[ 外伝 ] あのときのあれこれ
不義理のやいば
やれやれだ――。
ベクスタ王立軍士官学校で行われる年次式典の当日。
主催者側の用意した選手控室の片隅で、当代最強の剣聖アイザック・ルヴァンは大いにうなだれていた。
自慢の銀毛もあちこちに飛びはね、表情もひどく胡乱げである。
それもそのはず。
いつもであればまだ定宿にしている娼館『いなせ屋』の二階でもって、ひいきの遊女と迎え酒を食らっている時間である。
ただただ眠い。
布団と人肌が恋しい、まったりとした昼下がり。
ルヴァンはこれから行われるエキシビションの相手よりもまず、重いまぶたと戦わねばならなかった。
「学長どの。そろそろお時間です」
「ぅえっ、ああ……はいはい」
あまりにも眠い。
願わくばこのままいつまでもウトウトとまどろんでいたいところであったが、学校側が用意した見張り役という名の世話係に呼ばれ腰をあげた。
数年ぶりに袖を通した礼装用の軍衣もまた居心地の悪さに拍車をかける。
ジャラジャラと胸元に飾られた勲章を見るたび、かつておのれが滅ぼした国家の数々を思い出すのだ。
英雄なんぞと祀り上げられたところで、しょせんはただの大量殺戮者である。
そんな自分が名誉学長などと呼ばれている。
まるで平和の使者のような顔をして。
一から十まで気に入らない。
だからこそサムザ公国へと派遣されて以来このかた、本校には着任の挨拶すらしないままにずっと足を遠のかせていたのやも知れぬ。
控室を出て競技場へと向かう道すがら、ただでさえ目立つルヴァンの異形は学生たちの好奇の目から逃れることなど出来ない。
畏怖と憧れの入り混じるキラキラとした羨望の眼差しが、悪意なく彼を責め立てた。
「ヌーデルワスク卿。こちらを」
スタジアム構内から競技場へとつながる入場口。その手前に待機していた係員から、一振りの剣を渡される。
模擬試合用に刃引きのされた刺突剣だ。刃渡りはおよそ80センチほどで、柄元をお椀型のつばが覆うカップヒルトスタイルである。
ルヴァンは剣を受け取ると、その場で鞘から抜き放ち二三、試し振りをした。飛燕の舞うが如き剣捌きに、野次馬たちがうっとりとしている。
ビィィィィン――。
ピタリと片手正眼に構えた刃先が剣聖の素振りに呼応して震えている。
「ま、こんなもんかね」
普段使いの仕込み杖を引き合いに出すのもお門違いだが、そこそこの安物であることは明白だった。これで対戦相手がもっと上等な得物でも握ってこれば、いよいよ嫌われているなと自覚もするのだが。
『さて決勝戦に先立ちまして選手たちには若干の猶予をお与えいただきたい――』
場内アナウンスのコールが掛かる。
スタジアムはにわかに熱狂へと包まれていった。
「では学長どの。お願いします」
世話係に促され、ルヴァンはしぶしぶお天道様のもとへと歩き出した。
普段は資材搬入口として使われているかび臭い通路の向こうから、乾燥したほこり臭い空気が流れてくる。
「が、学長どのっ。が、がんばってくださいっ」
本校の士官候補生たちだ。
壁際にずらりと整列し、ルヴァンに敬礼を捧げている。
それを見たルヴァンもまた彼らに対し敬礼で応えると、生徒たちは軍規も忘れて子供のようにはしゃぐのだった。
がんばってください――か。
彼らに悪気がないことは分かっている。だからこそ余計に堪える一言ではあった。
一体どうがんばれというのだろうと。
「……まぶし」
暗い通路から一転、燦燦を降り注ぐ陽の光が寝ぼけ眼を無慈悲に焼いた。
自慢の銀毛が宝石のように輝いて、スタンドを埋め尽くす観客たちから怒涛のような声援が沸き起こる。
『剣聖アイザック・ヴァン・ヌーデルワスク卿によるエキジビション・マッチであります!』
360度。見渡す限りのひと、ひと、ひと。
科学文明真っ盛り。
日の目を見ない時代に生まれた剣聖にとって、この光景は刺激的である。
さすがの眠気も吹き飛ぼうかという感動を覚えたつぎの瞬間。
刹那の歓喜は、針で穴を開けられたように萎んでいった。
『相対しますは、若き剣の達人! 次期剣聖との呼び声も高い、リンデル国の貴公子!』
次期剣聖――。
聞き飽きた紹介文である。
それは武術をたしなむ貴族の子女に向かって贈られる常套句でもあった。
高貴な出の者たちの機嫌を取るために使われる剣聖の二文字。
ずいぶんと安くなったものである。
はあぁぁぁ……。
またぞろ眠気が襲ってきた。ルヴァンはあくびをかみ殺すのに苦闘している。
「サー・アイザック……ヌーデルワスク卿。お久しゅうござる」
ん?
どっかで会ったか?
ルヴァンは隣に並んだ若い貴族の顔をあらためて凝視した。
おかっぱに切りそろえられた金髪。
骨ばった顔立ち。
腹に一物ありそうな目元と、鼻のしたが伸びた嫌味のある表情。
まずい。
まったく思い出せん。
たしか事前に主催者側からの説明もあったような気もするがどうだったか。あくびをかみ殺すのに必死で、さっきの入場のコールも聞き逃したし。
リンデル国といえば本国ハイランディアの友好国である。
若かりし頃は他国の制圧のほかに、公務でたくさんの貴人麗人とも面会した。
そのなかのひとりだったか――。
とにかくこのままだんまりを決め込むのも、あまりよろしくはないだろう。
「――ご壮健そうでなりよりです……閣下」
なんとかルヴァンが一言ひねりだすと、金髪の貴族は「ほっほっほ」と気持ちの悪い声で笑うのだった。
「ありがたいこととはいえ、気が早うございます、剣聖どの。わがローデリア家は父も健在でございますれば」
ローデリア子爵!
なるほど思い出した。
戦争終結後のドサ周りで「よい子の剣術道場」みたいなイベントをやらされたとき、稽古をつけてやった貴族の子女のひとりだったはず。
たしか名前は――。
「サミュエル・ローデリアどの。ご立派になられて」
「サムと――お呼びを。剣聖どの」
どういうこだわりがあるのかは知らないが、まあ「ご立派な態度」になったものだ。
ルヴァンは片方の眉を吊り上げたものの、どうやら獣面の機微を理解できるほど繊細な相手ではなかったらしい。
「本日はこのような機会を得て、日頃の研鑚をご披露できることを嬉しく存じます。幼き頃にあなたさまから手ほどきを受けた私が勝てば、なによりの恩返しになりますかな?」
サム・ローデリアは尖ったあごをさらに突き出し「ふふん」と自慢げに問う。
ルヴァンは愛想笑いを浮かべるより仕方がなかった。
「思えばあなたから教わった剣術は、とても古臭かった。わが師に言わせれば、しょせんは三流以下の田舎兵法にすぎないと」
「……」
「剣聖の座。そろそろ次世代へとお譲りいただけませんか。ルヴァン卿――おっと失礼、その家名は騎士階級でしたな、ヌーデルワスク男爵どの」
くくく――。
サム・ローデリアは口元をおさえていやらしい笑い方をする。
剣聖とはいえ、自分のほうが爵位のうえでは格上だと念を押しているのだ。
さらにルヴァンの戦歴というのは本国ハイランディアでも国家機密扱いであり、一般には公表されていない。
ましてや銃火器が戦場の主役となった近代では、伝統剣技の継承者というイメージのほうが強く『実戦を知らぬ剣聖』と揶揄されることもしばしば。
そのためか、若い貴族の間ではとかく彼を軽んじる傾向にあるのもまた事実であった。
「言葉もありませんか、剣聖。それではわが奥義・無影剣にて引導を渡して差し上げよう」
ふたりの剣士はスタジアムにある貴賓席へとまず礼を捧げる。
続けてお互いに礼を捧げ、地面に引かれた白線をなぞるように距離を取った。
『始めぃ!』
場内アナウンスが鳴り響き、エキシビションマッチが始まる。
まず動いたのはサム・ローデリアのほうであった。
「きぃぃぃえぇぇい!」
甲高い掛け声とともに、ルヴァンの喉元を突いてきた。
かたや剣聖はその場を一歩も動くことなく、相手の突きに合わせて自然と剣を浮かせた。
するとカップヒルトの曲面にそってローデリア卿の剣は勝手にそれてゆく。
「つおおおっ」
ルヴァンがただ片手正眼に構えただけの剣先が、不用意に突っ込んできたローデリア卿の眉間を捉えようとしていた。
彼はサラサラの金髪を振り乱して大仰にそれをかわしてみせる。
場内は拍手喝采の大賑わいだった。
「や、やりますね。さすが剣聖を名乗るだけはある。この奥義・舞い突きをかわしたのはあなたがはじめてですっ」
体勢を立て直したローデリア卿は、その後も勢いに任せて剣を繰り出していった。
だがそのことごとくを、ルヴァンはすんでのところでさばいてしまう。
一見、ローデリア卿のほうが攻めているように思えるのだが、ルヴァンはこの模擬試合が始まってまだ開始位置から半歩たりとも動いてはいなかった。
ビィィィィン――。
ルヴァンの手にした安物の剣が鳴いている。
その音は徐々に、試合前に素振りをしたときよりも鈍くなっていった。
一方、ローデリア卿の剣もまた目に見えぬダメージを負っている。
それに本人が気づいているかは分からないが、ルヴァンが柄元の一点に集中して剣撃を加えていった結果である。
あと数合でお互いの剣は根本からぽっきり折れるだろう。
それにしても――。
眠い。
「き、貴様! 先ほどからなんだ! 私を愚弄するのか! 目を、目をつむりおって!」
「失礼。小生、ちと寝不足でしてな。しかしたった一撃のお相手
「なにをっ」
「これにてお開きにござる」
キィィィィィィン――。
場内に澄んだ金属音が鳴り響いた。
サム・ローデリアの最後の一撃をルヴァンはしのぎ切り、ふたりの剣は柄元からぽっきりと折れたのだった。
『そこまで! お互いに礼!』
ここで決着の宣言が成された。
スタジアムはお互いの健闘を称えて拍手喝采である。
しかし気に入らないのはサム・ローデリアだ。
全身から汗を噴き出し、怒りの形相でルヴァンを睨みつけていた。
一方、開始位置からようやく礼をするためだけに動いたルヴァンは汗ひとつ流すことなく、ケロリとしている。
「こ、これが私の実力だと思うなっ。じ、実戦ではさらなる奥義を――」
「覚えた技の数が強さではありませんぞ、サミュエルどの」
「なにぃ?」
「こんにち各流派の奥義や秘伝と呼ばれる技は、失伝を恐れるあまりに過保護に伝承されてきた。しかしながら、かつて騎士であれば嗜みとして当然身につけていたはずの小技や剣の振るい方など名もなき身体操作術は逆に失ってしまったのだ。どうしてかご存じか?」
「な、なんの話だ」
「戦後の剣は商売になり申した。奥義や秘伝は商品として金で売り買いされたのです。一方あなたが田舎兵法と呼んだ活きた技術は地味で金にならず時代の影に消えていきました」
「剣術が商売……では私の学んだ奥義とは……」
ひとり愕然とするサム・ローデリア。
ルヴァンは彼の問いに答えることなく、かび臭いスタジアムの構内へと戻った。
柄元から折れた剣を入場口で待機していた案内係へと渡すと、ようやく晴れ晴れとした表情を浮かべて、野次馬にきた生徒たちに愛想を振りまいていたときである。
「それでは学長どの、これよりお仕事の時間となります」
朝からルヴァンの世話をしてきた学校側の職員が厳しい目をしている。
「は?」
「着任より今日に至るまで溜まりに溜まった事務処理。やり遂げていただきます」
彼の背後には、手押しの荷台いっぱいに載せられた書類の束があった。
生徒たちへの表彰状や免状の署名にはじまり、各会議に出されるはずだった許可証、ならびに出資者への挨拶状などなど。
これをいまからやっつけるのかと思うと、まだ貴族のボンボン相手に剣を振り回していたほうがマシであった。
獣面の紳士はまたぞろ胡乱な表情を浮かべると、世話人に対してこういった。
「ちょっとだけ寝かせてもらえません?」
それから数週間。
ルヴァンは『シエナの街』に帰ることすら許されなかったという。
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