コロンブスの卵
コロンブスの卵のように、発想力というか、瞬間的な言葉のセンスというかそんなものに惹かれることはある。浪人した時の話なのだが、私はひとつ鮮明に残っている話がある。
登場人物は、仲のいい三人組の男子。彼らは私と同じ予備校に通っていた生徒だが、真面目に授業を受けている人間でもなかったし、彼らを私が見下していたのも事実なのだが。
「俺、ピーマン嫌いなんだよ」
きっかけは彼らのうちの一人の、その一言だった。彼らは食事中で、声が大きかったから私の耳にもはっきりとその声が聞こえていた。
「好き嫌いなんかしてんじゃねぇよ、お前。ママに習わなかったのか?好き嫌いせずに食べましょうって」
「うるせぇな、じゃあお前も今後納豆毎日食えよな」
「いや、俺は納豆ほどこの世の食べ物で美味いものはないと思ってるから」
「嘘つけ」
軽口の応酬が続いていたが、それでも彼はピーマンを食べようとはしていなかった。
「え、じゃあお前、パプリカは?」
「パプリカは食える」
「じゃあ食えよ、同じようなもんだろ」
「いや、パプリカは食えるけど、ピーマンはダメ」
「お前な、最近免許取ったんだろ?」
「取ったけど」
「教習所で習ったじゃねぇか、赤は危険、黄色は注意、緑は安全って。パプリカ食えるなら、食えるだろ」
悔しかった。先に私が思いついてさえいれば、私の考えたこととして正当に使うことができた。しかし、私は思いつけやしなかった。使うことはできない。こうして、人の話としてしか使えない。
よくよく考えてみれば、当然というか、気付けたことなのだ。その三色は何の色かと訊かれたら、迷わず私は信号機だと答える。それを的確に突くことができるのがまた才能だとは思うが、その才能は手が届きそうなところにあるだけに、なんとも憎らしい。
時々、羨ましくなる。ぱっと一突きで人の心を掴む表現は、技術を要する。技術というか、感性というか。そういうものを持っていないと評価されない気がする、というか。
文才は欲しかった。文章力は今から頑張って鍛えるが、文才は元々の発想だ。それを思いつくには、なにかきっかけが必要だ。身近なものや思いがけないものに目を向け、注意深く何かに気づくこと。私がこれからコロンブスの卵を生み出すには、その積み重ねしか方法はない。
もしなにか、人々が気付きそうで気付かない、気付いてしまえば簡単そうに見えることを私が見つけ出せたなら、私は「コロンブスの卵」なんて使わず、「北見の~~」という慣用句を使ってやる。
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