20.足が速い奴が切れば

 体育館に戻ってそれぞれ結果を報告する。目ぼしい物は何も無く、二階に上がった二人から盥の中身はやはりボールらしいと云う話が聞けた以外に得るものは無かった。

 俺からも音響室でシシジョウと話した内容を伝える。自然と皆の視線が一人に向かった。ワダだ。

「まあ、そうなるよね」

 はあ、と溜息を吐いて彼女は云う。ワダは最初の自己紹介時に、走る事が趣味だと云っていた。

「ちなみに五十メートルの記録は」

 シシジョウが問う。ワダは軽く首を傾げた。

「室内で七秒切るかどうかってトコかな」

 一秒で進めるのは七メートル程度と云う事になる。何とかなりそうな気がした。

「初速を考えるとぎりぎりだな。瞬発力に自信はあるか」

 シシジョウの言葉にはっとする。そうだ、走り出しから最高速度を出せる訳では無いのだった。

「スタートダッシュは得意だよ。元々短距離やってたし」

 そう云いながら、ワダは準備運動を始めた。やる気らしい。

「クラウチングスタートじゃないんだぞ」

 云いながらシシジョウが眉を顰める。ワダが準備運動を続けながらははっと笑った。

「分かってるよ。でもほら、火事場の馬鹿力って云うし。案外何とかなるかもしんないじゃん。それに、」

 云って、動きを止める。迷う様な間を置いて、ワダは再び口を開いた。

「……あたしが一番確率高そうじゃん。ユウコは運動音痴だし、リョウもミホも長距離タイプだから向いてないし。他の奴らは知らないけど、ボールぶつけたのはあたし達なんだから、あたし達の内の誰かがやるべきでしょ」

 ワダは最後にぐっと伸びをすると、体育館の端に置いておいた高枝切狭を取りに向かった。結構重いな、と云う声が聞こえて来る。そしてそれを持って戻って来ると首を捻った。

「これ、走り難いな。ジャケットも邪魔」

 チノパンを摘まんで云う。高枝切狭を床に置くと、ジャケットを脱いでナカマに預けた。黄色いTシャツが眩しい。それからズボンに手をかける。

「……見んなよ。ほらみんな、端っこに行った行った」

 そう云って、手をしっしと動かす。俺達は後ろ髪引かれながら体育館の壁際に移動して、ワダを見守る事にした。

「見るなって云ってんのに」

 ワダは苦笑しながらチノパンを脱ぐ。淡いブルーのショーツが露わになって、健康そうなすらりとした脚が晒された。

 改めて高枝切狭を手に取ったワダが、すぅ、はぁ、と深呼吸する音が体育館内に響く。

「良しっ」

 高枝切狭を構え、その刃を糸に添わせる。固唾を飲んで見守る中、鋏の刃が重なり糸が切れた。ひゅん、と錘と鍵が落ちるそこから高枝切狭を擲ってワダがこちらへ走り出した。次の瞬間、大小様々なボールの雨が降る。ど、と音を立てて床にぶつかったボールが跳ね、あちこちへ飛び、その一つがワダの背後に迫る。

「危ないっ!」

 アベが咄嗟に叫んだ。ワダは振り返らずに走る。ボールがその足元へ転がって、彼女は勢い良く転んだ。派手な音がする。そこにまた幾つかのボールが飛んで行くが、幸い落ちて来た時の勢いは殆ど死んでいて、けれど人体にボールが当たる鈍い音が何度か聞こえて来た。

 ワダは頭を手で庇い体を丸めて身を守る。タジマが思わずと云った様子で顔を両手で覆った。

 俺は数瞬硬直したあとワダの元へ走った。ボール達は体育館の床に力無く転がり、もう跳ねる元気のある物は無かった。

「大丈夫か」

 他のみんなが駆け寄って来る音を聞きながらワダに問いかける。彼女の目は痛みに潤んでいたが、しっかりと頷いた。

「足首を捻ったけど、他は大丈夫。背中も……まあ、痣くらいにはなるかもだけど」

 体を起こしながらワダは答え、座り込んで右足首に触れた。

「見せて」

 アベがそっと足首に触れる。いっ、とワダが小さく悲鳴を上げた。

「骨は大丈夫そうだね。本当は冷やして安静にしておきたいところだけど、今は無理かあ……」

「取り敢えずこれ穿きなよ」

 サガノがいつの間にか拾って来たチノパンをワダに差し出す。ワダは礼を云ってそれを受け取ると右足首をなるべく動かさない様にしながら苦労して穿いた。ナカマがジャケットを渡すとそれも着る。

「鍵は?」

 ワダが問うのと、シシジョウが体育館の中央で溜息を吐くのはほぼ同時だった。

「残念ながら校長室の鍵だと」

 シシジョウが拾い上げた鍵を持って皆の元に来る。確かにタグには校長室と書いてあった。

「何だよ、まだ何かさせようって云うのか」

 ササキがむくれて文句を云う。

「校長室ってどこだっけ」

 ナカマの問いに、

「職員室の隣だ」

 と、シシジョウが答えた。そして歩き出す。ワダが酷く足を痛めているのに、と思うが彼の足が向いたのは教官室の方向だった。どうしたのかと思っていると、すぐに戻って来る。その手には何かが握られていた。

「テーピングテープだ。古いけど使えるだろ」

 どうやら先程教官室を調べた時に見付けていたらしい。シシジョウは立とうとするワダに座る様に云うと跪いて、赤くなり始めた彼女の足首へと器用にテープを巻き始めた。

「手際良いねえ」

 アベが云う。シシジョウは答えずに黙々とテープを巻いた。すぐに巻き終えた様でテープを切り立ち上がる。ワダがそれに続く様に、恐る恐る立ち上がって表情を明るくした。

「凄い、断然楽になった」

「それなら校長室まで行けるな」

 ワダは笑って頷いた。

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