23.偽名

「まだ間に合うかもしれない! ケータイがあるんだ、救急車を呼ぼう。警察も!」

 サノが声を上げた。はっとしてばら撒かれた荷物に駆け寄る。俺の鞄が落ちていたので拾い上げ、中を漁り引っ張り出したケータイの電源ボタンを押した。

「点いた!」

 が、起動するまでの数秒がもどかしい。

 他の奴らもそれぞれ荷物を回収してケータイを確認していた。

「あたしのも点く!」

「私のも点きます!」

 それぞれに声を上げる。

 最初に起動が完了した俺が救急に電話をかける事になった。

「怪我人が三人……はい、はい……住所は、えっと……」

 焦る気持ちを抑えて電話越しに状況と場所を伝える。警察を呼んで欲しい旨も伝えた。

「シシジョウ、お前のおかげで俺達……シシジョウ?」

 居なかった。

「シシジョウ!」

 名を呼ぶが返事は無い。

「どうしたの」

 サガノが訊いて来て、周囲を見回し、俺と同じくシシジョウが居ない事に気付いた。

「え……何で? シシジョウどこ行ったの」

「分からない」

 俺達がケータイに縋り付いている間に、どこかへと消えてしまったのだ。まるで最初から居なかったかの様に。幾ら焦っていたからって、人一人居なくなるのに気付かないなんて事があるのか?

「……あの。多分、警察を嫌ってここを離れたんだと思います」

 スドウが怖ず怖ずと口を開いた。

「どう云う事?」

 サガノが目をぱちくりとする。俺も訳が分からずスドウを見た。

「シシジョウドウシって……多分、偽名なんだと思います。シシジョウは獅子と錠でシャーロック。インドの言葉でSherにはライオンやトラと云う意味があるんです……それからドウシは同士、つまり仲間で、ホームズって云うのは確か、ギャング用語で仲間と云う意味だった筈です。ドウシ・シシジョウじゃあまりにも名前っぽくないから、ひっくり返してシシジョウ・ドウシ」

「何でそんな事知ってるの」

 スガノが目を丸くしてスドウを見る。俺も多分、同じ様な顔をしていた。

「シャーロックと云うドラマがあって……主人公が獅子雄って云う名前で、気になって由来を調べた事があるんです。その時にSherにライオンやトラと云う意味があると知って……。まあ、役名の由来はイニシャルを合わせる為だったらしいんですけど」

「でも、何で偽名なんか……」

 サノの声に、見ると彼はササキの側に、ワダとタジマはアベとナカマの側に膝を付いていた。

「……俺達の事を信用出来ないって云ってたから、素直に本名を名乗る気になれなかったんじゃないか。歳も仕事も出身も、全部嘘かも」

 皆が更衣室に行っていた間の会話を思い出す。確か、『俺以外全員信用ならない』と云っていた。

「だからって、何でシャーロック・ホームズを無理矢理和訳した名前?」

 サガノが呆れた様に云う。

「それは……多分、探偵役として呼ばれたからじゃないでしょうか」

 お前はコナン君か。本人が居たらそう云ってやるのに、シシジョウは居ない。

「シシジョウの事、警察に云わない方が良いのかな」

「いえ、全部正直に話した方が良いと思います。警察なら指紋を調べるかもしれません……特に遺書は。そしたら私達以外の……シシジョウさんの指紋が出ますから」

 それもそうかと納得する。警察に訊かれたら、シシジョウの存在といつの間にか居なくなってしまった事を正直に話す事で俺達の意思は統一された。

 さあっと風が吹き、遠くからサイレンの音が聞こえて来る。

 助かったのだと云う実感が湧いて来た。これで漸く帰れる。いや、その前に暫くは事情聴取で拘束されるのかな。さっさと逃げたシシジョウを少し恨めしく思う。

 俺達は完全に気が抜けていた。

 その安堵を打ち破る様に、銃声が一発、夕闇に響いた。木に止まっていた数羽のカラスがかぁと羽ばたく。俺達は弾かれた様に校舎を振り返った。

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