坊っちゃん
私は小さな頃、まわりから比べれば優等生だったという自負がある。いわゆる文学少年というやつで、よく休み時間には図書室に通いつめていた。毎日のように図書館から本を借りて読んでいたし、もちろんそれらは学習漫画のようなものもあったが、たいていは小説の類いだった。当時流行りの現代作家も読んだし、教科書に名前が登場するような、文豪たちの作品も読んだ。
その頃に、『坊っちゃん』も読んだ。面白かった。その前から赤シャツやマドンナ、山嵐などの登場人物に関する知識はもともとあり、私はその物語を他の作品のように楽しんだ。これを書ける人間はすごいと思ったし、こんなものを書ける人間にもなりたいと思った。
だから、私は国語のテストに『坊っちゃん』が出た時も、鼻高々に問題を解いた。一度すべてを読んだことがあるのだから引用された本文なんかは読まず、どこの部分が引用されているのかを把握すれば十分だった。私はスムーズに問題に答えを記入していった。
しかし、ある問題にあたって、私ははたと手を止めた。「この文章は、筆者が回想して書かれたものです。どうしてそう分かるのか、本文から抜き出して答えましょう」という問題だった。この時に感じた衝撃のおかげで、私はこの問題文を一文一句よく覚えている。そんな文章に見覚えはなかった。私は、焦って引用された本文を読んだ。確かに、あった。しかし、何度読み返してもその文があったような記憶はないのだ。過去のことを回想した文章であることを示す文章に覚えがない。むしろ、そんな文章は特に覚えているはずである。そんな大事な文章は、私が忘れるはずもない。まだ確認できていないにもかかわらず、その一文は私に強烈な印象を覚えた。
ちゃんと読んでなかったのだろうか。いや、私はそんな斜め読みをする性格ではない。かといって、一文一文を丁寧に熟考して読み解く性格でもないけれど。私はテストが終わると図書室へ行き『坊っちゃん』を借りて家に帰り、すぐに該当箇所を読み返した。もちろん同じ文章だから、確かにその文は存在していた。
悔しさを覚えた。それは、当時優等生だと自負していた私のプライドをズタズタに傷つけられた。
私はその問題に正解を書くことでまた簡単なテストで満点を取り、名指しで褒められた。背中にぞわっと何者かに触られているような感覚がした。あの感覚は、なにか背徳的なものがあった。10年近く経った今でも、あの感覚をいつも思い出すのだ。そして、私は猫背気味の背筋をしゃんと伸ばすのである。
その後、今まで成功も失敗もさまざまな経験をしたが、これが私が一番印象に残っている「挫折」というものの記憶である。
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