

 森に入ってから受けた暴力を。

 刻まれ続けた傷を。

 遭遇した狂気を。


 ブル、ブルブルブルブルブルブルブルブル!

 

 蘇る恐怖。

 吹き出る汗。

 そして込み上げる嘔吐感っ。

 やばい。吐き気が! 心が、精神が、魂がこれ以上は思い出すなと警告している。

 でもワタシは負けない! ここで引いたら命に関わる。生き残るために泥水をすすれるなら、吐瀉物だって飲み込める。そして飲み込む事ならワタシの専売特許だ。絶対にできる!


「なんだ……!? 籠……いや、蛇が震えてる? もしかして、あいつの治療が完璧じゃなかったのか?」

 発想の転換が早速功を奏し、男が慌てた様子で虫かごの蓋を開け、ワタシを取り出す。その時、男の指が腹に食い込んだ。


 ペッシャアアアアアアア!


 ワタシの顔から男の顔に向けて架かる一筋の橋。その直後べしゃりと何かが落ちてまとわりつく様な音が響き、一瞬で橋は消えた。


 い、一矢報いてやったわ……っ!

 想定とは違ったけど、これがワタシの反撃だ。


「――うん。直ぐにただちに迅速に処理をしよう。お前の望みを叶えてやるよ」

 顔に付着した橋の残骸を袖で拭い、男が両手でワタシを掴みなおす。目が座っていてとても怖いです。


 これはまずい。はやく、速く逃げないと――


「逃がすと思う?」

 ワタシの動きの兆候を見逃さず、男はワタシを部屋にあった机に叩き付ける。

 零れる息と余った吐瀉物。内臓が危険域です。


 ちょ、まって、助けて、お願い――!


 しかし、ワタシの願いが届くはずもなく、男は体重をかけながら左手でワタシの胴体を抑え、いつの間にか手にした針を右手に振りかぶる。

 ずぶり、と。

 針がワタシの喉元に突き刺さった。


 あ、だめだ。ワタシ死んじゃう……


 人生の幕が下りる音が頭の内側に響く。

 ビリビリ。

 べりべり。

 バリバリ。

「なんだ? 様子が……」

 死を受け入れようとしていたワタシの元に男の戸惑いの声が届く。

 そしてワタシは気が付いた。先ほど感じた音が死の予兆でないことに。

「蛇の体が濁って――ひび割れていく? ……これは、脱皮?」

 そう、これがワタシの持つ最大の力。一日一度だけ使える脱皮。

 脱皮をするとそれまでに負っていた傷は致命傷でもある程度治るのだ。これのおかげで今までなんとか生き延びてこられた。尤も、この森に入ってからは生き残っただけで、生存競争には負け続けてきたけれど。

 それでも、この場面で脱皮できるようになったのは僥倖としか言えない。あと少しでも時間がずれていたら間違いなく今死んでいただろう。


 でもなあ……


 思わずため息が出る。

 幸運は幸運だったけれど、この力には一つ欠点がある。それは脱皮後に訪れる強烈な虚脱感。脱皮後は当分の間気を失って動けないのだ。

 これまでは何とか場面を選んで行ってきた。だが、今回は本能が行ったワタシの意識とは無関係の脱皮だ。

 こうなってはあとは祈るしかない。信仰を捨ててから一日と経っていないけど祈りましょう。


 ああ神様。どうかワタシの命を拾ってください。

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