飼主の婚約者が嫉妬してきます

ひつまぶし

第1章 ワタシ拾われました……

第1話 不定期なのに日々の日課……?

 悠々自適に生きてきました。

 食べたいときに食べたいものを食べて。

 眠たい時には好きに寝て。

 遊ぶものがなくなった時は気の向くままに場所を変えました。

 それはいつものことで。

 ずっと繰り返してきた日常で。

だから、偶々目に付いたその森に入っても、今まで通りに過ごしていけると微塵も疑うことはなかったのです。

 でも。

 でも。

 でも!

 そこでワタシは知った。

 この世界の広さを。

 この世界の深さを。

 この世界の恐ろしさを。

 ワタシは無力だった。

 植物には捕食され、鳥には産卵の寝床にされ、犬には至る所に引きずり回された。

 爛れ、啄まれ、汚泥を刷り込まれたワタシの心身はズタズタで、もう生きてはいられないだろうと思った――その時。

「――! ――!」

「……」

 何事かを小さな人間の男が叫ぶと不機嫌そうに女が手をワタシにかざし――傷が治った。

 言葉通りの完治。

 理屈は分からなかったが、ワタシは助けられたのだ。

 そして、

「よし! これできれいな標本ができるぞ!」

 ワタシの苦難の日々が始まったのです。



 朝目覚めると眩い光が目に映ります。但し、それは目覚めを誘う朝の陽ざしではなく、永遠の眠りへ引き込む針ピンの煌めきです。


 あぶなっ!


 思わず叫んで胴体をくの字に折り曲げる。

 いままで胴体があった個所にずぶりと突き刺さる針ピン。寝床に全体の9割が沈んでいた。殺意が高い。

「あ、避けた。この蛇妙に感が良いんだよね。……避け方が面白かったし、標本化はまた先延ばしにしよっかな」

 そう言って突き刺した針ピンを引き抜く飼主。恐怖の凶器が針山に戻されたのを見て深く息を吐く。


 ふへえーーーーーーーーー。

 やばいよまずいよこわかったよぉ。


 飼主にはワタシの言葉が分からないのをいいことに情けない声を臆面もなく出す。聞かれていたら恥ずかしいことこの上ないが知った事か。この生活は精神が削れていくのだ。感情くらい自由に発露できないと体の前に心が死ぬ。

 たった今体の方が死にかけたがそれは気にちゃだめだ。なにせこれは不定期に訪れる日々の日課。いい加減慣れなくては。

 勝利の勲章が多数刻まれた寝床から身を起こし、飼主の座る机に向かう。

 今日こそは穴ぼこだらけの寝床の修復を頼まなくては。しばらく前から寝づらくて仕方ないのです。床からの冷気がスース―して辛いのです。

 木張りの床を這ってから机の脚を経由して飼主の袖を噛む。言葉が通じないから意思疎通がめんどくさい。

「ん? どうかした? 今忙しいんだけど。邪魔するなら――刺すよ?」


 ぷすりは嫌あああ


 袖を刹那で放して針のきらめきが届く前に机から飛び降りる。

 腹を床に強打するけど気にしない。だって血は出ないから。


 これぞ経験則! この部屋のどこから落ちたところでワタシの体に影響はないのだ。


 ……自分で言って悲しくなってきた。どうせなら身の危険を回避する方向で経験則を語りたい。

「――楽しそうにしてるわね」

 その声の出所はワタシの背後。冷たい声が背筋に突き刺さる。


 まってまってまって。

 まだ朝の五時よ!? 日が出たばかりなのよ。どうしてもうここにきてるのっ!


 むずりとワタシはなす術もなく体を掴まれる。こんなことなら飛び降りるんじゃなかった。痛くて体が動かない。今のワタシにできるのは首を捻ってあの女を視界に収めることだけだ。


「おはようリリアルナ。こんなに早くからどうかした?」

「おはおうベルリック。今日はあなたの顔を見たかったの。……先を越されたみたいだけど」

 ワタシを掴む手にぎゅっと力が入る。

 ぎにゅっと鳴るワタシの体。

 ペキョっとずれる何か。

 ぐべっと押し出される息。


 おへーーーーーーーーー!

 息がっ。息が内臓と押し出される! ワタシの中からあんこがでちゃうぅぅぅ。


「……? なにが言いたいのか分からないけど、とりあえずその蛇放してくれない? 何か苦しそうだからさ」

 女の手の中でのたうつだけだったワタシの身柄を案ずる男。だがそれは逆効果だ。なんてゆうことをしてくれたんだ。

「――そうみたいね。気が付かなかったの、ごめんなさい。……あとで覚えておきなさい」

 ぞっとする語尾が脳に打ち込まれる。手放す直前に鱗が何枚かもっていかれたのは偶然じゃないだろう。血は出てないけど、精神が剥がされている気がしてならない。

「あんまり傷つけないでほしいんだけど。せっかく手に入れた珍しい蛇なんだからさ」

「大丈夫。傷ついたらまた治すから。安心してね」

「ん? なら安心だね」


 安心じゃないっ!

 というか違うからね。今の女の「安心してね」はワタシに対するいくらでも傷つけられるから安心してって意味だから。永遠に苦しめてやるって言う鬼の宣言だから。間違ってもあんたを気遣ってるわけじゃないから! お願いだから早くその事に気が付いてよ!


「それよりも今日の朝食は何がいい? 唐揚げ? スープ? 皮の炒め物? それともお酒にしちゃってもいいわよ?」

「お酒って……何を言ってるのさ。まだ早朝だよ?」

「でも、まるごと漬けるのが一番簡単らしいから手軽で良いと思うの。それに余さず使えるし」

「ん?」

「え?」

 会話が噛み合わず首を捻り合う二人。ワタシはその様子を横目にひっそりと息をひそめて退室する。下手を打てばワタシの首が捻られる。


 ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。助けられた(捕まった)当初は男のことだけ考えていれば良かったのに……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る