スピード狂の詩


 夜明けまえ。

 高原地帯に鳴り響くのは、朝を告げる鳥たちのさえずりと虫の声。

 そして――。


「オーライ、オーラーイ。もうちょいバックぅ……はいストーップ」


 かつてダニエル・チャップマンが競走馬を育てていた牧場に、いまはその孫チャールズが手塩に掛けて改造したレーシングカーが停まっている。

 トレーラーに載せられ、輸送時に動かないようガッチリと固定されており、頑丈な幌布ほろぬので車体全体を覆われていた。


 さらに柵の外から一台の牽引自動車がバックで牧場へと入ってきた。

 運転席から伸びる腕は丸太のようにゴツく、獣のように毛深い。そして二の腕には、獅子をデザインした入れ墨が彫られている。


「っしょっと」


 シーシーことチャールズ・チャップマンは、自慢の愛車を載せたトレーラーを牽引自動車へと連結させた。

 すると入れ墨の持ち主が運転席から降りてくる。


「ヘイ、チャッピィ! ファッキンモーニンッ。いいレース日和だな」


「俺らにとっちゃ毎日がレース日和さ。それより急な頼みですまないな、レオン」


「ファッキンメーン? ドントセイ水臭ぇ。断れねぇウィッチ・メイルゥ。絡んだ企み、俺たちサムザンツのしがらみ。ユーノゥ?」


 入れ墨の男――レオンはシーシーを見つけると、毛むくじゃらの巨体を揺らして気のいい笑顔を見せた。

 彼の本名はレオニダス・フリューゲルス・ジュニア。

 彼の父も、彼の祖父もおなじ名前だ。

 平民ではあるが、サムザ建国以来の血筋であることを誇りとし、長子はたとえ女であろうとも代々おなじ名前を名乗ってきた。

 自他ともに認めるサムザっ子である。


「チャッピィ。おまえにゃ分からんだろうが、俺たちサムザっ子は生まれるまえからあの魔女にふたつの借りがあると教えられる」


 そういうとレオンは葉巻に火をつけた。

 口腔喫煙であるため肺まで煙は入れない。火種を絶やさないよう、パカパカと豪快に紫煙をふかしている。


「くたばったジジイがよくいってたもんさ。ひとつはニコラス三世を桑の木からおろして救ってくれたこと。もうひとつは100年近くまえの精霊石を狙った他国からの侵略戦争を食い止めたことだ。もしあのファッキンウィッチがなにか無茶振りしてきても、サムザ国民なら二度まではいうことを聞いてやらにゃイカンってな」


「なんだよそのローカルルールは」


 シーシーはレース会場に持っていく私物を牽引自動車のキャビンに積み込みながら、巨漢の友人に向けて白い歯を見せた。


「ハッ。それだけじゃねぇ。やりてぇのさ、俺たちサムザンツ。ファッキンピットクルーはすでにシエナに前乗りしてるぜ」


「ああ。アイツらにもたんまり礼をはずんでもらうよう魔女にはいっとくよ」


 アイツらというのは、レオンが経営している自動車修理工場のスタッフである。

 シーシーとは何度もチームを組んでレースに出場している。

 サムザ公国では自動車自体がまだ一般に普及されていないため、あまり忙しくないみたいだが、歴代のレオニダス・フリューゲルスが培った蒸気機関の整備技術は一流である。


 おそらく『シエナ・グランプリ』をきっかけとして、サムザには一大自動車ブームがやってくるだろう。

 そうなれば彼らとも、そうおいそれと一緒に走れなくなる――。

 シーシーはこの公国初となるレースに、メイルゥともウォルター公とも、そして他のサムザ国民とも違う想いを胸に抱いていた。


「で、チャッピィ。マジでてっぺん狙わなくっていいのかい」


「……ああ」


「それにしちゃ、いつもより気合い入ってねえか?」


 レオンはトレーラーを覆った幌布をチラリとめくって眉根を寄せた。

 ダークグリーンの車体は静かに寝息を立てている。来るべきときに咆哮をあげるため、その身に秘めた野獣を鎮めるかのようだ。


「バックギアも抜いちまった完全レース仕様だ。タンクも小せぇから『シエナの街』まで自走は出来ねぇ。足回りもピークパワーに照準を合わせて街乗りを捨ててる」


 闇夜に浮かぶ葉巻の火種がレオンの呼吸に合わせてチリチリ燃えている。

 あたりに甘い香りが漂った。

 職人の手仕事によるクラシカルな一品。フレーバーを添加しない純粋なタバコの香りだ。

 この味を覚えてしまったら、紙巻きなんぞ新聞紙を燃やして吸ってるみたいなもんさとレオンは語る。そのたびにシーシーの脳裏には、紙巻きを愛好する老婆の顔がよぎるのだ。


「あとはこの『リミッターカット』だ。レギュレーターなしでフルスロットルぶん回しゃ一分ともたないぜ」


「ロマンだよ、ロマン。誰よりも速く。それだけさ」


 東の空が白み始めている。

 遠く流れる川面を弾いて輝く様子は、開きかけた赤子の瞳を思わせる。


 なにかが起こる――。

 まだ予選すら始まっていない『シエナ・グランプリ』に、シーシーは不穏な何かを感じていた。それがただの当てずっぽうな勘なのか、それとも祖父の代から続く錬金術師としての血が告げているのか。

 いまの彼にはまだ分からない。

 だが。



 シーシー。ちからをお貸し。思いっきり走らせてやる。

 だがひとつ条件があるよ――。



 こういうのを魔女のささやきというのだろうな、と。

 彼女の頼みであれば、ベタな八百長でもなんだか誇らしげに思えてくる。きっとメイルゥの声かけがなければ、公国初となる偉大なレースに自分のような無名レーサーは参加することすら叶わなかっただろう。

 それだけでも十分感謝に値する。


 もともとジョニーたちヤクザものと始めるはずだったレース賭博のノミ行為。

 ハンソン一家の壊滅によりてっきり頓挫したものだと思っていたが、まさか国家規模の催しものになって帰ってくるとは。


 じつにあの婆さんらしい。


「ヘイ、チャッピィ。なに笑ってんだ?」


「あ。笑ってたか、俺」


 そうか。笑ってたか。

 誰にいうでもなくもう一度そう口にして、シーシーは顔をあげた。


 夜が明ける。

 太陽がサムザ公国に新しい朝を連れてくる。


「いくか」


 シーシーはレオンの運転する牽引自動車に乗り込んだ。

 一路『シエナの街』へ向けて。


 

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